6月17日 彦根駅9時05分集合のクラス会旅行に参加するため、前日に彦根入りをすべく、竹生島&長浜観光を思い立った。東京駅9時33分の「ひかり」に乗った。なぜか16号車最後尾だが外人客が多かった。
小田原どまりで、小田原からどっと人が乗り込み満席状態に、しかし名古屋でどっと降りた。名古屋からは各駅停車になるが、米原で私も乗り換えのためにまたどっと降りてガラスすきになった。北陸新幹線の開通だが、福井・金沢にはまだ米原経由の利用価値はあるのだろう、接続の特急は混んでいた。私は15分ほどの待ち合わせで長浜行きに乗り換えた。長浜駅に着くとまずはキオスクで水分と昼飯の手当てと思ったら、7&11キオスクでナナコが使えた。隣が観光案内所で乗船場所の道順を尋ねに入ると、乗船料10%オフの割引券をくれた。竹生島は片道30分で上陸時間80分で迎えが来るダイヤが組まれており、急な階段の上り下りだが、歩ける人ならば十分に回れる仕組みになっている。
乗船客はスーツ姿の年配者の団体客以外は少なく、団体客も一見してどこぞの市町村議員とわかる方たちで長浜市の観光公社の職員がお弁当を配っていた。何を視察に来たのだろうか?。
周囲2キロの小島の中に歴史的建造物が密集しており、現在も国宝の唐門と観音堂が修復工事中であった。機材、人材の滞在等工事の不便さは想像できるだけに、この維持管理は気象条件も重荷で大変なことだと想像できる。その割には拝観料が400円は安いと感じ、船賃往復3000円とはバランスしていないと思う。
15時には長浜港に戻り、近くの長浜城にいった。この城に関する遺跡はほとんどが、彦根城築城時にその工事に使われ現存しないことを知った。現在の城は想像と推測によるものだそうだ。城から出て長浜の街を歩いた。平日の午後人通りもまばらで楽市・楽座の賑わいはない。かつては東海道、中山道、北国街道の交通の要所として、栄えた町だが、人口減少のに対応に苦慮する日本の地方都市のone of themにすぎない様相だった。
長浜は豊臣秀吉ゆかりの地、そして浅井一族、石田三成ゆかりの地。正に日本の歴史転換の一時期この地を舞台に踊った主役たちだ。これら日本史の人物をどのように海外観光客にアピールするかも今後の課題ではないだろうか。日本人の日本の歴史認識こそ急がれる課題だろう。
長浜から、播州赤穂行きの快速に乗った。彦根駅に着くと、所沢に戻ったように、西武鉄道の電車が並んでいた。西武を引退して近江鉄道にトレードに出されたのだ。彦根のホテル屋上から夕焼け雲の下に彦根城が見えた。明日の天気は晴れを確信した。
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