とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

高校クラス会旅 その4 明治村 ジジババの修学旅行

2019年06月03日 | 高校クラス会

 ホテルロビーに全員集合、ここで、我らが旅行の名手配師、U君が、母校全体の同窓会の仕事のために戦線離脱、いつも無理難題を押し付けながら、楽しいクラス旅プロモートしていただき、感謝・感謝。

 ジジババ軍団一行は、ホテル裏手の衣料問屋買いを抜け、ラッシュ時間の過ぎた名鉄岐阜駅に。そして前日乗った逆コースで犬山駅に、そこからバスで明治村に行った。ここで疑問がわいた。合理主義者の名古屋人・その最たる名鉄のバスが、バス賃清算にICカードが未導入だった。疑問に思いNet検索すると名鉄バスはICカード導入済みとなっていた。改めて当日乗ったバスの時刻表を見るとバス会社は名鉄系列の「岐阜バス」だった。それにしても、乗降客の繁閑の激しい季節性こそIC化のメリットと思うのは都会人の発想で、行楽に訪れる地方の人がICカードの所持率が低ければ関係ないことなのかもしれない。しかし会社経営からすればIC化は避けられず、時間の問題化もしれぬ(閑話休題)

 明治村は初めてだった。広大な敷地に「明治」をキーワードで個人の別荘から、銀行、学校と、本来ならば、現地での保存がふさわしいのだろうが、狭い日本での地価高騰では、維持管理は不可能だろう。それを遊園地化した発想には、驚嘆した。T電鉄の「XXワールドスクウェア」や「XX江戸村」に比較すれば社会的、文化的価値は比較にならないだろう。Netで調べればわかることで、ないものねだりだが、展示物についての解説がもう少し学術的な面でのアプローチがあればと思った。

 時間的制約もあって、個人的な趣味優先で鉄ちゃんに特化した。なかでも動態保存された京都市電とSLは最優先だった。

1912(明治45)年に米国ボールドウィン社にて製造され、1913(大正2)年より富士身延鉄道にて富士-大宮町(現:富士宮)間において運行。1936(昭和11)年、日本鋼管鶴見製鉄所(現:JFEエンジニアリング㈱鶴見事業所)に移籍・使用した後、1973(昭和48)年、明治村に譲渡された。

 

三等客車ハフ11・13・14

明治村で使用している客車は3両あり、そのうちハフ11は青梅鉄道で「メ4」として使われた後、大正13年に山形県高畠鉄道に譲渡され「ハ2」となり、さらに昭和11年秋田県雄勝鉄道で「ハフ11」として使用された。また、ハフ13・14は新宮鉄道で使用され、同鉄道の国有化に伴い鉄道省の所属に、その後昭和17年ハフ11と同様雄勝鉄道に移り、「ハフ13・14」となった

京都市電の説明はあったが、現在園内で使用中の電車については詳細説明はなかった。しかし動態保存で108年経過の現役電車に乗れたのはうれしかった。

特別展示として「名電1号型」の明治40年台まで名鉄市内線として走り、その後札幌市電として活躍、今回特別展示と里帰りしたのに遭遇した。

この日は、SL,市電乗り放題1日券を購入したがどちらも全線走破はしたもの乗り放題ではなかった。時間がたつのは早く感じたのは、自分としては大いに楽しんだ証でもある。来た道を犬山に戻り犬山15:07分の特急で名古屋に着いた。いつも思うのだが、名鉄、南海の特急は「一部有料着席券」制度がある。我が地元の西武鉄道を見れば平日の昼間、西武特急はいつも空気を運んでいる。しかもこの時間帯の西武秩父方面へのアクセス数は極端に少ない。この制度を見習ってほしいものだと思う。名古屋へは15:32到着、駅で一端、土産購入時間を設け、地元T君が推奨し前回満杯で断られた店に再チャレンジ。何とか全員収まるスペースを確保し、恒例の「クラス会旅打ち上げコンパ」と相成った。

 

T君から旅行前に「犬山城と岐阜の城」「鮎料理七選」「鵜飼と鮎漁」「明治村と時代村」と題された、冊子をメールでいただいた。この短い文章の中に、学者としての問題点の把握、教育者として説明の分かりやすさ、経営者としての合理的な思考が詰まっている。今の永田町住人にも皆無の人材だ。その彼も現役をリタイアーすると聴く。

 クラス会旅行参加者に現役組が消え去ろうとしている。しかし今後のクラス会旅行も彼のような視点で臨めば、単なる敬老会旅行にならず、「発見」に満ちた老化防止効果と燃え尽きる前の彗星のような輝きを得られるのではとの「幻想も」湧き、次回旅行を目標に「健康管理」にも力が入る。そして人生は気合だ! 次回旅行も参加するぞ!するぞ!!!!。

 帰宅はすべて順調で新幹線を品川でおり、山手線、西武線と混雑も避けられ所沢の山奥に22時30に到着しました。

 

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