「トキワ荘の青春」 1996年 日本
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監督 市川準
出演 本木雅弘 鈴木卓爾 阿部サダヲ
さとうこうじ 大森嘉之 古田新太
生瀬勝久 翁華栄 松梨智子 北村想
安部聡子 時任三郎 桃井かおり
ストーリー
トキワ荘に住むマンガの神様・手塚治虫の向かいの部屋には、あちこちに原稿の持ち込みをしながらマンガ家としてのスタートを切ったばかりの寺田ヒロオが住んでいた。
ある日、藤子不二雄のペンネームで合作でマンガを描いている安孫子素雄と藤本弘のふたりが、手塚を訪ねてトキワ荘にやってきた。
あいにく手塚は留守だったが、寺田は田舎から出てきたふたりのために食事をご馳走してやり、東京での生活についていろいろと教えてやるのだった。
その後、手塚は別の仕事場に引っ越し、上京した安孫子と藤本がその空部屋に入った。
それに続くように、トキワ荘には『漫画少年』の投稿仲間だった石森章太郎、赤塚不二夫、森安直哉、鈴木伸一らマンガ家の卵たちが次々と集まり住むようになる。
トキワ荘によく遊びにきているつのだじろうを加えた彼ら8人は“新漫画党”を結成し、寺田の部屋に集まっては、マンガの未来についての話に花を咲かせた。
そんなころ、『漫画少年』の学童社が倒産し、以前からマンガとアニメーションの二足のわらじを履いていた鈴木は、これを機会にアニメ一本でやっていくことを決心し、トキワ荘を出ていく。
『漫画少年』が廃刊になっても、石森と藤子はあちこちに連載を抱える売れっ子になっていた。
寺田は相変らずマイペースで描き続け、石森のアシスタントをしながらなかなか世に出るチャンスをつかめないでいる赤塚の面倒を見たり、彼らをよくまとめていた。
その後、ギャグマンガの才能を見いだされた赤塚はとんとん拍子に売れっ子になった。
寸評
トキワ荘に住んでいた当時無名の連中は今振り返るとキラ星のごとくと言っても言い切れないほどのメンバーだ。
手塚治虫が去ったあと、その部屋に入るのが安孫子素雄と藤本弘、二人合わせて藤子不二雄だ。
二人は「オバケのQ太郎」を生み出し、藤本は「ドラえもん」、「パーマン」を、安孫子は「忍者ハットリくん」、「怪物くん」を世に送り出した。
その他にも石森章太郎(サイボーグ009、佐武と市捕物控)、赤塚不二夫(おそ松くん、天才バカボン)、つげ義春(ねじ式、無能の人)達が同居していたのだ。
その他にも「空手バカ一代」のつのだじろう、アニメーション作家となる鈴木伸一、女手塚治と言われた水野英子も一時同居している。
名前を聞くだけでもノスタルジーに浸ってしまうそうそうたるメンバーである。
それが安アパートに同時期に同居していたというのだから驚きだ。
映画はその中の一人、トキワ荘メンバーのリーダー格である寺田ヒロオを中心に彼らの下積み時代の青春物語を描いていく。
寺田ヒロオは「背番号0」や「スポーツマン金太郎」を書いた人で、僕にとっても懐かしい。
懐かしいのは登場人物だけではない。
トキワ荘の安アパートの雰囲気もなかなかよく出ていた。
学生時代に後輩のアパートを訪ねたら、全くもってあのような雰囲気だった。
映画に描かれたように一か所に住んでということはなかったが、たまり場だった我が家に集まり酒を酌み交わしながら徹夜で芸術と娯楽について語り合ったものである。
そんな青春時代を思い起こさせる彼らの交流ぶりに親しみを覚えてしまう。
藤本と安孫子が寺田を誘って相撲に興じるシーンがあるが、僕も大学時代には授業の合間にキャンパスの広場で仲間とソフトボールに興じていた。
いい大人がそんなにバカ騒ぎしてといった雰囲気で戯れていたことを思い出した。
ラジオから流れる当時の音楽も郷愁を誘うのだが、よくよく聞いてみると流れる歌はなにやら思わせぶりなものばかりだった。
映画ポスターだったり、時代を表現するための小道具は随所に見られたが、その中でも、かすかに流れる曲も含めて選曲のセンスを僕は評価する。
トキワ荘のメンバーはやがて売れっ子になっていくが、それまでの困窮ぶりとそれでも情熱を持ち続けて奮闘する姿に感激する。
映画の世界の話ではなくそれが実話なのだからなおさらだ。
僕は、皆が大成していく中で目が出ない森安(古田新太)に感情移入してしまう。
森安直哉、彼もまた実在の人物である。
寺田もあまりにもまじめすぎてトキワ荘を出ていくことになったのだと思うし、そのことを持ってかれらの青春時代も終わりを告げたのではないかと思った。
寺田にも見ることなのだが、時流から取り残されていくって、なんだか寂しいなあ~。
