
先日、USAコロンビアレコードで録音された、ブルーノ・ワルター指揮するマーラーの交響曲集、7枚組CDを1689円でHMVのインターネット通販で買った。当時のLP1枚の値段で買えてしまう時代の変化に戸惑いすら覚える。
正直買うにあたってはためらいがあった。「いまさらワルターのマーラーなんて」という思いと、受験の失敗、学生運動、就職とわが青春の負の思い出はすべてワルターのマーラーを聴いていた時代に重なるからだ。
最初のワルターのマーラーとの出会いは1964年のモノLPの「大地の歌」だった。その後はマーラーの愛弟子であったとのことから、当時のレコード芸術で評論家諸氏は家元的評価での絶賛を博していたことからもその影響を受け、マーラーはワルターの思いにかられ、ワルターのLPを求めるのが半ば目的になった。だがしかし、当時の国内盤LPは高価で2,000円以上であった。バイトで稼いだ金を貯め少しでも安く入手しようと、銀座の山野、池袋のヤマハ、WAVEでのバーゲン、石丸電気、御茶ノ水ディスク・ユニオン、神保町のミューズと最新情報を仕入れは、出かけた。したがって入手したのは米国の廉価版レーベルのオデッセイ版であったが、5番を入手した時には冒頭のトランペットに震えるほどの感動をした。
就職してから少しお金に余裕が出来、すぐに求めたのはバーンステインの最初の全集の6番、9番だった。この演奏でワルターの演奏の疑問をいだき、以後レニーの演奏を中心にバブルの時はLDも含めワルター以外のマーラーを聴きほとんどワルターのLPを取り出すことはなかったが、最初の出会いの大地の歌はその後CDを入手し唯一例外だった。ただなぜか、処分をせずに何度もの転勤引越しには道連れにした。
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改めてLP,CDで聞き直すと、あっさり味のマーラーは録音技術の影響によるものと思う。細切れ録音と弦楽の厚みのなさ。マーラー特有の粘着性がすっ飛んでしまった音は、当時の録音撮りにも責任があるような気がする。
しかもLPの4番、5番はモノラル録音を人工的にステレオ化したもので余計薄味が強調されている。
しかし私の青春といえる時期に聴きこんだマーラーであったことはCDもLPも変わりはない音だった。CDによって評価は変わらない。その意味では音楽の解釈に絶対は無く、その時代の演奏家の感性により変わってこそ「音楽芸術」なのだろうと思うし、それを聞く人の感性も変化スルものだろう。
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