とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

シャルル・ミュンシュのオネゲル交響曲その1

2007年05月28日 | ミュンシュとマルケヴィッチ
その中では、2番の交響曲は数と質の上でも彼のオネゲル作品の中では際立つ。
初演こそ、2番は依頼主のザッハーだが、CDで聴ける最古の物は多分ミュンシュだろう。私の手持ちでは、HISTORYという怪しげなCDに(これは40枚のセット物で過去の名指揮者の寄せ集め全集)1942年録音のパリ音楽院との録音がある。
同じくカナダのA Classical RecordのCDでDisque GramophonのW1600/2の復刻盤として1942/44年録音の記載がある。録音年月日を考えるとこの時期パリはナチスの占領下にあり、ストラスブール生まれのミュンシュの立場は複雑な状況だったと想像される。
両者とも音質をとやかく言えないが、それでもここから聞き取れる音は、当時の緊張感が伝わる演奏だ。全楽章が鎮痛な響きに満ち、終楽章のトランペットの一条の光を求める姿が浮かぶ。HISTORY盤の緊張感は正に彼によるパリ初演の歴史を伝えてくれる。
1953年にボストン交響楽団との録音は52年録音の5番とセットとなっている。このCDは同じ組み合わせのDISQUES MONTAIGNE盤を聴いてしまった後では2番については存在価値は薄れてしまった。1964年のDISQUES MONTAIGNE盤は実演の迫力がところどころミュンシュの肉声の掛け声も入り正に爆演だ。ただボストンとの5番に関しては彼による初演の歴史的価値があるが、演奏はこれまたDISQUES MONTAIGNE盤をとる。ミュンシュという指揮者が実演の指揮者であることがこの2つのCDでの比較で明確に理解できる。ここで聴ける5番はベストチョイスだ。
2番に関しては前後矛盾するが、LPで最初に知ったパリ管との1967年の録音が敢えて順位を付ければベストだろう。ここでのミュンシュは2番全編にペシミズムに支配されたこの交響曲に最後のトランペットに希望を託した解釈が聞き取れる。後に私はパリ管との全録音をまとめたCDを買ったがこの中のどれもがすばらしくミュンシュが偉大な指揮者であることを実感したのだが、なぜか日本での評価が低いのが残念だ。



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