おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

あちらにいる鬼

2023-07-16 06:32:12 | 映画
「あちらにいる鬼」 2022年 日本


監督 廣木隆一
出演 寺島しのぶ 豊川悦司 広末涼子 高良健吾 村上淳
   蓮佛美沙子 佐野岳 宇野祥平 丘みつ子

ストーリー
1966年、作家の長内みはる(寺島しのぶ)は講演旅行のきっかけに、弱者に寄り添う姿勢で知られる人気作家・白木篤郎(豊川悦司)と出会う。
みはるは4歳年下の真二(高良健吾)と暮していた。
白木には、美しい妻・笙子(広末涼子)と5歳になる娘がいて、笙子のお腹には2人目の子供が宿っていた。
互いにパートナーがある身ながら、2人は強く魅かれていった。
みはるは京都に家を買い真二と別れ、東京に仕事場を借り白木と関係を続けていた。
笙子は白木とみはるの間柄を女の直感で悟っているが、繰り返される情事に気づきながらも心を乱さず、平穏な夫婦生活を保っている。
彼には別の女の存在もあり、白木の浮気は昔からのものだった。
新宿騒乱・東大闘争…激動の時代を背景に、自由奔放な上に嘘つきで自分勝手に振る舞う篤郎にのめり込んでいくみはる。
1966年のクリスマス、笙子は白木の次女を出産したが、その時も白木はみはるのもとに居た。
奇妙な関係を続けながら7年の月日が流れた時、様々な経験を重ねたみはるはある決意を固めた。
ある日、みはるは篤郎に「わたし、出家しようと思うの・・・」と告げた。
しばらくして、白木夫妻は調布市内に30年ローンを組んで土地を買った。
笙子は家を建てることを後悔しているではないかと思ったのだが、「長内みはるは出家を考えているらしいよ」という白木の呟きで、そんな考えも吹っ飛んでしまった。
1973年、みはるの剃髪式が厳かに行われ、笙子が「行きなさい、行った方がいい」と言って白木を送り出した。
剃髪式が終わったみはるに、長内寂光という出家名が与えられた。
1989年、白木は精密検査でガンが見つかり、笙子は医者からあと二週間くらいとお考えくださいと言われた。


寸評
恋多き女・みはる、女にだらしのない男・白木、何もかもお見通しの妻・笙子という三人の関係が描かれていく。
原作が井上荒野の「あちらにいる鬼」なので、みはるが瀬戸内寂聴、白木が井上光晴、妻の笙子が郁子さんであることは明白である。
したがって、名前は変わっているが、僕はみはるを瀬戸内晴美(寂聴)、白木を井上光晴として見ている。
瀬戸内晴美と井上光晴の関係は知られたものだから、僕は半ば興味本位で井上光晴の奥様を含めた三人の関係を見ていたことになる。
逆に言えば、モデルがいなければつまらない作品と思ったかもしれない。
三人を描いているが、僕はそれぞれの立場に立って深く描き込んでいるとは思えなかった。
白木と関係を持つ女性は会話の中に出てきたり、ほんの少し登場したりするが、女に溺れる白木の姿は直接的に描かれていないので、どうしてそれほど女にだらしがないのか分からない。
みはるも複数の男と関係を持っているが、そこに至る彼女の心の動きはよく分からない。
若い男と一夜を共にするが、それは白木への当てつけだったと思うのだが、それをみはるの口から白木に告げられるだけでは、みはるの気持ちが白木だけではなく僕にも伝わってこなかった。
女性を招いた講演会後の打ち上げで行われる白木のストリップ劇も唐突だし、ましてやその中の一人と出来てしまっていたことが判明しても、その女性をその後どうしたのかは不明のままだ。
女性は夫と別れてきたと言っているのだから、白木の罪深さが描かれても良かったように思う。

