とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

パーヴォ・ヤルヴィのブラームスをミューズで聴く

2016年11月26日 | 所沢ミューズ

 

 久しぶりに、わくわくする期待をもって、出かけたコンサートだった。会場に着くなり、舞台に並べられた楽器配置は、1Vn-Vc-Va-2vnの順で1vn後ろに5台のコントラバス、2Vnの後ろにテンパニのいわゆる古典配置だ。2015年の7月5日に同じミューズで、ミハエル・ザンデルリンクとドレスデンフィルの演奏会で、Beethovenの交響曲7番を演奏したときと楽器配置は同じだった。しかしこの時に演奏したBrahmsの交響曲1番は現代配置に戻して演奏した。その理由は明らかではないが、戻さないでいたならば、今日の演奏との比較ができたのだが。

2015年7月5日のMy Blog 

 http://blog.goo.ne.jp/yyamamot7493/e/13ded7d7d8263552cbc197e513d06a61

最初の3番はそれこそ、昨日のMy Blogで述べたように私の好きな曲だ。今日の3番の演奏は、澄んだ秋空も、木枯らしの寂寥感も、紅葉のある種くすみを帯びた輝きも聴けた素晴らしい演奏だが、むしろ黄昏の中年の哀愁を感じた演奏だった。たぶんに音が意識的に途切れさす演奏で、その余韻のひびきからくすみがうまれ、何とも言えない響きが出ていた。古楽奏法の結果だろうか?

Blogを書きながら2009年に演奏された彼らのBeethovenの6番&7番の交響曲のDVDを観ながらいるが、楽器配置はこの時と変わってはいないし、TV画像に残る演奏者も今日の演奏者に何名かはダブっているが、ミューズの響きの良さもあるのだろう、生と録音の差もあるだろうが、今日の響きは素晴らしかった。 むしろ、3楽章の響きは、甘甘のメロディーにならずくすみを帯びた渋めのメロディーが「黄昏の中高年」の心情にひびく音色が素晴らしかった。久しぶりに味わった満足感だ。

これは前日のBlogで私が推薦した演奏とは趣はことなる。私の推薦版はとにかく弦の音色が素晴らしく、秋の季節感に満ちた演奏であり、ロマンテイックな、それこそ「ブラームスはお好き?」と問いかけられる演奏に対する今日の演奏は真逆な演奏だったが、「黄昏の中高年」の寂寥感を感じた素晴らしい演奏だった

後半の1番は、ザンデルリンクが楽器配置を戻したが、ヤルヴィは継続した。しかも1番の躍動感に満ちた演奏は、リズム感にあふれ、私の居た天井桟敷まで、音圧を感じる迫力で迫ってきた。青春の野心に満ちたブラームスの挑戦状を見事に演じた演奏だった。少し重めのリズムが迫力を生み、木管の音色が見事だった。

所沢ミューズでヤルヴィ+N響で同じプログラムを是非とも聴きたいと思った。

交響曲1番についての私の手持ちは 2015年7月5日に紹介済みです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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