大晦日のベルリンフィルのジルベスターコンサートは毎年テーマが決められ面白いコンサートになる。今年はロシアがテーマでボロディンの交響曲2番がメインに置かれた。いつもラトルの音楽は新鮮だ。それに引換え、ウィーンのNew Year は紅白同様偉大なるマンネリだ。それでもカラヤン時代のカスリーンバトルの歌う春の声は印象に残る。しかしカルロスクライバーの演奏を聴き、そのLDを購入してからはジルベスターほどには興味を持たなくなった。ウインナワルツはクライバーで十分だ。
今年の指揮者がジョルジュ・プレートルだとレコード芸術の新年号で引き受けた経緯のインタービュー記事を読み興味を持ったが、結果は残念ながら、80歳を過ぎてまで彼が振る意味があったのかと疑問が残った。
彼の音楽は割りと好みで、カラスが残したステレオのトスカ、カルメンでの彼の指揮また、ドミンゴとの道化師、カバレリアの正にドラマティックな音つくりは、彼によるまだ聴きたいものが残っている。
何よりも彼によってプーランクを知った。粋でいながら何か怪しげな猥雑感の漂うプーランクの音楽の面白さを知った。牝鹿をはじめ作曲者自身のピアノによる2台のピアノ協奏曲、およびクラブサン協奏曲の聴ける2枚組は今もってベストと思う。
後にフランスのエスプリと名付けられたシリーズの中にオーバードとピアノ協奏曲それに人間の声と電話は正にエスプリだ。これは2台のピアノ協奏曲ともども幸いに映像でも見られるが、正にアーカイブの名演だ。プーランクのオペラをはじめ未録音がまだ残っていることを思えば、ワルツを振っている場合じゃありませんよ、プレートルさんと言いたい所です。
彼のエスプリシリーズの中に実演を聞いたことの無いE.A.ポーの小説を題材としたドビッシーのアッシャー家の崩壊、キャプレの赤い死の仮面、シュミットの幽霊屋敷が納められた1枚がある。ここでのプレートルの感性はワルツの粋さとは違うずれを感じたのだが。ある意味ウインナワルツはクライバーの死で終わってしまったのかもしれない。それにしても、プレートルにはフランスのエスプリを望みたい。
今年の指揮者がジョルジュ・プレートルだとレコード芸術の新年号で引き受けた経緯のインタービュー記事を読み興味を持ったが、結果は残念ながら、80歳を過ぎてまで彼が振る意味があったのかと疑問が残った。
彼の音楽は割りと好みで、カラスが残したステレオのトスカ、カルメンでの彼の指揮また、ドミンゴとの道化師、カバレリアの正にドラマティックな音つくりは、彼によるまだ聴きたいものが残っている。
何よりも彼によってプーランクを知った。粋でいながら何か怪しげな猥雑感の漂うプーランクの音楽の面白さを知った。牝鹿をはじめ作曲者自身のピアノによる2台のピアノ協奏曲、およびクラブサン協奏曲の聴ける2枚組は今もってベストと思う。
後にフランスのエスプリと名付けられたシリーズの中にオーバードとピアノ協奏曲それに人間の声と電話は正にエスプリだ。これは2台のピアノ協奏曲ともども幸いに映像でも見られるが、正にアーカイブの名演だ。プーランクのオペラをはじめ未録音がまだ残っていることを思えば、ワルツを振っている場合じゃありませんよ、プレートルさんと言いたい所です。
彼のエスプリシリーズの中に実演を聞いたことの無いE.A.ポーの小説を題材としたドビッシーのアッシャー家の崩壊、キャプレの赤い死の仮面、シュミットの幽霊屋敷が納められた1枚がある。ここでのプレートルの感性はワルツの粋さとは違うずれを感じたのだが。ある意味ウインナワルツはクライバーの死で終わってしまったのかもしれない。それにしても、プレートルにはフランスのエスプリを望みたい。
ほとんどの人が好意的に感じているけど、中には批判的な人もいるんですね。
でも自分のきもちを素直に表現するのは悪くないですよ。