僕が興味を引いたのは断然妻の笙子であり、モデルがいるから尚更の存在であった。
彼女は夫が他の女性と関係を持っていると言う事には関心を持っていない女性のようで、夫と関係のあった女性とも良い関係を築いているようだし、夫の愛人が自殺未遂をすれば見舞いに行ったりする女性なのだ。
夫のつく嘘などすっかりお見通しなのだ。
みはるが出家し寂光となった時、白木が電話を入れてきてビジネスホテルに泊まっていることを告げるが、妻の笙子がそうではないことを見抜いている所などは、女の勘の鋭さを見せつけられる思いがする。
笙子はみはるの剃髪式に行ってあげるように夫の白木に告げるのだが、いったいこの女性の精神はどうなっているのだろうと思わせる。
そんな彼女でも夫の嘘に嫌気がさし浮気を試みているのだから、まったくの聖母でもないことは明らかだ。
ドラマとしてなら僕はこの笙子ひとりを描いてもらった方が興味が持てたかもしれない。
脱ぎっぷりも良く、実際に剃髪までした寺島しのぶの熱演を評価するが、僕は何もかも悟ったような笙子の広末涼子がとる何気ないそぶりと表情の演技を評価したい。

モデルがはっきりしているのだから、白木が亡くなったあとの寂光と笙子のその後の交流にも興味があったのだが、そこは描かれなかった。
白木が、「あんたとうちの嫁さんはすごく仲良くなると思うよ。俺たちがこんな関係じゃなければ」と言ったことが生きてきたように思うのだが・・・。
笙子が寂光を呼び寄せて白木を見送るシーンは、実際もそうだったろうから感動的で、この様な人間関係もあるものなのだなあと感心させられた。

あさき夢みし

2023-07-15 12:52:34 | 映画
「あさき夢みし」 1974年 日本


監督 実相寺昭雄
出演 ジャネット八田 花ノ本寿 寺田農 岸田森 丹阿弥谷津子
   原知佐子 三条泰子 東野孝彦 篠田三郎 小川順子 小松方正
   古今亭志ん朝 天田俊明 殿岡ハツ江 観世栄夫 渡辺文雄

ストーリー
十三世紀後半、都は後嵯峨法皇院政の時代。
法皇の皇子後深草天皇は、既に帝位を弟の亀山天皇にゆずり、富小路殿に仙洞御所をいとなんでいた。
二十歳半ばにして世捨人に等しかったわけである。
この院には四条という寵愛する一人の女房がいた。
四条はある貴族の家に生まれたが、四歳の時から上皇のもとで育てられ、十代半ばになった時、愛人として仙洞御所に迎え入れられた。
しかし四条には愛人ができる。
かねてから四条を愛している霧の暁(西園寺大納言)、執拗に迫ってついには四条を我ものとする真言密教の高徳の僧阿闍梨(上皇の異腹の弟)である。
四条はこれらの男たちの愛を受け、それぞれの子供を生むが、全て彼女の手から奪い取られてしまう。
彼女は宮廷社会の美しいもてあそびものとしての、自らのはかない存在を自覚せざるを得なかった。
ただ一人、始めは四条を恐怖させ、次第にその荒々しい情熱が彼女の心をとらえるに至ったのは阿闍梨だが、彼は流行病であっけなく死んでしまった。
やがて、西行絵巻を好んで眺め、西行のように生きたいと願っていた四条は、自由を求めて出家した。
遊行放浪していく踊念仏の世界に対する憧れを持つ四条は、みごとな腕前の画や書、また連歌などを道中の資として、待女目井とともに諸国をめぐって歩いた。
王朝の幻影がくずれ去った後の、武士が支配する新しい社会の中で、彼女は目井とも別れて、一人の尼絵師として闊達に生きてゆく。
彼女の生んだ娘は、今の帝の娘で高名な歌人となっているらしい。
しかし、四条はただ一人、今日も街道の砂埃をまきあげながら歩いている。


