8日、連休明けで森は静かになっただろうと緑の森の博物館に入ると、歓迎の歌をキビタキが迎えてくれた。奥に進むとクロツグミがこれまた美声をもって迎えてくれる。いつもは木陰に隠れなかなか姿を見せてくれず、これまでは撮れなかった、この日はここが私の舞台とばかりに現れた。
狭山湖では、堤防遊歩道わきにヒバリが抱卵していた。これまたあまりにも大胆な行動だが、無事ヒナは還るのだろうかちょっと心配だ。見上げると揚げヒバリ。美声が響き渡った。
チェロ奏者カザルスは時のフランコ独裁政権に反対し亡命先で鳥は「ピース・ピース」と鳴くのだと「平和の象徴」として「鳥の歌」を演奏した。戦後70年。忠犬「シンゾウ」は姑息ななし崩し憲法解釈をもって「国賓待遇」と「議会演説」のご褒美で渡米したことをマスコミはきちんと報告すべきであろう。そして戦後70年続いた見掛け上の「平和」について、「9条」改憲か否かの矮小化された議論でなく、日本国が有する「自衛権」とは何かの議論を踏まえ、「自衛隊」そのもののを明確にし、小・中・高校の教科書に先の大戦・大日本帝国の崩壊の戦争責任を明確に掲載できてこそ、世界に日本の歴史認識を示すことが可能だろう。そのうえで必要とあらば憲法を改正すべきであろう。
戦争責任を自国民にも明確に示さず、我らが団塊世代は教科書でも教えられず、我が子の代は「歴史」としての近代史は「NHK大河ドラマ」でしかない。そのような中で、自衛隊の海外派遣の意図はどんなに言葉を費やしても、アメリカ=USA国民ではない=米国資本=ユダヤ資本のイスラムからの防衛番犬にしかすぎぬことを、国際貢献と呼ぶ無理がある。
できることならば死ぬまで鳥の声を聴きたい、爆弾の落ちるところで鳥の声は聞こえない。 狭山丘陵は、横田・入間の戦闘機専用の飛行場に囲まれている。その意味でも戦後70年の意味をもっと教育の場で議論を深めるべきであろうとおもいつつ狭山丘陵で鳥の歌を楽しんだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます