先日の正月の墓参りの帰りに買い求めた前売り券で、池袋演芸場に行った。下山口発10:21分に乗り西所沢駅で急行に乗ったが池袋手前で電車がストップ。「13日の金曜日か?」と思ったがほどなくして踏切内でのトラブルとのことで少々の遅れで池袋駅到着。寄席での昼飯、夕飯二食分の調達に、池袋西武のデパ地下に行く。昼飯用に私の好きな深川太郎の「深川めし弁当」と夕飯用にまい泉の「ヒレカツサンド」を買って会場に行くと当日券を求め行列ができていたが、前売り券は開場めの11時45分に入場ができ2列目の中ほどに座席確保し、前座の落語を聴きながら昼飯を食べた。演芸場は立ち見が出るくらいの満席になった。番組表を見ると当初予定の柳家三三が柳亭左龍に変更になっていた。三三に期待していただけにちょっと残念。
昼席は、花緑、市場、小三治と先代小さんの流れを継ぐ世代の代表が顔をそろえただけに満員で当然だが、小三治の衰えは隠しようがなかった。しかし夜の部は、正直寂しいものがあり、100人の会場が埋まらない時代になった。常設寄席小屋が、都内に4つしかないのに、埋まらない。私が育った昭和の時代は、テレビ、ラジオでの落語番組を聴いて、見て育ったが、今日の高座で桂文楽が語るにはその当時は落語家は100人に満たなかったそうだ。ましてや大学卒業した落語家は皆無だったそうだ。だが現在は、落語ブームに乗って、しかも日大芸術学部を筆頭に大学の落研からの参入で大卒落語家が主流でしかも落語家の人数は江戸時代以来最高の800人(週刊ダイヤマンドより)の数だという。
古典落語の世界は、貧乏江戸っ子が主役で、江戸弁が地方の方言を笑い飛ばす、地方から上京した武家社会への反逆文化だったものが、明治が遠くなった昭和の時代にも引き継がれ、薩長閥にとってかわられた東京への抵抗文化の一つとして、東京の寄席は、下町言葉の世界だった。 東京の固有文化は「寄席小屋」だが、今の時代は落語のLiveを聴いた人は、圧倒的に市町村ホールでの「ホール寄席」が多数派だろう。
平成30年を区切りに新たな年号がとりだたされてきた。それこそ、「昭和は遠くなりにけり」の時代になった。それとともに、寄席小屋は生き残っていいけるのだろうか?
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