寸評
僕は実相寺昭雄と「無常」で出会ったのだが、当時はATG映画が結構撮られていて「無常」と同様にこの作品もATGとの提携作品である。
1000万円映画とも呼ばれたATG作品だが、本作はカラー化もあってそれなりの金をかけていると思う。
蒙古襲来が述べられるが、時代背景の説明にとどまっており、それ自体は物語に関係はない。
従って御所様と呼ばれる男は後深草天皇のことなのだろうが、この時はすでに譲位している。
父親である後嵯峨法皇の寵愛を受けられなかった彼は悶々とした日々を送っている。
御所様の愛人が四条と呼ばれるジャネット八田である。
ジャネット八田はアメリカ人の父と、日本人の母との間に生まれたハーフだが、美形であっても演技とセリフ回しは稚拙である。
宮廷の雅な世界にあっての女性を巡る愛欲を描くにあたってはこのジャネット八田に僕は違和感を持ち続けた。
想像するに、容姿とプロポーションによって多くの男に言い寄られる女性として彼女が適任と思われたのだろうし、実際彼女は美しい裸身を見せるのである。
ジャネット八田の体形には、女と娘と母親が同居しているような感じだ。
その風情がこの映画のすべてと言っても過言ではない。
だからジャネット八田だったのだろう。
ジャネット八田はこの後、阪神タイガースが誇ったホームランバッター田淵幸一氏の再婚相手となった。

四条は御所様(花ノ本寿)の愛人だが、霧の暁の皇子(寺田農)の子供をすでに宿していた。
生まれた子供を早産で生まれたと言い逃れるには立派過ぎる女の子で、スキャンダルを恐れた宮中はその子を他家に出してしまう。
御所様はそんな四条を咎める風でもなく、むしろ腹違いの弟で仏門に帰依している阿闍梨(岸田森)を引き合わせ、二人が出来てしまっても気に掛ける様子もない。
後嵯峨法皇によって、10歳の弟であった亀山天皇に譲位させられてすっかりやる気をなくしてしまったように見えるのだが、そんな親子の確執は御所様の口をついて語られるだけでメインではない。
あくまでも美しい女性である四条を巡る愛欲が描かれていく。

四条はその美貌ゆえに多くの男から言い寄られるのだが、男が力づくでという場面もありながら四条もまんざらでもなさそうなところもあり、阿闍梨に対しても愛情を感じるようになっていて、四条も愛欲に溺れているとも見える。
そんな四条に触発されるように、侍女の目井(原知佐子)は一夜の宿を借りた商人の男と快楽に走ってしまう。
とは言うものの、四条は男なら誰でもいいわけではなく、鎌倉武士の平二郎左衛門(毒蝮三太夫)などははねのけているのである。
尼御前となって放浪することになった四条だが、いっそその武士にも、富豪の男(渡辺文雄)にももて遊ばれた方が強烈な印象を残したかもしれない。
それだと「西鶴一代女」になってしまうかもしれないが・・・。
面白いのは宮中の女たちが四条の噂でもちきりになるシーンで、女はいつの時代でもワイドショー的な話題が好きなのだと思ったし、宮中の女も現代のオバサンと変わらないのだと言っているようだった。

