とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

病院で聴くマーラー9番

2008年12月08日 | クラシックCD


手術後1年経過したが転移の可能性を否定できない数値が続くこと。健康診断の結果で異常値がでたことから主治医の先生の配慮で、朝1番の9時と終了リミットの4時に骨シンチとCTスキャンの検査時間を取っていただき1日で済ませてくれた。
癌研での検査予約を取ることの困難は手術前に経験済みだ。
今日診察受付の時刻8時30分には受診登録機の前は長蛇の列だ。皆朝何時に家を出たのだろう。癌研では音楽と本は必携だ。今日も充分過ぎるほど、本読み時間と音楽を聴く時間はあった。
癌だと判明した検査を受けたときには、マーラーの「大地の歌」をザウルスに入れ込み聴いていたが、今日は縁を担いでマーラーを避けようと思ったが、晩秋にはマーラーが似合と出張の時に入れ込んだSDカードをそのまま持参した。
マーラーの9番は大地の歌についで好きだ。したがって手持ちの数も多い。正直に言えば9番はバーンステインとNYの最初の録音が好きだ。しかし今日は1967年のコンドラシンとモスクワフィルと75年のクーベリックとバイエルンの何れも東京LIVE盤を持参した。この2枚は対照的だ。世評でも評価は分かれる。
だがどちらもLIVEの持つ熱気が感じられる。しかしここに感じられる聴衆の熱気は日本のマーラーの受け入れの歴史の差となって残された。
私は、コンドラシンの一気呵成に終楽章に驀進する迫力に圧倒される。ここには録音の瑕疵など飛んでしまう。マーラーのペシミズムの集成とされる9番はここでは生への強い執着心として表現される。熱き演奏だ
クーベリックには淡々としてマーラーのペシミズムを表現し冷静に進め終楽章に至って一気に爆発させて見せる鮮やかさが魅力だ。しかし全体にはクールな演奏だ。どちらもマーラーの魅力を出している。



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