とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

池袋演芸場 林家正蔵

2006年08月28日 | Weblog
今日池袋演芸場に行った。夏休みの1日に宛てた。5月の連休以来の正蔵を聞きたくて出向いた。東京の繁華街でも池袋の性格を述べるのは難しい。ふた昔前ならば場末の繁華街と言えるのだが、今は東に西武で西東武のデパート中心の点とビッグカメラの町となる。ただここには寄席が生き残っている町なのだ、寄席のある街は全国でも浅草、上野、新宿とここ池袋だけだ。最近大阪に出来たと聴くが、生き残ったのではない。寄席を「ダサイ」と突き放すのはいいが、寄席こそが日本の笑いの文化と思う。ここには江戸の会話が作った文化=歴史がある。しかし元金貸し屋の眼で見ると文化の維持は厳しさを感じる。客席100席で3時間半の入場料は一人2000円、出演者は13人、裏方に何人いるのだろう、出演者の平均年齢は当然50歳近くであろう。何年も修行を積んだものの価値はこんなものなのか?近くのポルノビデオの鑑賞室は2時間2000円の看板が出ていた。今日の正蔵は襲名披露公演と同じ「ねずみ」を演じた。出来はいまいちだった。本人もまくらで言ったように池袋は客層がつかみ難いのだろう。また笑いがいまいち乗っていかないのがわかる気がする。バブル後の地銀の東京支店のように、鈴本は2階に、池袋は地下2階に移り木戸銭の雰囲気は消えてしまい
寄席そのものの経営努力も見えてこない。石原さんも東京を観光で売るなら東京しかない寄席を売って欲しいと思う。都庁の最上階で夕焼け寄席をするぐらいの見識が欲しい。そもそも今日の寄席は失敗だった。12時開演と思い込み寄席には弁当しかも助六か幕の内と勇んだところ、今日は2時とのこと、協会も前座の時間を十分にとって若手が育つ土壌をつくるべきだと思うのだが飯をくいつつ前座を聞くこれで育つのが人間。昔寄席も相撲も歌舞伎も親父に連れて行かれた。特に歌舞伎は最初は非常につまらなかった。何度も行くうちにせりふの妙、三味線の音色舞台の作りに子供ながらに興味を持った。相撲についてはそれこそ幕下の取り組みから見た、親父の贔屓と幕下の有望株を見つける解説を聞きながら自分も知識をつけた。寄席も同じで前座を見る時間をつくるべきと感じた。それにしても寄席の商売気がなさすぎる。酒も売らずに寄席と言えるか。飲んで食べて芸を見る。これが寄席であって、国立劇場ではないのだ。落語がいつから芸術になり国宝になるのだ。反政府、お上にたてつく所が寄席ではなかったのか。それにしてもわが子を寄席に連れ出せなかったことはそもそも子育て失敗か、そう言えばカミサンは今もって笑点と寄席の区別がつかない。カミサンの操縦も失敗だった。

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