悪名

2023-07-14 07:38:46 | 映画
「悪名」 1961年 日本


監督 田中徳三
出演 勝新太郎 田宮二郎 中村玉緒 中田康子 水谷良重
   浪花千栄子 山茶花究

ストーリー
河内の百姓の伜朝吉は無類の暴れ者で“肝っ玉に毛の生えた奴”と恐れられていたが、盆踊の晩、隣村の人妻お千代と知りあって有馬温泉へ駆落した。
しかし働きに出るお千代を、ゴロゴロ待っている朝吉は次第に退屈し、彼女が酔客と戯れているのを見たのをシオに大阪に帰った。
彼はそこで幼馴染の青年達にあい、そのまま松島遊廓にくりこんだ。
琴糸という源氏名の女は朝吉にぞっこん惚れ込んだ。
その晩連れの青年が酔った勢いで土地の暴れん坊、モートルの貞と悶着を起し、彼らと貞は翌朝対決する羽目になった。
しかし機敏な朝吉の働きで貞は散々に打ちのめされた。
この時現れた貞の親分吉岡の客分として一家に身を預けた朝吉は、喧嘩やバクチ場で無類の強さを示し、貞も次第に彼にひかれた。
そんな時、朝吉と馴染を重ねていた琴糸が逃げて来た。
松島一家を恐れて匿うことを渋った吉岡の薄情さを怒った貞は、杯を叩き返し朝吉を親分と立て、一家を去った。
琴糸は吉岡の隣のお絹の家に匿われていたが、松島一家に捕えられて因島へ売られてしまった。
朝吉と貞は対策を練るが、その夜かねてから朝吉を好いていたお絹は“妻にする”という証文をかかせて身を任せた。
二、三日お絹と甘い生活を送っていた朝吉は、貞の仕入れたピストルと軍資金を得て因島にのりこんだ。
そして、わざと別の宿をとった貞は、毎晩琴糸のいる大和楼に、素姓を隠した大尽遊びを続けて手筈をつけ、琴糸をうまく朝吉に渡したのだが、船で沖へ出た朝吉は潮に流されてまた港へ戻されてしまう・・・。


寸評
悪名シリーズの主演は勝新太郎なのだが、僕はどちらかと言うと田宮二郎の映画だったと思っている。
ただあまりにもスマートすぎる彼が使う河内弁には違和感をもっていた。
それでも、八尾という耳慣れた地名が登場するこのシリーズを何本見たことだろう。
八尾というローカルな地名が全国的なり、河内という地域のイメージがこの映画によって形作られたと言っても過言ではない。
最初の頃の「悪名シリーズ」は良く出来ていて、プログラムピクチャとして大量放出される作品の中に、このような完成度を持った作品があったことは、当時の日本映画の底辺の広さと実力を知るのに十分だ。

第一作の「悪名」では、ギャグのようなやり取りが随所にあって、肩のこらない作品に仕上がっている。
モートルの貞が意気地のない親分を見限って去っていく時に、親分が残った子分に「ちゃんと挨拶したらんかい」と言うと、子分たちは「貞やん元気でな」と声をかける所などは包括絶倒だ。
なによりのギャグは、登場する中村玉緒に対し「貴女様を終生の妻と致します」と一筆入れていることだ。
実際私生活で、勝新太郎は中村玉緒を生涯の伴侶としているのだ。
勝新にはいろいろ浮名を流すようなこともあっただろうが、離婚することなく最後まで添い通した。

勝新太郎演ずる浅吉が、田中康子・水谷良重・中村玉緒と登場する女性になぜもてまくるのかは説明不足だと思うが、二作目までは気風のいい暴れん坊として好感がもてる存在だ。
そして最後は落ち目の大映を一人で支えた感のある勝新太郎だが、斜陽の中を歩いたスターに思えて少しかわいそうに思っている。

第二作目の「続・悪名」は何と言っても、モートルの貞の死だろう。
あっけなくチンピラに刺されて死んでしまう貞の場面は秀逸だ。
変に様式化しないで、美しいまでのカメラワークであっという間の出来事として描いている。
雨降る中を、恋女房のお照(藤原礼子)と相合傘であるいている所をあっけなく刺されるシーンを、宮川一夫が大映京都撮影所で真上から撮った有名なシーンだ。

第三作目の「新・悪名」に、貞の弟の清次が登場する。
河内弁に断片的な英語をはさんで話すイキなやくざだ。
清次 「ヘーイ、フー・アー・ユー?」
朝吉 「日本語でぬかさんかい!」
清次 「よっしゃ、誰やゆうてんねん」
朝吉 「わいは八尾の朝吉ちゅうねん」
なんてやりとりが続く。

