マニャールの交響曲を知ったのは21世紀になってからだ。当時ミシェル・プラッソンと言う指揮者に興味を持ち、彼の指揮したフォーレ、サティー、オネゲル等のCDを漁っていた折に、彼の指揮する売れない作曲家のCDとしてバーゲンに出ていた。プラッソンの名と値段の安さだけで購入した。以来このCDというよりこれしか持っていないのでマニャールの半ば虜になった。なぜこれらの曲を日本のオケは取り上げないのだろうか。まずリズム・ハーモーニー・メロディーの基本が優れしかも循環形式の交響曲だ。ブルクックナーの単なる繰り返しの多用しただけの循環形式とは違う。ブルックナーは作品そのものが最初に書いた曲の循環なのだから。それにしてもコンサート市場における、圧倒的なブルックナーの人気は何なのか未だに理解できない私だ。
皮肉にも、マニャールは第1次世界大戦でドイツと戦い自宅を放火され作品とともに焼死し、残された作品は21だけだそうだ。第二次世界大戦でアメリカ兵に射殺されたウェーベルン同様戦火を生き延びていたらどんな作品を書いただろうかと思いたくなるような、4曲の交響曲の素晴らしさだ。世紀末のパリの恵まれた家庭環境に身を置いただけに、当時の最高級の文化・芸術をもろに吸収した彼の感性は、洗練され「美しさ」のエッセンスが曲となっている。そこには、ワグナー、マーラーの「グロテスク」な部分を切り離し彼らの「美」だけを取り込んでいる。その華やかな展開は、あくまで透明度のある響きだ。
皮肉にも、マニャールは第1次世界大戦でドイツと戦い自宅を放火され作品とともに焼死し、残された作品は21だけだそうだ。第二次世界大戦でアメリカ兵に射殺されたウェーベルン同様戦火を生き延びていたらどんな作品を書いただろうかと思いたくなるような、4曲の交響曲の素晴らしさだ。世紀末のパリの恵まれた家庭環境に身を置いただけに、当時の最高級の文化・芸術をもろに吸収した彼の感性は、洗練され「美しさ」のエッセンスが曲となっている。そこには、ワグナー、マーラーの「グロテスク」な部分を切り離し彼らの「美」だけを取り込んでいる。その華やかな展開は、あくまで透明度のある響きだ。
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