とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

都心に出るのは病院通い。 神田の街の昭和が消えてゆく。でも残ってほしい神田がある。

2014年02月01日 | 都心に出るのは病院通い

 今日は、月1回の検診を受けている先生のところに、普段は平日だが、いつも混んでいてじっくり相談できないので土曜日に出かけた。

 思っていたより混んではいたが時間はいただいきいろいろ話を聞いてもらい、脳ドックでの結論をみることになり予約をしていただいた。そんなことから、予定した時間をかなりオーバーしてしまった。

 終わって「ホビーワールド」に鳥見人仲間から頼まれた本の調達をかね、店員さんと鳥見談義で時間をつぶし、ちょうどお昼になったので、「いもや」へ行った。運よく1席空いておりすぐに座れた。定食に季節もののメニューにカキ2個150円を追加してしめて750円。ネットでの評価は星3つ半だがどんな人間の評価なのだ。この値段で山の上ホテルで何が食えるのか、星5つのてんぷら屋が知りたいと思った。私には総合評価では文句なしにトップだと思う。私が通っていた淡路町の「いもや」が店を閉じて久しい。庶民のための天麩羅屋の最後の砦はここの「いもや」だけになった。いつ行ってもここのご夫妻の手際良さとコンビネーションには驚く。これだけはどんなに機械化で合理化された「てんや」でも真似はできまい。神田で残ってほしい庶民のための名店だ。

 さぼうるに出向いたら行列だった。学生時代からの店で卒業後も神田で集まると必ず最後による場所だが土曜のお昼も行列なのには驚いた

  

前回は東京堂の雑誌店が閉鎖されたのが驚きだったが、小学館がニュースでは知っていたが現実に建物が消えてしまったのを見ると、昭和は確実に消えていくこと知らされた。すずらん通りもコンビニ通りになり「はちまき」の隣にはホテル建設の表示張られた塀で囲まれていた。神田神保町のランドマーク三省堂が何かさびしげに思える。生まれ育ち、通い詰めた町が、日本のまちのOne of them になり「神田の本屋街」が電子ブックとともに、消えゆくのだろうか。

 ソチオリンピック開幕がせまるなか、小川町のスポーツ店街には「オリンピック」を示すものもなく、人通りも少なかった。確実に「神田」の街は不動産屋にとってはバブル時同様、丸の内の延長線でしかないのだろう。街が個性を失う、特に東京の街は銀座、日本橋、神楽坂、と「らしさ」を失い棲分のない街になりそれとともに、「昭和」も「ぶらタモリ」のような発掘しなければならない時代になるのだろう。 さびしいーーーーな。

私も「介護保険」受給者であることを思い知らされたのです。

 

 



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