この作品以降は清次を演じる、京都生まれで関西のアクセントを持った田宮二郎の映画になっていると思う。

悪の花園

2023-07-13 07:58:48 | 映画
「悪の花園」 1954年


監督 ヘンリー・ハサウェイ
出演 スーザン・ヘイワード  ゲイリー・クーパー
   リチャード・ウィドマーク  ヒュー・マーロウ
   キャメロン・ミッチェル  リタ・モレノ
   ヴィクトル・マヌエル・メンドーサ

ストーリー
1850年。カルフォルニアの黄金を目指す3人の男、元保安官のフッカー(ゲイリー・クーパー)、イカサマな賭博師フィスク(リチャード・ウィドマーク)、血気盛んなルーク・デイリー(キャメロン・ミッチェル)の三人は、乗っていた船の修繕のためメキシコの漁港プエルト・ミゲルに着いた。
三人は酒場で歌手(リタ・モレノ)の歌を聴きながら酒を飲み、カード遊びに興じるなどしてくつろいでいたところに美貌のアメリカ人女性リー・フラー(スーザン・ヘイワード)が現れ、落磐で金鉱山内でカン詰になっている彼女の夫ジョン(ヒュー・マーロウ)を救うため同行してくれと頼まれた。
これにメキシコ人ヴィセンテ(ヴィクター・マニュエル・メンドーザ)が加わり、女1人男4人がカルフォルニアへ陸路の旅をはじめたが、彼女は金坑への道を記した地図を誰にも見せなかった。
インディアンが出没する危険地帯“悪の花園”に入ったとき、リーは男たちに腰抜けは今のうちに引き返せと言って度胆を抜いた。
ヴィセンテがつけておいた目印をリーが消していったことから、フッカーはリーの真の目的が夫の救出以外にもあることを見抜いた。
ある夜リーに挑んだデイリーは彼女に手ひどく殴られた。
金坑はインディアンの聖地「悪の花園」の中にあった。
一行はインディアンの目を盗んで金坑に辿りつき、ジョンを救出してすぐ引き揚げることになった。
負傷したジョンは馬に乗って離脱したが、インディアンに捕らえられて張りつけにされた。
デイリーもヴィセンテもインディアンに倒された。
フッカーとフィスクはカードでインディアンを食い止める役を決めた。
結局フィスクが勝ち、敗けたフッカーがリーを連れて逃げることとなった。
2人が安全地帯に着いたとき、フッカーはフィスクのイカサマに負けたのだといって1人で引き返していった。


寸評
物語は三つのシークエンスに分けられている。
最初のシークエンスはリーに高額で雇われた4人の男たちが彼女の夫を救出するために、彼女と共に目的地を目指す道中を描いたものだ。
主人公はリーで、男勝りの彼女の姿が描かれ、彼女のミステリアスな行動と、女連れでは定番的に描かれる女に言い寄る男が出てくる。
リーのミステリアスな行動が、描かれているほどのものではないことが、このパートの弱点となっている。
ヴィセンテが残している道しるべをリーが消し去っている事に興味を引くが、これは彼らが途中で逃げ出さないようにしているためで、隠し持っている地図を彼らに見せないことも同様の理由からによる。
だとすれば、少なくとも彼らの内の一人でも逃げ出したくなる状況を描き込んでおかねばならない。
ヴィセンテにはその役割があったように思うのだが・・・。
リーは力づくで迫ってきたデイリーをどのようにしてあしらったのだろう。
デイリーはその後でフッカーと対峙してこっぴどくやられていて、賞金稼ぎとしても卑怯なやり方で相手を倒していることもばらされる、口ほどでもない男なのだ。
粋がっているだけのデイリーを描くなら、リーに撃退される場面も描いておいても良かった。

第二シークエンスは鉱山に到着してジョンを助け出す場面である。
ここでリーとジョンの夫婦関係に隙間風が吹いていることが示される。
リーの目的がジョンの掘り出した金にあるらしいことも感じ取れる。
ありきたりで変化のない物語だが、このシークエンスは作品中で一番のアクセントとなっている。
崩れた坑道から金を掘り出してはしゃぐデイリーとヴィセンテの姿が描かれるが、実際に金を手にする場面は描かれていない。
重要なファクターと思われる金が、この映画ではまったく出てこない。
男たちがリーの魔力に引き寄せられて命を懸けてしまうというジョンの言葉が面白いと思うので、そんな風になってしまう男の姿も見て見たかった気がする。

