先日、我が高校の卒後50周年の記念同期会が行われた。その同期会に参加できなかったU君に連絡を取り、お互いの中間点とも言える新宿で、3年ぶりに逢った。待ち合わせ場所は、新宿駅西口交番前。平日のお昼にここで待ち合わせをするのは我ら、年金生活者か。団塊世代が固まっていた。時間道理に落合、私の提案で、新宿三平食堂に行った。学生時代、よく通った店なのに、タブレットを頼りにたどり着いた。
お互い期せずして高校入学時のクラス担任先生を真ん中にした集合写真を持参した。U君とは、高校2年の時に二人で、世の中が、「日韓条約」「沖縄返還」をめぐって動いているのに、無関心でいていいのか、との思いで、新聞部は何も触れずにいるのがおかしいと、二人で独自に壁新聞を作り、早朝に登校し張り出したが、すぐに出勤した教師に見つかり、はがされ、職員室に呼び出され「今後このようなことをしたら、親を呼び出し、退学させるぞ」と脅され、まだ知識不足もあって、教師とまともに議論もできずに、屈してしまった思い出が残った。その後U君とはお互いのライバル校へと進学し別れ、お互い大学では、それぞれに政治に関わった、卒後U君はメーカーに私は金融に職を求めお互い転勤族で、逢う機会はなかったが、たまたま私が秋田、U君は山形で単身赴任生活の時に田沢湖で再会した。高校のクラス会は3年時のクラスゆえに、U君とはクラス会では会えず、その後にあったのもお互いが東京勤務の時にしか会う機会がなくなったが、それでも続いているのは、青春の一時期に、同じ問題点で世の中に目を向けていたことだった。
お互い現在は、癌の手術を受け、まだ病院に通院する身で、「癌友達」として続いている。
その後新宿で再会を約して別れ、それこそ久しぶりに紀ノ国屋に立ち寄った。本屋は行きつけの本屋以外は捜すのに手間取る。結局紀ノ國屋でも見当たらず、あきらめタワレコの新宿店に寄り「Intoxicate」をもらいついでに付録に、魅かれて雑誌「レコード芸術5月号」を買って帰宅した。5月号は創刊800号の特集記事に付録は創刊号の復刻版であった。
高校時代は、図書館にあった「レコード芸術」は欠かさず読んでいた。いつのころからだろうか、読むのをやめた。現在では、新年号の付録が欲しさにその時だけ購入はするが、中身はあまり読むところがなくなった。高校時代は、Lpの値段が高く雑誌の評価を参考にして購入していたが、大学に入ると、海外雑誌が読める環境を知り、この雑誌の立ち位置があまりにもレコード会社の宣伝記事等しい、LPの販売促進に偏ったモノであったことを知ってしまった。そのもとはまさに今回付録の創刊号の復刻版のレコード会社あっての雑誌の立ち位置が明確であったことが分かった。その意味では無料のIntoxicateの定員さんが売りたいモノを紹介する方が納得できる。
高校卒後50周年を迎えたが、この半世紀は、まさにデジタル時代の半世紀だろう。大学の教養課程でコンピューターを知り、NECのPC6001が国産最安値のコンピューターということで発売後即入手した最初のパソコンだった。ただ音楽に関してはCDの発売当初は、利便性は認めるものの、その音になじめず、LP派だった時代は長かった。最初に購入したCDが思い出せない。ただCDになったことから、我が音楽コレクションは飛躍的に増加した。
転勤族で、住まいがウサギ小屋ではLpを聴く環境が確保できないが、CD時代は家で聴くより通勤途中、特に出張の多かった仕事ゆえに出張中にはソニーのCDワォークマンは欠かせない備品だった。そしてCD時代になって、ほとんどが輸入物になった。そのため「レコード芸術」なる雑誌を読まなくなった。CD化と円高、国際化にインターネットの時代に出版業界が淘汰の時代を迎え、「レコード芸術」のみならず出版業界が全体が、対応を迫られた時代になったのだろう。
ただ過ぎ去った50年を振り返ると、まさに「デジタル化」のもたらした変化のすごさに、改めて驚きを覚える。我が人生の先もそう遠くはないのだろう。
菩提樹田んぼの会の活動報告 下記に更新しました。
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