このメンバーで一昨年(2015年7月5日付けBlog有り)のコンサート特にベートーヴェンに感激したことから、再度の来演に発売と同時にチケットを購入した。しかも今回は私の好きなブラームスでしかもSym No.1は前回の再演だ。
しかもチケット前売り時にリハーサルに立ち会えるおまけつきだった。リハーサル開演15分前に並んだ。しかし期待した曲作りは、「仕上がりが良いのでリハーサルは短縮する」との事前説明で、ちょっとがっかりしたが、プロオケの演奏本番前の雰囲気は十分味わえた。しかも本番前のオケメンバーの音作りの過程はそれなりに、理解できた。しかもリハーサルで今日の演奏曲目の1番と4番で、コンサートマスターとティンパニー奏者が変わることを知った。
作曲年とは逆に前半は4番だった。出だしからこの演奏は私には拒絶反応だった。ブラームスの交響曲は全4曲ということもあって、様々なたとえがある。ある人曰く、「春夏秋冬の四季」に例え、またある人は青春・壮年・熟年・黄昏と人生に例える。人生はそもそもブラームスの歩んだ作曲年代を反映するのでそのものだろう。演奏曲順の意図は誰の考えだったのかも知りたい。もしそれが指揮者ザンデルリンクであれば、指揮者の今日のコンサートは、オーケストラの音圧の自己主張を強調してお開きにしようという意図だったのだろうか。しかも4番と1番ではコンサートマスターを替え、ティンパニー奏者を変えたのも、ただ労働協約に従っただけの事なのだったのか?
ブラームスが意図した、1番のピアノ協奏曲を改変してまで、世界に自己アピールをせんがために交響曲をもってして世に認めてもらいたいとの自己顕示欲をかきたてた曲と、時代の流れに逆行してまでバッハへの畏敬と古典への傾注し、ドイツ音楽の源泉に向かった4番が、同じ響きであるはずがない。しかし今日の演奏ではその差異はなかったし、かえってオケの粗さが目立った。
前回は、ベートーベンとブラームスの差異を楽器配置と、オケの人数で響きの差別化を図ったが、今回は、コンサートマスターとコンサートミストレル、そしてテンパニ―奏者の交代がを期待したが出てきた響きに変化はなかった。
今回このオーケストラから聴いた響きは、老若半々のメンバーの音は、発展途上中の過渡期とみるのか、単なる若手にとってのキャリアーアップのステップ台なのかわからずじまいに会場を後にした。
(私の手持ちあれこれ)
好きな曲だけに、どちらも30種を越す。LP時代からから聴き続けておりメディアがCD-DVD-BR-PCAudioと変遷する中、数少ないメディアの変遷を追っかけて聴いている曲だ。
・親父との比較 クルト・ザンデルリンク+シュターツカペレ・ドレスデン:
この響きに到達するオーケストラは、おそらく今後あり得ないだろう、1990年に消滅したドイツ民主共和国の墓碑銘
・ブラームスの人生の投影 サー・ジョン・バルビローリ+ウィーンフィル
1番では物足りなさを感じるが、4番の寂寥感はこの演奏を上回るものはないと思う。
・私の好きな指揮者
シャルル・ミュンシュ:
①1966年10月20日 東京文化会館でのLIVE 交響曲1番:この時NHKは実況録画したが、当時ビデオテープ代高価なため、このテープを使いまわししたため、1楽章部分が欠落した。それでも残された部分だけでもミュンシュの素晴らしさは伝わると二束三文でもらい受けたEMIが1楽章欠落のまま、市販した。演奏中に吠えまくる、ミュンシュの爆演が映像として残された。
②1968年1月8-12日 交響曲1番 死の直前の録音ミュンシュの遺言。私はこの演奏の二枚組45回転LPを所持しているがこれは私の宝物。傷だらけの演奏だがこれを凌駕するものは見当たらない。
③1958/11/06=Sym No1 ④1958/10/27=Sym No4 どちらもミュンシュの最初のステレオ商業録音。ミュンシュの演奏としては平凡かな?
⑤1961/11/07=Sym No1 1966/02/03=Sym No.4 どちらもStereo Live でミュンシュの演奏を聴くには③&④よりは面白く、ミュンシュの本来の姿が味わえるがNo 4はオーケストラが客演のロスアンジェルスフィルゆえに、面白味は少ない。
⑥1962/12/20 東京文化会館での日フィル定期演奏会50回の記念コンサートでのSym No.1。フジTVがNHKでのテープ修正を施しBSFUJIで放映されたのを録画したもの。当時の日フィルの頑張りがうかがえる。
⑦1961/10/31=Sym No1 No⑥との比較でミュンシュの爆演のすさまじさの日米の差が歴然と見える演奏。私のお薦め。
イーゴリ・マルケヴィッチ
ミュンシュの残された演奏が1番が4番より多いのに反し、マルケヴィッチの演奏は4番が多い。ミュンシュの演奏が感性に赴くままの演奏に対し、マルケヴィッチの演奏は冷静な分析力をもって進み相違の表れが1番と4番の両者の結果と言えるのか。
①ドイツグラモフォンが、版権を有する録音をまとめた中にSym No.1とNo4が含まれていた。
Sym No1は1955年にトスカニーニが引退したため解散したNBC交響楽団が再結集して設立したSym of the airを1956/11/19-21に商業録音として指揮したもので、彼の明晰な分析力で音楽を再現している。また1958/11/20-24録音Sym No.4は、フランス2流のオーケストラと言われたコンセール・ラムルー管弦楽団を、蘇生させその後の一連の録音の中の一つだが、彼の分析力が見事なまでに生かされた、名演だと思う。マルケヴィッチは、第二次大戦中はイタリア共産党員としてパルチザン活動を行い、戦後も、共産党支持を明言したことから、メジャーオーケストラのスポンサーの反感を買い、彼の活躍の場は、彼の才能を必要とした、明日を目指すオケと当時の共産圏のオーケストラに限定され、現在入手可能なものもその手のオケのいわば海賊版まがいのものしかないのが残念でならない。
②1960/11/25 ソ連国立交響楽団とのSym No.4 フランス語が理解できないため詳細は定かでないが、モスクワでのコンサートの放送録音が音源だが、録音状態は聴ける程度のもの。ただここでも彼の曲への分析は見事だ。
③1959/10/12 イタリア放送協会トリノ交響楽団 ソ連交響楽団よりさすがにお国柄か、音楽の流れは軽快だがブラームスの、分厚い音とはちょと違うそこがイタリアなのか。
④1968/03/21 日本フィルとの157回定期演奏会 ミュンシュ同様にBS FUJIの放映を録画したもの(DVDで保存)
この年私はこのコンビでのベートーヴェンの第五番 運命を旧NHKホールで聴きマルケヴィッチの演奏にとりことなった。
⑤1957/02/07 Orch de Radio-Canada 演奏。 此のマルケヴィッチの録音・録画を見ると彼が世界的な指揮者だったことが理解でき、その中に日本が含まれていたことを知る。今彼はその歴史に埋まり、半ば過去の人として半ば忘れかけた存在では あるが、残されたものを聴くと彼の作曲した曲も同様だが、忘れ葬り去られることには抵抗を感じる。
それにしても、わがNHKのミュンシュ最後の来日演奏のビデオテープを、保管出来なかった、「日本放送協会」の体質に今もって悔やまれるし、番組審査員を名乗るうさん臭い御仁の存在に、イヤーな予感を感じる今日この頃でもある。
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