最後のシークエンスは足を骨折しているジョンを伴って、彼らがインディアンの襲撃から逃れる逃亡劇である。
忍び寄るインディアンの恐怖を描き込んでおれば、ジョンの逃亡がもっと説得力を持っただろう。
インディアンの襲撃によって命を落とす者の最後はあっけない。
彼らは掘り出した金を分配して持っているはずだから、死んだ者の金は生存者が持ち帰るはずだし、命を懸ける者は自分の金を誰かに託すはずなのだが、前述したように金のやり取りは全く出てこない。
最後はフィスクが防波堤となり、フッカーとリーを逃がすのだが、フィスクがいる場所が守りに適した場所過ぎて、インディアンが次々とやられてしまい、襲われる迫力がない。
そして前述したとおり、フィスクの死もあっけないものとなっている。
二人を逃がす為に必死で防戦し、やがてインディアンの矢に倒れる壮絶な姿を見たかった。
か弱い女性を守ってというものではなく、男勝りの女性が男たちを引き連れてという話は面白いと思ったのだが、如何せん、盛り上がりに欠ける西部劇となってしまっている。

悪人

2023-07-12 07:36:08 | 映画
「悪人」 2010年 日本


監督 李相日
出演 妻夫木聡 深津絵里 岡田将生 満島ひかり 塩見三省 池内万作
   光石研 余貴美子 井川比佐志 松尾スズキ 山田キヌヲ
   韓英恵 中村絢香 宮崎美子 永山絢斗 樹木希林 柄本明

ストーリー
土木作業員の清水祐一は、長崎の外れのさびれた漁村で生まれ育ち、恋人も友人もなく、祖父母の面倒をみながら暮らしていた。
佐賀の紳士服量販店に勤める馬込光代は、妹と二人で暮らすアパートと職場の往復だけの退屈な毎日。
そんな孤独な魂を抱えた二人が偶然出会い、刹那的な愛にその身を焦がす。
しかし祐一は、連日ニュースを賑わせている殺人事件の犯人だったのだ…。
数日前、福岡と佐賀の県境、三瀬峠で福岡の保険会社のOL・石橋佳乃の絞殺死体が発見された。
事件当夜に佳乃と会っていた地元の裕福な大学生・増尾圭吾に容疑がかかり、警察は彼の行方を追う。
久留米で理容店を営む佳乃の父・石橋佳男は一人娘の死に直面し、絶望に打ちひしがれる中、佳乃が出会い系サイトに頻繁にアクセスし、複数の男相手に売春まがいの行為をしていたという事実を知らされる。
DNA鑑定から増尾が犯人ではないことが判明、新たな容疑者として金髪の男、清水祐一が浮上する。
幼い頃母親に捨てられた祐一をわが子同然に育ててきた、祐一の祖母・房枝は、彼が殺人事件の犯人だと知らされ、連日マスコミに追い立てられていた。
一方、警察の追跡を逃れた祐一は光代のもとへ向かい、佳乃を殺めたことを打ち明ける。
光代はその事実に衝撃を受けるが、警察に自首するという祐一を光代は引き止める。
生まれて初めて人を愛する喜びを知った光代は、祐一と共に絶望的な逃避行へと向かうのであった…。


寸評
殺人事件を介した加害者と被害者の家族の対比が切ない。
被害者の父(柄本明 )は殺された一人娘の佳乃(満島ひかり)を溺愛しているが、事件を通じて娘の実態を知ることになる。
その言いようのないはけ口を母親でもある妻(宮崎美子)に向ける。
加害者の祖母(樹木希林 )は祐一(妻夫木聡 )を捨て去った母親(余貴美子 )に代わり、自分一人で育てたことを自負している。
しかし、事件がきっかけで母親と会っていたことを知り、しかも小遣いをせびっていたことを気付かされ、唯一とも思える誇りを傷つけられる。
それでもわが孫を思い続けることしか出来ない肉親の情が痛々しい。

