
21世紀を迎えた時に、20世紀の生んだ名曲は何だろうと思った。出てくる曲は第二次世界大戦の前に作られた曲が多い。バルトークにしても、シェーンベルクにしても戦前の曲の方が優れている。20世紀の息吹に「新しい芸術」の流れが、第二次世界大戦で断絶されたかのように、そして新しい「クラッシック音楽」の才能の芽が摘み取られてしまった感じをうける。
戦争最中に書かれた曲で思い浮かぶのはショスタコーヴィッチの7番の交響曲が有名だ。

これとて作曲された環境説明があっての名曲の感がなきにしも????。むしろ彼の交響曲では1番がまたピアノ協奏曲1番が群を抜いて光っているし、オペラ「鼻」のまたバレー曲「ボルト」の時代を見る確かな目を持っていたが、7番では時代の重圧は創造性を押しつぶしているがこの曲には時代を見る感性がいきているし、レニーの演奏にはその感性を共有する熱き思いを感じる。
しかしこのところ聴き続けてきたマルティヌーの音楽では1枚のCDに彼の大戦中にナチに消滅させら村へ捧られた「リディツェの追悼」と反ナチ義勇軍へも「野のミサ」もニュース映画のバックミュージックでありプロパガンダ音楽に終わってしまっている。反面同じCDに含まれる交響曲4番では終戦の喜びが表面的な明るさだけが強調され深い感動と平和の喜びを感じないのはなぜなのか?演奏のせいなのか、それともマルティヌーの音楽そのもの弱さなのか、私は弱さだと思う。
ショスタコーヴィッチ 交響曲7番 L.bernstain=NY Phi
マルティヌー J.ベロフリューベック=チェコフィル
戦争最中に書かれた曲で思い浮かぶのはショスタコーヴィッチの7番の交響曲が有名だ。

これとて作曲された環境説明があっての名曲の感がなきにしも????。むしろ彼の交響曲では1番がまたピアノ協奏曲1番が群を抜いて光っているし、オペラ「鼻」のまたバレー曲「ボルト」の時代を見る確かな目を持っていたが、7番では時代の重圧は創造性を押しつぶしているがこの曲には時代を見る感性がいきているし、レニーの演奏にはその感性を共有する熱き思いを感じる。
しかしこのところ聴き続けてきたマルティヌーの音楽では1枚のCDに彼の大戦中にナチに消滅させら村へ捧られた「リディツェの追悼」と反ナチ義勇軍へも「野のミサ」もニュース映画のバックミュージックでありプロパガンダ音楽に終わってしまっている。反面同じCDに含まれる交響曲4番では終戦の喜びが表面的な明るさだけが強調され深い感動と平和の喜びを感じないのはなぜなのか?演奏のせいなのか、それともマルティヌーの音楽そのもの弱さなのか、私は弱さだと思う。
ショスタコーヴィッチ 交響曲7番 L.bernstain=NY Phi
マルティヌー J.ベロフリューベック=チェコフィル
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