おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ヘアスプレー

2021-11-13 09:23:36 | 映画
1920/3/16からの「へ」の追加は余り思いつきませんでしたので
「へ」と「ほ」を続けて紹介します。

「ヘアスプレー」 2007年 アメリカ


監督 アダム・シャンクマン
出演 ジョン・トラヴォルタ
   ニッキー・ブロンスキー
   ミシェル・ファイファー
   クリストファー・ウォーケン
   クイーン・ラティファ
   ザック・エフロン

ストーリー
60年代のボルチモア。
ハイスクールに通うトレーシーの夢は、人気番組『コーニー・コリンズ・ショー』に出演して踊ること。
でも現実は、ランドリー店で働く母エドナとオモチャ屋で店番する父ウィルバーに囲まれて、親友のペニーとテレビ放送を楽しみにしている日常だった。
そんなある日、番組のオーディションが開催されて、トレーシーも参加する。
そこで目の当たりにしたのは、メンバーの中心的存在アンバーのステージママであるベルマが実権を握っている姿だった。
失望するトレーシーだが、ダンスパーティで彼女のリズム感を見抜いたコーニー・コリンズによって抜擢される。
レギュラーの座を獲得したトレーシーは、たちまち街の人気者となったがベルマとアンバーはそれが面白くない。
ある日、メイベルら黒人と知りあったトレーシーは、そのパフォーマンスのパワフルさに魅せられる。
当時のアメリカではあからさまな人種差別があって、『コーニー・コリンズ・ショー』でも黒人が登場できるのは月に一度の“ブラック・デー”だけで、その理不尽さに公民権運動のデモにトレーシーも参加するが、ベルマの通報によって警察に追われる身となってしまう。
一方、その頃『コーニー・コリンズ・ショー』のダンスコンテストが始まっていた。
視聴者からの電話投票で『ミス・へアスプレー』が決まる。
会場の周囲を警官に包囲させて、トレーシーの参加を阻止しようとしたベルマだが、その策略は失敗する。
黒人たちも飛び入り参加したコンテストで『ミス・ヘアスプレー』に輝いたのは、なんと黒人の少女だった。
スタジオ内はダンス大会となり、全員が踊り出し、その中にはトレーシーと、幸福そうな両親の姿もあった。


寸評
おデブなキャラクターが踊りまくるという、とにかく明るくて楽しい、ストレートで前向きなミュージカルだ。
この様な作品はアメリカ映画でしか作られないものだと思う。
1960年代風の楽曲も、見ているうちに自然と足でリズムを取ってしまう非の打ち所のないものである。
人種差別反対のテーマもあるが、それはとってつけた程度の扱いであり、とにかく歌って踊れやという痛快娯楽で、堅苦しいところがないミュージカル映画だ。

超ポジティブでおデブな女子高生トレーシーは、大好きなテレビ番組コーニー・コリンズ・ショーのオーディションに挑戦し、みごと新人ダンサーの座を勝ち取ると、その風貌と明るい性格からお茶の間でも大人気になる。
このトレーシー役のニッキー・ブロンスキーが強烈なキャラクターで、愛くるしい顔立ちに反して超おデブなので、その姿は一度見たら脳裏から離れず、映画を見終っても圧倒され続ける存在感だった。
超おデブはトレーシーだけではなく彼女の母親もそうなのだが、この母親役をあの「サタデー・ナイト・フィーバー」でディスコ・ブームを巻き起こしたジョン・トラヴォルタが6時間かけた特殊メークで演じているのだ。
母親は映画の中では唯一影のある役なのだが、まるで悲壮感がないのが笑わせる。
特殊メイクなので一見しただけでは、いや何度見てもそれがジョン・トラヴォルタだとは分からない。
トレーシー一家は父親のクリストファー・ウォーケンも含めて際立ったキャラクターの一家である。

オープニングからトレーシーの歌で引き込まれ、学校が終わると家に飛んで帰り友達とコーニー・コリンズ・ショーを見るのが楽しみと言う女子高生の姿が描かれる。
兎に角ダンスが好きで、それが高じてちょっと落ちこぼれ気味なトレーシーだが、性格はこれまた超ポジィティブなので見ている僕たちまでが明るくなってしまう。
彼女はカバンを背負って学校に通っているが、あのカバンを見ると日本のランドセルはスゴイ代物なのだと思う。

話は単純なので悪役を金髪美女母子に絞り込んでいるのもいい。
黒人デーという日をもうけて人種差別も盛り込んでいるが、この母子にはブロンドへの偏見を盛り込んでいたのかもしれない。
この母娘は単純でわがままで、まあ平たく言えばただのバカという金髪美女のイメージを体現したものだと思うのだが、地方テレビ局の部長でもある母親ヴェルマのミシェル・ファイファーも、娘役のブリタニー・スノウも憎めない役柄を上手く演じていた。

地方テレビ局の歌とダンスのショー番組撮影スタジオがメイン舞台となっているので、カメラアングルは単純なもので奇をてらったものではないし、描き方もバタ臭い素材の味をそのまま生かしたものである。
観客はその脚本と演出のシンプルさでもって、考えることなくストレートに作品の雰囲気に浸れる。
決して作品にのめり込んでいくといったような息詰まるような姿勢ではなく、ゆったりと椅子に腰かけ、くつろぎながら作品を堪能できるといった雰囲気なのである。
1960年代のダンスや音楽のファン、そしてとにかく楽しい映画を見たい人には、この映画は最適である。