10月26日に放映された NHKのクラシック音楽館を録画していたのを観た。好きな指揮者マルケヴィッチの弟子にあたるブロムシュテットの指揮ということで録画したものだった。モーツァルトの39番とチコフスキーの4番だった。この番組はコンサートプラスと称して、メインのプログラムにかかわりのある、かつてのN響の演奏を残りの時間の穴埋めに追加するのだが、この日は指揮者も、演奏曲もメインプロとは関係のないホグウッドの指揮によるストラヴィンスキーのプルチネルラが演奏された。9月25日に亡くなられたホグウッドの追悼を込めてだった。 私自身も彼の死はHMVのNetニュースで知ったのだが、日本では余程のモーツァルト好き以外には関係のない人とみえてマスコミの扱いもマイナーだった。
モーツァルト好きの私にとっては、彼の指揮するエニシェント・ミュージックの交響曲全集を入手したときの驚きは半端ではなかった。それこそ音楽の教科書では41曲の交響曲を作曲したとされたされたが、総数は71曲にわたり、コンサートでは欠番扱いの37番を復活しての演奏ありとか、丁寧な時代考証にもとずく作業による演奏スタイルの相違の妙を示すなど19枚のCDに収められた演奏に興味は尽きないが、ただ聴いて心地よい演奏とは限らなし、得られる感動も、この演奏がベストとは思えない。 購入当初は夢中で聴いたが、今では、年に一度の川越に本拠を置くモーツァルトの交響曲全曲演奏を目指すアマオケの「アマデス管弦楽団」が所沢のミューズ演奏会を開く際に、予習的に聴く程度になっている。
彼とエニシェントミュージックは1988年の来日の際に彼らの演奏をNHKの放送で語っている。この時の放映をVTRに録画したが、アントニオ・ド・ペイのクラリネットによる協奏曲とそのクラリネットを交響曲で採りあ上げた40番の演奏はTVで自らの演奏を語ったとおりの素晴らしさだった。
その後の2001年の来日時には、三大交響曲が同じくNHKで放映されたが時代はBS、DVDになりわたしもDVDに録画した。バブルのはじけた時代のこの時の音は潤いのない、乾ききった音色に思えたのは私の気のせいだろうか。
(私の手持ち)
先に述べた交響曲全集。原典主義の行き過ぎに思えるジェスマイヤーの補筆部分を全部取り除いたレクイエム
英国人指揮者は、ガーディナー、ノリントン、ボルトン、などは古楽演奏をスタートとしてメジャーになってきたが、ホグウッドも同じ歩みを志したのだろうか、エニシェント管弦楽団を離れてからの活躍を目にする機会が少なくなったように思えた時代に、バーゼル室内管弦楽団を指揮したクラシックモダンシリーズを入手した。
バーゼル室内管弦楽団の創立20周年(1946年)に献呈された、マルティヌーのトッカータと2つのカンツォーネ、ストラヴィンスキーのバーゼル協奏曲、オネゲルの交響曲4番の3曲を収めたもので、いずれもクラシックモダンを的確に表現しているが、オネゲルに関してはミュンシュほどではない。
エマ・カークビーを独唱者に添えたストラヴィンスキーのシェークスピアからの3つの歌が聴きものだが、組曲1番&2番 ブリテンのシンフォニエッタ、テペットのディベルティメント等が含まれてはいるが、曲そのものが私にはさほど魅力を感じないもので、彼の趣味なのかニッチな世界の開拓者魂的な魅力を感じつつもなじめないし、ポピュラーな名曲で勝負するには彼自身の魅力が近代オーケストラでは表現できなかったのだろう。
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