TDKオリジナルコンサートのライブCDをHMVのネット通販で買ったとき、私が不在中に佐川急便をカミサンが受け取った。
帰宅するなり「これから何年生きるつもりなの」とのたまった。言われてみればLP,CD,DVD,VHS等あわせれば、1日1時間毎日聞いたとしても30年以上になる。何歳まで聴力を維持できるのか。そんなことからも、とりあえずCDの購入はやめようと思った。そして最後となるべき1枚のCDを何にしようかと思い、カレル・アンチェルの「新世界より」を選んだ。
初めて家にステレオなるものが現れた中学生の時より60歳を向かえる今日まで、理屈抜きにこの曲の「リズム」「メロディー」「ハーモニー」の素晴らしさに素直に感動できる。これまでに何回も演奏会、放送等で聴いてきた曲だが、ボヘミアで生まれ新大陸トロントで没したアンチェルの演奏の素晴らしさを知りつつも、LP時代にも彼の新世界は所持してなかった。
カラヤン=ベルリンフィル
中学時代に最初に出会ったのは1957年録音のカラヤンだった。当時のスーパースターの出現はステレオ録音としての定番だった。その後第一家電(倒産してしまった。)での会員向け45回転2枚組みのLP1977年録音版を手にした。記憶の中ではオルトフォンのカートリッジにカラヤンの甘めな濃厚なメロディーに魅力があった。
サヴァリッシュとセル
CD時代になると怪しげな1937年録音のセルとチェコフィルの演奏に余分な思い入れも無く録音のある種無味乾燥的なドライ感が新鮮さとなったが、サヴァリッシュの演奏を聞くと8番も抱き合わせで900円という値段の安さと、セルの演奏に響きの厚みと透明感、そしてメロディーのくっきり感が倍加された素晴らしさに魅せられた。しかし今回アンチェルの演奏を聴くと、彼の人生の中でのアウシュビッツ体験と1968年の「プラハの春」で亡命した彼の人生が投影されているような思いになり音楽をこえたところでの「美しさ」をこのCDの音に聞いているような気持ちになる。
やはりこのCDはクーベリックの祖国復帰のコンサートよりも素晴らしいと思った。
帰宅するなり「これから何年生きるつもりなの」とのたまった。言われてみればLP,CD,DVD,VHS等あわせれば、1日1時間毎日聞いたとしても30年以上になる。何歳まで聴力を維持できるのか。そんなことからも、とりあえずCDの購入はやめようと思った。そして最後となるべき1枚のCDを何にしようかと思い、カレル・アンチェルの「新世界より」を選んだ。
初めて家にステレオなるものが現れた中学生の時より60歳を向かえる今日まで、理屈抜きにこの曲の「リズム」「メロディー」「ハーモニー」の素晴らしさに素直に感動できる。これまでに何回も演奏会、放送等で聴いてきた曲だが、ボヘミアで生まれ新大陸トロントで没したアンチェルの演奏の素晴らしさを知りつつも、LP時代にも彼の新世界は所持してなかった。
カラヤン=ベルリンフィル
中学時代に最初に出会ったのは1957年録音のカラヤンだった。当時のスーパースターの出現はステレオ録音としての定番だった。その後第一家電(倒産してしまった。)での会員向け45回転2枚組みのLP1977年録音版を手にした。記憶の中ではオルトフォンのカートリッジにカラヤンの甘めな濃厚なメロディーに魅力があった。
サヴァリッシュとセル
CD時代になると怪しげな1937年録音のセルとチェコフィルの演奏に余分な思い入れも無く録音のある種無味乾燥的なドライ感が新鮮さとなったが、サヴァリッシュの演奏を聞くと8番も抱き合わせで900円という値段の安さと、セルの演奏に響きの厚みと透明感、そしてメロディーのくっきり感が倍加された素晴らしさに魅せられた。しかし今回アンチェルの演奏を聴くと、彼の人生の中でのアウシュビッツ体験と1968年の「プラハの春」で亡命した彼の人生が投影されているような思いになり音楽をこえたところでの「美しさ」をこのCDの音に聞いているような気持ちになる。
やはりこのCDはクーベリックの祖国復帰のコンサートよりも素晴らしいと思った。
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