ホテルの朝食は7時、ここでもチャイナパワー炸裂。食堂の過半はチャイナの人たちだった。9時にJRで宇治駅にそこから商店街を抜けて、平等院へ行くと門前にご自宅が宇治にあるとは言え、K大名誉教授に入場制限のある平等院の本堂見学券の手配をお願いしていただいた。なおかつ今日のツアコンをお願いしたのだ。クラス会旅行だからできることなのだ。一通り平等院を回り、本堂入館の予約時間になり、入口に集合すると、我が一団に向かって、係の人が、「日本語のわかる方、通訳の方はどなたですか」と尋ねてきた、我が一団はチャイナ爆買スアーに思われた。一同苦笑い。何か平等院の説明ガイドのイントネーションは北朝鮮のTVニュースアナウンサーの抑揚に類似していたと思ったのは気のせいか。
ガイドさんの説明で「本堂に設けられた丸窓は池を挟んだ対岸から丸窓を覗くと仏様のお顔を拝むことができるのだ」と言われた。ちなみに望遠(換算600mm)で撮ると顔が写せた。
瀬田川が河川修復工事中だったが、この川で夏に「鵜飼」漁がおこなわれ、しかも女性の鵜匠がいるそうだ。なんとなくそのアユが食べたくなった。
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京阪宇治駅から黄檗駅に降りた。菩提樹田んぼの会の会長のTさんのご実家が近いと伺った。「我が家はいつ災害に逢っても自衛隊がそばにいるから大丈夫」と言われたが、駅を降りるとそこは自衛隊基地で、反対側は万福寺境内だった両者に挟まれていれば、逃げ場に不自由はしないとTさんの言に納得した。万福寺の最初の門が小さいので意外だった。在日華僑の信仰を集めているそうだが、我らの目的は「昼飯」だった。禅宗に元ずく精進料理が味わえるということだが、旅行前に昼食コースの選択で投票が行われたが、3000円のコースで正解だった。以前山形で食したこんにゃく料理と同様で、最初のうちは「これ、こんにゃくで作ったの!!」と驚きがあるが、食が進むうちに、「これは本物で食べたいよな?」と思わずにいられなくなる。分量的に3000円コースが限度だろうと思った。
そのあと京阪線で中書島駅で降りて、まずは寺田屋に行く。商店街には竜馬グッツが、そして寺田屋隣地には竜馬の碑が立っていた。?「ちょっと待ってよ。竜馬はどこで死んだの?」寺田屋、池田屋、近江屋?
そもそも京都人は薩長嫌いでは?何しろ千年の都を薩長によって奪い取られたのだから。「それにしても近江屋さんはどうしたのかしら。」と思いながら歩いた。次なる目的地はK酒造での試飲会だが、ここであり得ぬハプニング。わが飲兵衛大酒喰らい軍団に覇気が感じられない。試飲の酒がまずいという。そうでしょう。地方の中小メーカーと仕事でお付き合いした経験から、うまいものは「作り手の情熱に比例する」。先に味わった丹山酒造の酒を旨いと感じ、K酒造の酒をまずいと言うわが友の味覚は正常だ。そしてG酒造の酒蔵見学をパスしたのも正常?。ツアコンS名誉教授に従い伏見城の遺跡がマンション工事現場で発掘されたとの最新情報の現場に、ここであまり日本史に興味のなかった私だが、短期政権の豊臣と長期政権の徳川の相違は、計画性の有無だと思った。それを端的に政権後の秀吉の城作りが示している。それはまた部下の育成も、自前の社員を育てたか、他社の有能社員を引き抜き使い捨てにしたかのの違いにもつながる。そんな思いで説明を読んだ。そのあと明治天皇陵にいった。広大な敷地に残された自然に驚いた。自然保護ボランティアの端くれにいるものにとって、この天皇陵の自然の豊かさには、国家が本気で自然保護に取り組めば効率的な保護が可能だろう思い、今はやりの「ふるさと納税」制度を認めるまやかしを行うぐらいならば、企業の自然保護活動に対する費用を損金処理できるは制度を拡充するとか、自然保護を目的とする農地の取得制限をなくすとか、やれるべきことはあるはずだといらぬことが頭をかすめた。
JR桃山駅にはなぜか「桜」咲いていた。予定より早くに京都駅に到着したことから、予定より1時間早いのぞみに変更し、ひかり組とは京都で解散し一足早く家路に着いたが到着時間はたぶんひかり組より遅いと思う。我が家は東京駅からが遠い。(物理的にも精神的にも)
今回の旅行もクラスの仲間の博学・知識の深さに驚くとともに私のさび付いた脳に刺激をあたえてくれた。このクラス旅行の発起人かつ永久幹事のS君には次回もまたこのような楽しい旅の提案を期待し、心待ちにしている。感謝。感謝の旅だった。
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