昨日は3か月ごとの、癌研有明病院での定期診察&治療だ。PSA値が前回に引き続き上昇していた。先生は特に問題なしというが、0価からの上昇は気になった。しかし、朝6時起床、6時09分のバスに乗り小手指6時41分の有楽町線直通に乗り、豊洲でゆりかもめ、癌研有明病院には8時11分入館。この状態に耐えれるうちはまだ、生きる元気のある証拠。血液、尿の検査結果を受け、ホルモン注射を受ける正味30分にも満たない先生との応対で検査結果の待ち時間が過半を占めるが、当日結果を知りえることはありがたい。自動精算システムは、地元病院での会計待ち時間と比べれば格段の時間節約。10時45分に病院を出た。
病院帰りの定番は神保町に出ることだが、家を出るときは、「雨対策」で出たが、病院を出たとたん熱気にさらされた。とりあえずゆりかもめに乗り、神保町に出ることにした。神保町の天ぷら「いもや」に11時半開店前につくも、すでに行列。一巡目では食にありつけない順番、店内の順番待ちの椅子にどうにか座れ二巡目の客。天ぷら「いもや」とはかれこれ半世紀を超えた付き合いだ。今日は650円の定食+山口県産のはも200円+稚鮎2匹150円〆て1000円だ。
私の「いもや」との出会いは学生時代にさかのぼる。学生時代は通常は、校門の近くにあったラーメン店メルシーでの野菜の具たくさんタンメンが定番だったが、バイト代が入った時は、大学前からバスに乗り、神保町に出た。その時、専修大前で降りた時に初めて入ったのが最初の「いもや」だった。新婚当時は、料理下手なカミサンは天ぷらを揚げられず、お互い大手町で仕事していたことから、当時は東西線の大手町駅で落合、九段下から専修大前まで歩いて、「いもや」に寄った。 その後淡路町に「いもや」ができ、それこそ、大手町の勤務先から、昼飯に、またカミサンが都合で夕食なしの時は、仕事帰りに立ち寄ったが、ご主人がなくなられて、淡路町の「いもや」は閉店してしまった。
その後,転職し勤務先が駿河台下になった。近くに天丼「いもや」があったが、ほどなくして店を閉めた。その当時は白山通りに、天ぷら「いもや」天丼「いもや」とんかつ「いもや」と「いもや」通りのごとく並んでいたが、昼飯に駿河台下から神保町へしかも並んで食事するほどの余裕がないことから、昼飯の「いもや」への足は遠のいた。ある日、カミサンから夕食拒絶を告げられた日に、神保町の「いもや」に行こうと、靖国通りを避けて近道で行くと、白山通り、出る直前に「いもや」を見つけた。私の頭の中では従来の「いもや」(もっとも今はこの繁盛店が廃店になっていた)とは違い、こじんまりとした店で、日共千代田支部至近の場所ゆえに「日共いもや」としていた。入店したときは、とっつきにくい商売っ気のないいいかにも職人風のご主人に、おかみさんは出身は知らぬが、我が小学校の同級生Kちゃんのような啖呵を切りそうな江戸子風の人だった。
夜は一品選択も自由でアラカルトもできるとのこと、昼は定食のほか単品メニュー追加もOKで、しかも季節の旬のものが「今日の入荷メニュー」としてあるのだ。今日も1000円で、はもと稚鮎を追加で堪能できた。近くの名店「山の上ホテル」でこの品数だったらいくら払わねばならないだろうと思いながら店を出るのだ。腎臓と肝臓が悪化して、地元の病院の先生からは食事制限を言い渡されているが、3か月に1度ぐらい掟破りもいいだろうと、癌研での通院帰りに寄っている、
しかし、地主は何の努力もせずに、地価の上昇を理由に地代を上げ、その負担に耐えない古書街も学生街も神田の風景からは、消えようとしている。「2020東京オリンピック」を目指し、東京はまた、人も、物資も資本も「地方」から吸い上げ肥大化しようとしている。シンゾウ君をはじめとして、胡散臭い政治屋は選挙の時だけ「地方の地元」で超高齢化した選挙民を相手に目先利益の甘言を並べ当選してくるのだろうか?これこそ本当の地域格差だ。総理総裁を目指すのであればせめて、東京の選挙区から立つべきだろう。といらぬことを思いながら、「日共いもや」を後にした。
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