京都駅で私と京都在住のK大学名誉教授のS君の二人で本体の到着を待つ。
国鉄からJRの転換は「合理化の連続だ」その中の一つに終着駅の消滅も「有り」だろう。先般東京駅が東北・高崎・常磐・東海道線の乗り入れ工事が終わり、終着駅「上野駅」なくなった。(正確には一部は残るが)そうした中で京都駅はまだ終着駅として山陰線・関空線を抱えている。今日はその山陰線で、9:38分で亀岡に向かった。私にとって亀岡は初めて訪れる町だった。亀岡では、前日亀岡入りしたE君が合流、最初に亀山城を訪れた。明智光秀築城の石碑は片隅に追いやられ、明治に廃城となった際に天守閣の鯱瓦のレプリカが立っていたがそれになんの意味があるか私には理解できなかった。(本物は京都府立医大に現存使用されているとのことだ) 現在は大本教という一宗教法人の本部が置かれているが、その経緯は正直知らなかった。
大本教は我が青春時代に、高橋和巳の「邪宗門」で当時「べ平連」(変換できない言葉になった。)デモに参加していた自分には、主人公出口王仁三郎の「戦争反対」の行動に魅力を持ったが、それも高橋の語りのうまさであった。もともとが「宗教はアヘン」の言葉は絶えず体の中に抱える自分には正直「宗教とは何か」を理解する努力もしていない。今思えば邪宗門にひかれたのは当時の世相とプラハの春・ベトナム戦争に対する、戦争反対 反米・反ソの思いがあったからだ。これは今でも正しい選択だったと言い切れる。静寂の城跡を歩きながら、丹波亀山城の廃城に至る歴史、そして新政府のもとに幕府側という理由で強制的に伊勢亀山との混同を避けるために亀岡に変更された歴史事実に、光秀、徳川、大本教と歴史に翻弄された住民の思いを感じながら歩いた。静寂の木々の中に野鳥を探した。イカルがいた。
城跡を出て、これまたクラス会旅行恒例の酒蔵見学に向かった。H商店街の名が街路灯に掲げられていた。この「H」は何を象徴しているのだ。ほどなく「丹山酒造」さんの蔵へ、飲兵衛大酒喰らいが大挙して無料試飲してよいのかと「飲みたいのに飲めない」飲酒禁止の医師からの通告を受ける身にはつらい立ち寄り先だった。一応南部杜氏の方からの説明を受けた。現役時代秋田、盛岡勤務経験を持ち仕事で数多くの酒造メーカーの方々と交流を持ったわが身には、杜氏のかたの語り口がなんとも懐かしかった。そして蔵を出たところで、クラス会旅行の永久幹事のS君から、今旅行の「メインイベント」雪見船で保津川下りが「悪天候」のため中止との連絡を受けと説明。アポなしで尋ねた「楽々荘」で時間がかかることを了承して「イノシシ肉のパスタセット」を注文し、皆の料理が揃うまで、素晴らしい庭園を回って時間つぶしをした。なぜか試飲が効いたのか、 飲兵衛どももオードブル付きのパスタなのにワイングラスも持たずに食べ終えた。イノシシ肉のパスタセットはパンもおいしくイノシシ肉の味も大変おいしかった。これで2160円は大満足でした。幹事の一声で代替コースは「冬の嵯峨野を歩く」に決まり亀岡駅に引き返した。
嵯峨嵐山駅で下車して落柿舎ー常寂光寺ー御髪神社(若干名の参加者のために育毛ご利益を期待してよったものの、理容・美容師の技術向上祈願神社だった)ー竹林の小道ー野宮神社ー嵐電嵐山駅のコースで冬の嵯峨野を満喫した。常寂光寺は冬の京都の静寂と苔と竹の青さが落ち着きと、渋さを出して素敵な空間を作り出していたが、時はまさに中国「爆買いツアー最盛期」とあって小路はチャイナパワーであふれていた。嵐電、地下鉄を乗り継いで、市役所前の、ロイヤルホテルにチェックインをした。
この旅での一番のハイライトは、京都在住で、修行のかいあって今では名刹の高僧になられたH君の紹介による花見小路のHという京都のおばんざい店での貸し切り懇親会だ。今回も京都の素敵なお店を紹介していただき、素敵なママさんお手料理で、盛り上がった。この席には、滋賀県で小児科医のS君がインフルエンザの流行で、旅の参加はできなかったものの、勤務終了後に駆け付けていただき総勢18名の大宴会となった。若干名が一次会では飲み足らず夜の京都に消えたが、残りは明日の旅路を控えホテルに戻った。私のこの日の歩行数は15000歩ぐらいだった(途中で計測ストップボタンを押してしまい記録は消えた)。
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