サン=サーンスの交響曲はオルガン付の3番しか知らなかった。学生時代、日本ではこの交響曲を演奏できるパイプオルガンが完備したコンサートホールは皆無に近かった。
上野の文化会館でこの曲を聴いたときは大きなスピーカーを両脇においてエレクトーンで代用した。私がオルガンで聴いたのは今のNHKホールが出来てからだ、それも正面からの響きでなく違和感を持って横から響いたのだ。
余談だがバブリーな時代に日本各地にオルガン付のホールが出来た。そのひとつにA県A市にも立派なホールができたが、オルガンを使う機会が何年か無かったそうだ。そしてある日オルガンを使うコンサートが企画されたが、肝心のオルガンは埃が詰まって音が出なくなってしまった。あわてて、ドイツから製作者を呼び分解掃除をしてコンサートは無事終了したが、埃取りにン百万円の出費になったそうだ。
わが町所沢にも立派なパイプオルガン付のコンサートホールがあるが、埃取りのためか月1のオルガンコンサートが開催されるようになった。
バブルの時代はおそらくこの交響曲とツァラストラの演奏機会が一番あった時かも知れない。またLP時代にはマーラーの2番のコントラバスとこのパイプオルガンは自分のシステムチェックに使った。カートリッジの付け替えで低音域の再生が変わりそれも1つの楽しみだった。
CDの世界に戻れば、この曲はやはりオーディオ的興味が起こるが、演奏で選べばミュンシュに尽きる。でもマルティノンのCDはサン=サーンスの音楽史の位置を明確に提示している。3番はブラームスの4番、ブルックナーの8番、マーラーの1番とそしてフランクの交響曲と時代を同じにしている。ここにはベートーベン、ワグナーのドイツ音楽を継承する流れの中にあって、サン=サーンスはベートーベンに回帰した音楽を作っている。習作のイ長調はハイドンの響きだし、1番2番にはメンデルスゾーンやシューマンが出てくる。でも確実に5曲には成熟と進化の跡が確認でき3番へと続きが明確に提示されている。それこそが作曲家マルティノンの見識が現れている。
3番以外の曲が面白いかと問われれば、Noだろう、しかしブルックナーよりはましだと思う。
上野の文化会館でこの曲を聴いたときは大きなスピーカーを両脇においてエレクトーンで代用した。私がオルガンで聴いたのは今のNHKホールが出来てからだ、それも正面からの響きでなく違和感を持って横から響いたのだ。
余談だがバブリーな時代に日本各地にオルガン付のホールが出来た。そのひとつにA県A市にも立派なホールができたが、オルガンを使う機会が何年か無かったそうだ。そしてある日オルガンを使うコンサートが企画されたが、肝心のオルガンは埃が詰まって音が出なくなってしまった。あわてて、ドイツから製作者を呼び分解掃除をしてコンサートは無事終了したが、埃取りにン百万円の出費になったそうだ。
わが町所沢にも立派なパイプオルガン付のコンサートホールがあるが、埃取りのためか月1のオルガンコンサートが開催されるようになった。
バブルの時代はおそらくこの交響曲とツァラストラの演奏機会が一番あった時かも知れない。またLP時代にはマーラーの2番のコントラバスとこのパイプオルガンは自分のシステムチェックに使った。カートリッジの付け替えで低音域の再生が変わりそれも1つの楽しみだった。
CDの世界に戻れば、この曲はやはりオーディオ的興味が起こるが、演奏で選べばミュンシュに尽きる。でもマルティノンのCDはサン=サーンスの音楽史の位置を明確に提示している。3番はブラームスの4番、ブルックナーの8番、マーラーの1番とそしてフランクの交響曲と時代を同じにしている。ここにはベートーベン、ワグナーのドイツ音楽を継承する流れの中にあって、サン=サーンスはベートーベンに回帰した音楽を作っている。習作のイ長調はハイドンの響きだし、1番2番にはメンデルスゾーンやシューマンが出てくる。でも確実に5曲には成熟と進化の跡が確認でき3番へと続きが明確に提示されている。それこそが作曲家マルティノンの見識が現れている。
3番以外の曲が面白いかと問われれば、Noだろう、しかしブルックナーよりはましだと思う。
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