昨日は、午前中は、このところ日課となっている運転手の仕事で、足を怪我した息子の通勤のために駅まで送り、カミサンを、やっとの説得で、義母を都内から、我が家近くの老人ホームに入居させたことからその見舞いに送り届け、一仕事を終えた。
何気なくNetを見ていると、新宿末廣亭の出演者が、柳家一門で占められ、お目当ての三三、はじめ小三治、市馬、喬太郎出演とあって、行くことに決めたが、夜の部ゆえに時間つぶしに、ICI石井のダイレクトメールの春山シーズンバーゲンにつられ、ひとまず神田神保町に出ることにした。平日午後の時間帯は西武線の連絡が悪くなり、神保町に着いた時間が13:40分。すぐにこの時間ならば、そう並ばずに食事にありつけると思い、「てんぷらいもや」に行くと、中に3人外に5人の9番目。しかし久しぶりの「いもや」だけにここは我慢と30分待ちで、天ぷら定食+ホタルイカ+アスパラ追加900円は至福の昼食だった。この味、品数を「山之上ホテル」で食べたらと思うと、ICI石井で買った登山シャツがダダに思えた。もう一軒バーゲン目当てでエルブレスを覗こうと歩き出すと、声をかけられた。相手は私のことを知っている様子だが、私は思い出せない、どうも最初の勤務先の後輩のようだが、名前をききだしたものの、記憶がよみがえらない。大変失礼なことをしたが、立ち話で別れ、エルブレスにたどり着くと、休業中?だった。時計を見ると16時近い。慌てて、都営新宿線小川町から新宿三丁目に出た。それにしても、新御茶ノ水、小川町、淡路町の駅名は何とかならないのか。つながっていながら呼称が違う。都営新宿三丁目初めて降りた。日本の土木工事のすごさか、都市計画の出鱈目さの表現か?は知らぬが、とにかくこの様には驚く。出口探しにひと汗かいたが、いまもむかしも新宿末廣亭の目印は名前変われど「みずほ銀行」が目印故、それを頼りにたどり着いた。事前に近くのファミマで水分・食料を調達、木戸銭は顔を見るなり、2700円ですと告げられ、シルバー割引券。複雑な心境で中に入る。鈴本、池袋が建て替えで変わったが、ここは変わらず違法建築のままだが、安全性は池袋よりはるかに生存率は高いと思う。このままの姿を文化財として何とか維持してほしいと願い、中に入る。
ちょうど昼席、主任の柳家小満んが始まった。館内立ち見も多い満員状況だが、それらは私同様に夜席狙いで、昼夜入れ替えめあての客だ。夜席も開始早々に満員状態。結構ビジネススーツ客?の姿もあった。
夜席の出だし落語は、柳家東三楼だったが、真打2年目だが、今日の真打襲名の柳家小八の手前先輩の意地を示そうとした気負いがあったのか、私の寄席通いで初めての経験が起こった。途中で演目の話を忘れてしまったのだ。その間何度も楽屋に出戻りを繰り返したが、結局時間で尻切れトンボで終わった。今後鈴本に出演できるか心配だ。
そのあとお目当ての三三だ。2度連続空振りされたがこの日は「道具屋」を聞けた。道具屋の思い出は子供のころ親父に連れられて「東宝演芸場」で聴いた3代目金馬が原点で、当時何度も金馬の「居酒屋」「道具屋」はラジオでも繰り返し聞き落語好きになる出発点だった。しかし今日の三三は前後のひどさに、それこそ散々な目にあい雰囲気も余韻も壊されてしまった。特に後に出た林家ペーはなぜこの場に出るのかわからない東洋劇場だろう。ただただうるさいだけで、この場の雰囲気をぶち壊すだけの芸なしがなぜこの日に出たのか、落語協会に聞きたい。この日の三三には納得できなかったのでまた日を改めききたいと思った。
でもそのあとの喬太郎はさすがだった。喬太郎落語をマイペースで演じ、その後の小八の真打口上の司会もうまかった。口上の中では市馬の相撲甚句はすごかった。久しぶりにほれぼれする相撲甚句が聴けた。柳家一門の総大将小三治の小八への口上もそのあとの「小言念仏」も「さすが」とは感じるものの、老化を感じるものがあった。真打披露の小八の話はまだ「廓話」は無理があった。バックの垂れ幕が、広島県出身なのに「武蔵境商店街寄贈」が気になり帰宅してNetで調べると、「東京農工大出身」とあり納得。落語業界も早大、明大、日大以外に国立大出身者も増えているご時世を知った。
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