とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

雨の日は オペラ  2014バイロイトのタンホイザー

2014年10月23日 | オペラ

 今日は朝から雨、しかも寒い。部屋に引きこもり、NHKのBSを録画した今年のバイロイト音楽祭のタンホイザーを見た。今年の評判はニュースで知ってはいたがそれにしてもひどすぎる。100年たてば演出の種も尽きてしまい、だからと言って改作までもが許されるのだろうか。ここまで来ると「西欧のたそがれ」を実感する。

 オペラも歌舞伎も時代情勢も経済情勢もほぼ同時期に勃興した「娯楽」だ。しかも王候貴族のごらくではなくブルジョワジーの台頭により生まれた「市民」の娯楽として発展した。時代が経過したから「古典芸能」=芸術」となるのではなくあくまで根っこは「娯楽」が基本だろう。古典を現代にアピールする主張は原作を伝えることがあってのことで、原作を壊すのであれば、それは著作権の侵害だろう。著作権切れであればすくなくともワグナー原作による某だれだれ改作「タンホイザー」というべきものだろう。それにしても、どこぞの国が「歴史認識」をわが国に迫るが、西欧社会は第三帝国の亡霊をワグナー音楽に押し付けなければワグナー音楽が理解できないほど感性を失ったのだろうか。美しくない舞台はそれだけでマイナスだ。

 まだパドリッサの「スターウォーズ」的リングの演出のほうが「古典芸能」を現代にアピールする意図が理解できるが、毎年繰り返される第三帝国の亡霊に呪われた演出に拍手する観客の歓声には「西欧の黄昏」を感じただけだった。一人ヘルマン役のヨン・クワンチェルに毎年舞台に存在感をしめし東洋の日の出を感じた。

私の手持ち

音だけでは全曲は所持しないが、ハイライト、序曲は好きなワグナーだけに結構ある。しかし全曲は「絵のないオペラはオペラでない」が基本ゆえ下記のみ

ワグナー兄弟による演出は、私のワグナー理解の出発点。兄ビーラントほど才能には恵まれなかったウォルフガンクだが、兄の遺産を引き継ぎシンプルな舞台に中央の円形舞台を生かしての演出が「古典的」安定感を生んでなじむ舞台になっている。その演出にシーノーポリの繊細流麗な音の流れが、「ロマン派オペラ」を作り出し舞台と音楽が上手く融合し大きな不満はないが、主役のタンホイザー、エルザがmade in USAですでにこの舞台にも「西欧の黄昏」が出ている。1989年の録画でしかもパリ版ではなくドレスデン版との折衷のようだが、シノーポリのトリスタンを観たかったが、叶わぬこととなった。

 NHK-BSをビデを録画したが、私にはハリークプファーの演出が限界か。序曲後のベーヌスベルグの場面では、NHKの放送では限界すれすれの場面を照明の暗さで逃げるこの演出家の過激さが出ているが、音楽を邪魔する演出ではなく、ストーリーの流れは壊さずに中世の世界を現代世代に置き換えての解釈の許容範囲に収めたものだ。しかしこの舞台は、ルネ・コロあっての舞台で、むしろシノーポリ盤でこそコロの声が聞きたかった。でも全体としてみれば楽しめる舞台だと思う。

それにしてもここ数年間楽しめるバイロイトに出会えないのはさびしい限りだ。

 

 

 



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