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監督 市川準
出演 本木雅弘 鈴木卓爾 阿部サダヲ
さとうこうじ 大森嘉之 古田新太
生瀬勝久 翁華栄 松梨智子 北村想
安部聡子 時任三郎 桃井かおり
ストーリー
トキワ荘に住むマンガの神様・手塚治虫の向かいの部屋には、あちこちに原稿の持ち込みをしながらマンガ家としてのスタートを切ったばかりの寺田ヒロオが住んでいた。
ある日、藤子不二雄のペンネームで合作でマンガを描いている安孫子素雄と藤本弘のふたりが、手塚を訪ねてトキワ荘にやってきた。
あいにく手塚は留守だったが、寺田は田舎から出てきたふたりのために食事をご馳走してやり、東京での生活についていろいろと教えてやるのだった。
その後、手塚は別の仕事場に引っ越し、上京した安孫子と藤本がその空部屋に入った。
それに続くように、トキワ荘には『漫画少年』の投稿仲間だった石森章太郎、赤塚不二夫、森安直哉、鈴木伸一らマンガ家の卵たちが次々と集まり住むようになる。
トキワ荘によく遊びにきているつのだじろうを加えた彼ら8人は“新漫画党”を結成し、寺田の部屋に集まっては、マンガの未来についての話に花を咲かせた。
そんなころ、『漫画少年』の学童社が倒産し、以前からマンガとアニメーションの二足のわらじを履いていた鈴木は、これを機会にアニメ一本でやっていくことを決心し、トキワ荘を出ていく。
『漫画少年』が廃刊になっても、石森と藤子はあちこちに連載を抱える売れっ子になっていた。
寺田は相変らずマイペースで描き続け、石森のアシスタントをしながらなかなか世に出るチャンスをつかめないでいる赤塚の面倒を見たり、彼らをよくまとめていた。
その後、ギャグマンガの才能を見いだされた赤塚はとんとん拍子に売れっ子になった。
寸評
トキワ荘に住んでいた当時無名の連中は今振り返るとキラ星のごとくと言っても言い切れないほどのメンバーだ。
手塚治虫が去ったあと、その部屋に入るのが安孫子素雄と藤本弘、二人合わせて藤子不二雄だ。
二人は「オバケのQ太郎」を生み出し、藤本は「ドラえもん」、「パーマン」を、安孫子は「忍者ハットリくん」、「怪物くん」を世に送り出した。
その他にも石森章太郎(サイボーグ009、佐武と市捕物控)、赤塚不二夫(おそ松くん、天才バカボン)、つげ義春(ねじ式、無能の人)達が同居していたのだ。
その他にも「空手バカ一代」のつのだじろう、アニメーション作家となる鈴木伸一、女手塚治と言われた水野英子も一時同居している。
名前を聞くだけでもノスタルジーに浸ってしまうそうそうたるメンバーである。
それが安アパートに同時期に同居していたというのだから驚きだ。
映画はその中の一人、トキワ荘メンバーのリーダー格である寺田ヒロオを中心に彼らの下積み時代の青春物語を描いていく。
寺田ヒロオは「背番号0」や「スポーツマン金太郎」を書いた人で、僕にとっても懐かしい。
懐かしいのは登場人物だけではない。
トキワ荘の安アパートの雰囲気もなかなかよく出ていた。
学生時代に後輩のアパートを訪ねたら、全くもってあのような雰囲気だった。
映画に描かれたように一か所に住んでということはなかったが、たまり場だった我が家に集まり酒を酌み交わしながら徹夜で芸術と娯楽について語り合ったものである。
そんな青春時代を思い起こさせる彼らの交流ぶりに親しみを覚えてしまう。
藤本と安孫子が寺田を誘って相撲に興じるシーンがあるが、僕も大学時代には授業の合間にキャンパスの広場で仲間とソフトボールに興じていた。
いい大人がそんなにバカ騒ぎしてといった雰囲気で戯れていたことを思い出した。
ラジオから流れる当時の音楽も郷愁を誘うのだが、よくよく聞いてみると流れる歌はなにやら思わせぶりなものばかりだった。
映画ポスターだったり、時代を表現するための小道具は随所に見られたが、その中でも、かすかに流れる曲も含めて選曲のセンスを僕は評価する。
トキワ荘のメンバーはやがて売れっ子になっていくが、それまでの困窮ぶりとそれでも情熱を持ち続けて奮闘する姿に感激する。
映画の世界の話ではなくそれが実話なのだからなおさらだ。
僕は、皆が大成していく中で目が出ない森安(古田新太)に感情移入してしまう。
森安直哉、彼もまた実在の人物である。
寺田もあまりにもまじめすぎてトキワ荘を出ていくことになったのだと思うし、そのことを持ってかれらの青春時代も終わりを告げたのではないかと思った。
寺田にも見ることなのだが、時流から取り残されていくって、なんだか寂しいなあ~。