尾道三部作の第三作。
「さびしんぼう」1985年 日本
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監督 大林宣彦
出演 富田靖子 尾美としのり 藤田弓子
小林稔侍 佐藤允 岸部一徳
秋川リサ 入江若葉 大山大介
砂川真吾 林優枝 浦辺粂子
樹木希林 小林聡美
ストーリー
寺の住職の一人息子・井上ヒロキは、カメラの好きな高校二年生。
母タツ子は、彼に勉強しろ、ピアノを練習しろといつも小言を言う。
ヒロキのマドンナは、放課後、隣の女子校で「別れの曲」をピアノで弾いている橘百合子である。
彼は望遠レンズから、彼女を見つめ、さびしげな横顔から“さびしんぼう”と名付けていた。
寺の本堂の大掃除の日、ヒロキは手伝いに来た友人の田川マコト、久保カズオと共にタツ子の少女時代の写真をばらまいてしまった。
その日から、ヒロキの前に、ダブダブの服にピエロのような顔をした女の子が現われるようになる。
ヒロキ、マコト、カズオの三人は、校長室のオウムに悪い言葉を教え停学処分を受けた。
その際中、ヒロキは自転車に乗った百合子を追いかけ、彼女が船で尾道に通って来ていることを知る。
冬休みになり、クラスメイトの木鳥マスコが訪ねて来た時、例のさびしんほうが現われ、タツ子に文句を言いだしたところ、タツ子が彼女を打つと何故かタツ子が痛がるのだった。
節分の日、ヒロキは自転車のチェーンをなおしている百合子を見かけ、彼女の住む町まで送って行った。
自分のことを知っていたと言われ、ヒロキは幸福な気分で帰宅した。
バレンタインデーの日、さびしんぼうが玄関に置いてあったとチョコレートを持って来た。
それは百合子からで、「この間は嬉しかった。でもこれきりにして下さい」と手紙が添えてあった。
さびしんぼうは、明日が自分の誕生日だからお別れだと告げる。
そして、この恰好は恋して失恋した女の子の創作劇だと答えた。
翌日、ヒロキは百合子の住んでる町を訪ね、彼女に別れの曲のオルゴールをプレゼントしたのだが・・・。
寸評
喜劇的でありながらファンタジー的要素を持った青春学園もの映画でもある。
常に友人たちといた高校生時代を思い起こさせるようなヒロキ、マコト、カズオの躍動が楽しくなってくる。
僕も高校3年間を通じて1年生のクラスメート5名と何かにつけ一緒だった。
中間、期末の試験が終わると我が家に集まって徹夜の麻雀大会をやっていた。
酒もタバコもやらない、ある意味で真面目な仲間だったが、学校の中でははみ出し者の集団だったと思う。
中身は違うが3人の触れ合いは僕の高校時代と大いにかぶさるものがある。
思いを寄せる人のことが頭から離れないのもこの頃には皆が経験していたのではないか。
そんな経験を有しているからこそ誰もがこの映画に入り込んでいける。
”さびしんぼう”は青春時代の思い出の化身でもある。
かつての自分であり、出来なかったことを行うための生まれ変わりでもある。
あることを通じて”さびしんぼう”の正体が判明するが、その伏線は冒頭でも張られていて、勘のいい観客はその時点で想像しながら見ることになったのではないか。
面白いのはヒロキがフィルムの入っていない望遠付きのカメラであこがれの橘百合子をファインダーで覗いていることである。
フィルムを買う金がなくてそうしているのだが、同時にそのことはプリントに焼き付けることが出来ず、ファインダー越しの彼女の姿はヒロキの頭の中にだけ残像として存在しているということだ。
この悶々とした気持ちは僕の経験からしても実によくわかるのだ。
ヒロキは自転車のチェーンを直してやることから親しくなれるのだが、自転車を押しながら会話を続ける道行シーンは情緒があって実にいい。
このあたりからそれまでのドタバタ劇が鳴りをひそめる。
佐藤允の
校長先生が飼っているオウムの「狸のぶーらぶら」や、入江若葉のPTA会長の狂態、あるいは
岸部一徳
の吉田先生のひょうきんぶり、秋川リサの大村先生がみせる下着丸出しのお色気シーンは一体何だったのかと思わせるほどの変質ぶりなのである。
特に”さびしんぼう”が雨の階段でヒロキにもたれかかり、かつての思いを遂げるシーンはジーンときたなあ。
セリフのなかった小林稔侍の父親が狭い湯船の中でヒロキと語るシーンもグッときた。
僕は尾道を2度ほど訪れているが、残念なことに尾道水道を渡るフェリーに乗る機会を得ていない。
フェリーの上からヒロキと橘百合子が眺めた尾道水道の夕景を見たかったのだがなあ。
大林宣彦監督による尾道3部作の一遍であるが、僕はこの作品に登場する尾道の景色が3部作の中では一番好きだ。
そして、この作品の富田靖子はいいと思う。
若くて瑞々しい姿をこの作品でスクリーンに残せた富田靖子は幸せな女優だと思う。
”さびしんぼう”の富田靖子もいいが、橘百合子の富田靖子が女子高生の清廉さを見せて実にいい。
ヒロキは百合子に似た女性と結婚し、多分、娘に百合子と名付けていたのだと思う。
