2013年1月8日 朝息子の出勤の音で起こされた。正直寝ていない。
起きてすぐ、オフクロの一番親しくしていたNさんに電話を入れた。通じない。我が住所録の登録が間違っていたようだ。そこでオフクロの携帯がどうなっていたのかを思い起こした。叔母があずかっているだろうと思い電話を入れた。やはり叔母の手元にあった。親父の葬儀の時の参列者名簿をもとに住所録を作成していたが電話の番号に間違いが多く、それをオフクロの携帯の電話帳で修正した。
ただオフクロの合唱団や大正琴サークの仲間については顔と名前が一致せず、葬儀は「家族葬」ですると親戚の了解を得た手前何処まで知らせるかについては正直困った。
取り敢えずはNさんは私もお世話になっていたことから連絡を入れた。オフクロの入所していた老人ホームにも頻繁に遊びにきてくれたことが、最初はホームに入るのに反対したオフクロだが入院する度にホームに戻りたいとくちにするようになったのはNさんのおかげだと思っている。
親父の時は、几帳面な親父の性格らしく、エンディングノートならぬ手帳に、住所録があったが、大雑把なオフクロはそれらのものがないことが「家族葬」の範囲が何処までかが困った。
電話が入り急遽3時のアポだった葬儀社との打ち合わせを1時に変更して欲しいとのことで、名簿作成は諦め東光寺に向った。
火葬場の関係で、葬儀を伸ばすより浦和の火葬場を使用し今週中に葬儀をするほうが良いとの結論で、火葬場の予約時間から逆算で、東光寺ー火葬場の時間距離から、告別式を12:50開始に決めた。お通夜は前夜だが家族葬ため5時と1時間繰り上げた。
問題は、食事だった。告別式が12:50 火葬が15:00 火葬が済んでお寺に戻ると17:00、初七日法要を行うと19:00なってしまう。場合によっては昼抜きで参加の人も出てくる。食事を出せるタイミングとしては火葬場での時間しか無い。
火葬場へ参加される方々の人数の確認で考えることとなった。
遺影写真は私が撮ったものを提出したが首写真であるとのことでダメが出た。遺影写真は胸かラ上とのことで再度選び直しとなった。またお棺に入れる品物をなにいするかが指摘された。親父の時はタバコ(ピース)小説、歌舞伎絵だった。女性の場合は衣類が多いそうだ。オフクロには合唱団のステージ衣装と着物を選んだ。本当なら料理本もと思うのだが、最近が買っていなかった。
実家に戻り叔母も参加し家探しになった。写真はどれもコーラスのステージ写真が多いが集合写真と50-60代の写真ばかりで何枚かは選んだがこれはというものはなかった。
その後入所していた老人ホームにこれまでのお礼とご挨拶に行った。その折に写真の話をすると、さすが月ごとに多彩な行事があるだけに色々な写真があった。その内の何枚かを頂き帰宅した。19時のニュースをしていた。とにかく昨夜か良く体が持ったと自分を褒めてあげたいくらいだが。湯上り後の病院の待合室で風を引いてしまった。
とにかく疲れもあってすぐに眠りに付いた。
起きてすぐ、オフクロの一番親しくしていたNさんに電話を入れた。通じない。我が住所録の登録が間違っていたようだ。そこでオフクロの携帯がどうなっていたのかを思い起こした。叔母があずかっているだろうと思い電話を入れた。やはり叔母の手元にあった。親父の葬儀の時の参列者名簿をもとに住所録を作成していたが電話の番号に間違いが多く、それをオフクロの携帯の電話帳で修正した。
ただオフクロの合唱団や大正琴サークの仲間については顔と名前が一致せず、葬儀は「家族葬」ですると親戚の了解を得た手前何処まで知らせるかについては正直困った。
取り敢えずはNさんは私もお世話になっていたことから連絡を入れた。オフクロの入所していた老人ホームにも頻繁に遊びにきてくれたことが、最初はホームに入るのに反対したオフクロだが入院する度にホームに戻りたいとくちにするようになったのはNさんのおかげだと思っている。
親父の時は、几帳面な親父の性格らしく、エンディングノートならぬ手帳に、住所録があったが、大雑把なオフクロはそれらのものがないことが「家族葬」の範囲が何処までかが困った。
電話が入り急遽3時のアポだった葬儀社との打ち合わせを1時に変更して欲しいとのことで、名簿作成は諦め東光寺に向った。
火葬場の関係で、葬儀を伸ばすより浦和の火葬場を使用し今週中に葬儀をするほうが良いとの結論で、火葬場の予約時間から逆算で、東光寺ー火葬場の時間距離から、告別式を12:50開始に決めた。お通夜は前夜だが家族葬ため5時と1時間繰り上げた。
問題は、食事だった。告別式が12:50 火葬が15:00 火葬が済んでお寺に戻ると17:00、初七日法要を行うと19:00なってしまう。場合によっては昼抜きで参加の人も出てくる。食事を出せるタイミングとしては火葬場での時間しか無い。
火葬場へ参加される方々の人数の確認で考えることとなった。
遺影写真は私が撮ったものを提出したが首写真であるとのことでダメが出た。遺影写真は胸かラ上とのことで再度選び直しとなった。またお棺に入れる品物をなにいするかが指摘された。親父の時はタバコ(ピース)小説、歌舞伎絵だった。女性の場合は衣類が多いそうだ。オフクロには合唱団のステージ衣装と着物を選んだ。本当なら料理本もと思うのだが、最近が買っていなかった。
実家に戻り叔母も参加し家探しになった。写真はどれもコーラスのステージ写真が多いが集合写真と50-60代の写真ばかりで何枚かは選んだがこれはというものはなかった。
その後入所していた老人ホームにこれまでのお礼とご挨拶に行った。その折に写真の話をすると、さすが月ごとに多彩な行事があるだけに色々な写真があった。その内の何枚かを頂き帰宅した。19時のニュースをしていた。とにかく昨夜か良く体が持ったと自分を褒めてあげたいくらいだが。湯上り後の病院の待合室で風を引いてしまった。
とにかく疲れもあってすぐに眠りに付いた。
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