とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

お世話になった読売診療所最後の診察を受ける

2010年08月30日 | Weblog
今日は読売診療所での最後の診察を受けに行った。思えば昭和50年札幌から東京に転勤してすぐに原因不明の鼻風邪になった。
勤務先の診療所の先生は、単なる鼻風邪と断定し、風邪薬をくれた。しかしいつまでたってもなおらない。そこで勤務先から至近の読売診療所に行った。

内科の先生はすぐに風邪の症状ではないと言い切り、耳鼻科の先生、眼科の先生を呼んだ。
内科の先生は、症状はアレルギーにより引き起こされた「日光病」かもしれないと言われ、現在まだ治療法は無いと断言された。
後に「花粉症」として騒がれた出会いだった。

その後通勤途中に激痛が走り、やっとの思いで勤務先にたどり着き、診療所に飛び込んだ。勤務先の診療所の先生は「腸炎」と診断されリンゲル注射をされ、ベットで休んでいろと言った。しかし寝るどころか一向に痛みが収まらない。看護婦さんの制止を振り払い這うように読売診療所に駆け込んだ。内科の先生は症状を見るなりすぐに「泌尿科」の先生を呼んだ。そしてすぐに採尿、レントゲン検査が行われ、結果は一目瞭然だった。「尿路結石」だった。後日先生紹介の病院で手術をした。

そして現在、前立腺癌の手術後、癌研病院で腎機能の衰えを指摘され、かかりつけの医者に見てもらえと言われ、地元の医者に行った。しかし結果は一向に変わらない。降圧剤の量を増やすだけだった。そんなことから現在の勤務先からは離れているが、再度読売診療所に通い始めた。数値的には安定したものになり、これまで薬の種類、量の試行錯誤が効果を上げてきた矢先に、診療所の閉鎖を告げられた。

最後の診察を受け、おふくろの通院の付き添いをするため大宮に向かうべく、大手町から久しぶりに東京駅に歩いた。バブルが弾け、動きが止まった都心部が一気に動き出し、丸の内再開発後のビックプロジェクトとして大手町地区の再開発が進んでいる。旧富士銀行本店は跡形もなくなっていた。また交差点トイメンは新たなビルの鉄骨が組まれていた。



東京駅も歴史的建造物の面影は消えいていた。子供の頃神田のワンパク小僧たちと駅前の銀杏並木の銀杏拾いをした記憶を呼び戻すものはすべて消えいく姿が、読売診療所の閉鎖の報と重なり、自分の生きてきた足跡が消えていく寂しさを強い日差しの中で感じた。




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