とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

落語ブームと言うけれど

2009年01月24日 | Weblog
昨日は午前中は高血圧の指摘で、某新聞社の診療所に行ったところ、超音波検査を受けることになり出向いた。この診療所は私の信頼している診療所で自分で疑問を生じた時には行くことにしている先だ。唯一のここの欠点は待たされることだ。当然社員優先で部外者の私は劣後にされる。しかしここの医者はどの科の医者も充分な説明をしてくれる。
今回の結果は夏の人間ドックの結果に対しての疑問の回答を得るため行った。高血圧は頚動脈に動脈硬化が見られることから要注意勧告で塩分摂取の禁止が言い渡された。胆嚢ポリープについては微妙な状態で要経過観察が言い渡され3ヶ月ごとの検査となった。
暗い気分で午前の部を終え、午後の癌研での治療に向かったが少し時間が空いたことから東京駅の丸善に行った。
我ら団塊世代に向けての企画か、落語関連コーナーが大手書店で設けられ賑わいを見せている。丸善も例外でなく各種揃えてあったが、サライのバックナンバーもそろえてあった。そのおまけがなんと大看板の3人志ん生、正蔵、文楽が1枚のCDに収められていた。サライも正直、広告を有料で売るみたいな中身の濃さがない雑誌に思え、あまり注目はしていなかったので、新刊のときは見過ごしたが、丸善の展示に魅かれかってしまった。そもそも丸善に行った目的はハヤカワから出た「深海Yrr」だったが、丸善のディスプレイについ手がでてしまった。
病院での診療待ちには「深海Yrr」に引き込まれたが、帰宅後すぐに附録のCDを聴いた。結論的には時代を超えて残る芸はそう多くないことを感じた。ただこの1枚のCDで判断はできないが、すくなくとも志ん生以外は話のテンポが私には合わない。話芸としての価値だけをみれば、「厩火事」は志ん朝、「火事息子」は圓生だと思った。音楽もそうだが、解釈芸術は一人傑出したものが出るとあとはいらないと思う厳しい世界だとつくづく思った。名人と言われた正蔵、文楽だが、実演はともかく話芸としては残された比較でいけば志ん朝、圓生があれば足りる世界に思える。ただ志ん生を超えるものがあるだろうか?、それにしても志ん生の枕はいいなー。


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