「さびしんぼう」1985年 日本
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監督 大林宣彦
出演 富田靖子 尾美としのり 藤田弓子
小林稔侍 佐藤允 岸部一徳
秋川リサ 入江若葉 大山大介
砂川真吾 林優枝 浦辺粂子
樹木希林 小林聡美
ストーリー
寺の住職の一人息子・井上ヒロキは、カメラの好きな高校二年生。
母タツ子は、彼に勉強しろ、ピアノを練習しろといつも小言を言う。
ヒロキのマドンナは、放課後、隣の女子校で「別れの曲」をピアノで弾いている橘百合子である。
彼は望遠レンズから、彼女を見つめ、さびしげな横顔から“さびしんぼう”と名付けていた。
寺の本堂の大掃除の日、ヒロキは手伝いに来た友人の田川マコト、久保カズオと共にタツ子の少女時代の写真をばらまいてしまった。
その日から、ヒロキの前に、ダブダブの服にピエロのような顔をした女の子が現われるようになる。
ヒロキ、マコト、カズオの三人は、校長室のオウムに悪い言葉を教え停学処分を受けた。
その際中、ヒロキは自転車に乗った百合子を追いかけ、彼女が船で尾道に通って来ていることを知る。
冬休みになり、クラスメイトの木鳥マスコが訪ねて来た時、例のさびしんほうが現われ、タツ子に文句を言いだしたところ、タツ子が彼女を打つと何故かタツ子が痛がるのだった。
節分の日、ヒロキは自転車のチェーンをなおしている百合子を見かけ、彼女の住む町まで送って行った。
自分のことを知っていたと言われ、ヒロキは幸福な気分で帰宅した。
バレンタインデーの日、さびしんぼうが玄関に置いてあったとチョコレートを持って来た。
それは百合子からで、「この間は嬉しかった。でもこれきりにして下さい」と手紙が添えてあった。
さびしんぼうは、明日が自分の誕生日だからお別れだと告げる。
そして、この恰好は恋して失恋した女の子の創作劇だと答えた。
翌日、ヒロキは百合子の住んでる町を訪ね、彼女に別れの曲のオルゴールをプレゼントしたのだが・・・。
寸評
喜劇的でありながらファンタジー的要素を持った青春学園もの映画でもある。
常に友人たちといた高校生時代を思い起こさせるようなヒロキ、マコト、カズオの躍動が楽しくなってくる。
僕も高校3年間を通じて1年生のクラスメート5名と何かにつけ一緒だった。
中間、期末の試験が終わると我が家に集まって徹夜の麻雀大会をやっていた。
酒もタバコもやらない、ある意味で真面目な仲間だったが、学校の中でははみ出し者の集団だったと思う。
中身は違うが3人の触れ合いは僕の高校時代と大いにかぶさるものがある。
思いを寄せる人のことが頭から離れないのもこの頃には皆が経験していたのではないか。
そんな経験を有しているからこそ誰もがこの映画に入り込んでいける。
”さびしんぼう”は青春時代の思い出の化身でもある。
かつての自分であり、出来なかったことを行うための生まれ変わりでもある。
あることを通じて”さびしんぼう”の正体が判明するが、その伏線は冒頭でも張られていて、勘のいい観客はその時点で想像しながら見ることになったのではないか。
面白いのはヒロキがフィルムの入っていない望遠付きのカメラであこがれの橘百合子をファインダーで覗いていることである。
フィルムを買う金がなくてそうしているのだが、同時にそのことはプリントに焼き付けることが出来ず、ファインダー越しの彼女の姿はヒロキの頭の中にだけ残像として存在しているということだ。
この悶々とした気持ちは僕の経験からしても実によくわかるのだ。
ヒロキは自転車のチェーンを直してやることから親しくなれるのだが、自転車を押しながら会話を続ける道行シーンは情緒があって実にいい。
このあたりからそれまでのドタバタ劇が鳴りをひそめる。
佐藤允の
校長先生が飼っているオウムの「狸のぶーらぶら」や、入江若葉のPTA会長の狂態、あるいは
岸部一徳
の吉田先生のひょうきんぶり、秋川リサの大村先生がみせる下着丸出しのお色気シーンは一体何だったのかと思わせるほどの変質ぶりなのである。
特に”さびしんぼう”が雨の階段でヒロキにもたれかかり、かつての思いを遂げるシーンはジーンときたなあ。
セリフのなかった小林稔侍の父親が狭い湯船の中でヒロキと語るシーンもグッときた。
僕は尾道を2度ほど訪れているが、残念なことに尾道水道を渡るフェリーに乗る機会を得ていない。
フェリーの上からヒロキと橘百合子が眺めた尾道水道の夕景を見たかったのだがなあ。
大林宣彦監督による尾道3部作の一遍であるが、僕はこの作品に登場する尾道の景色が3部作の中では一番好きだ。
そして、この作品の富田靖子はいいと思う。
若くて瑞々しい姿をこの作品でスクリーンに残せた富田靖子は幸せな女優だと思う。
”さびしんぼう”の富田靖子もいいが、橘百合子の富田靖子が女子高生の清廉さを見せて実にいい。
ヒロキは百合子に似た女性と結婚し、多分、娘に百合子と名付けていたのだと思う。