深津絵里がモントリオール映画祭で主演女優賞を受賞したことで話題の映画となっているが、彼女はもちろんながら、主演男優としての妻夫木聡もなかなか良い味を出していた。
そして助演陣も柄本明、樹木希林、岡田将生なども熱演していたが、とりわけ満島ひかりがいい。
みえっぱりで嫌味な女を見事に演じていて、加害者である祐一に対する同情をさそう役を見事にこなしていた。
あまりの熱演で、殺人犯擁護に陥ってしまいそうなほどである。
僕はこの作品における満島ひかりの演技を見て、「この人はスゴイ!」と思わず唸った。

殺人犯以外の悪人が次々と登場する。
人を小馬鹿にしている裕福な大学生(岡田将生)とその取り巻き連中。
老人をカモにする悪徳商法の連中。
他人のことなどお構い無しの傍若無人なマスコミ。
祐一を捨て去った母親。
もちろん、殺された保険外交員の女性までも悪人である。
その他にも自分が育てた子だと占有する祖母や、子供の非行を母親のせいにする身勝手な父親も悪人と言えなくもない。

それでも一点の光明を散りばめて救いを見出している。
増尾のくだらない取り巻き連中のなかに、その生き方に反発するようになる男を存在させている。
祖母に対して押し寄せるマスコミに一括するバスの運転手などである。
また叔母である祐一の祖母夫婦を気遣う甥っ子の存在や、店に出ることがなかった佳乃の母親が理髪店の鏡を拭きながら夫の帰りを待つ姿などもそうである。
なにより今まで通り努めている光代の姿が救いであって、暗くなって重い気持ちになってしまいそうなこの作品をつなぎ止めていた。
「やはり殺人犯なのだから悪人なんですよね」とつぶやく光代の向こうに巻きつけられたスカーフは、これを初めての給料で祖母に贈る優しい心根を持っていた少年が孤独に陥って、出会い系サイトにしか行き場がなくなってしまう今の薄っぺらな世の中に対する警鐘の様な気もした。

秋津温泉

2023-07-11 07:04:12 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/1/11は「甘い生活」「アマデウス」、以下「阿弥陀堂だより」「雨あがる」「アメリカン・スナイパー」「アラビアのロレンス」「アリスのままで」「歩いても 歩いても」「あるいは裏切りという名の犬」「あん」「アンタッチャブル」「硫黄島からの手紙」「息もできない」「生きる」「いつか読書する日」「いのちぼうにふろう」「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」と続きました。

「秋津温泉」 1962年 日本


監督 吉田喜重
出演 岡田茉莉子 長門裕之 芳村真理 清川虹子 日高澄子 殿山泰司
   宇野重吉 神山繁 小池朝雄 東野英治郎 吉川満子 山村聡

ストーリー
昭和二十年の夏、岡山県の山奥の温泉場“秋津荘”の娘新子(岡田茉莉子)は、河本周作(長門裕之)を自殺から救った。
周作は東京の学生だが、暗い時代に絶望し、体は結核に冒され、岡山の叔母を頼ってやって来たのだった。
新子と周作の関係はこれから始まった。
それから三年、周作は再び秋津にやって来た。
荒んだ生活に蝕まれた体の療養だが、岡山の文学仲間と酒を飲み歩き、おしまいには新子に「一緒に死んでくれ」と頼む周作に惹かれる新子は、二人で心中を図った。
しかし、新子の余りにも清い健康な心に周作は、生きることの美しさを取り戻し帰っていった。
昭和二十六年周作はまた秋津にやって来た。
女中のお民(日高澄子)から知らせをうけて新子の心は弾んだ。
周作は文学仲間松宮(宇野重吉)の妹晴枝(中村雅子)と結婚したことを告げて帰っていった。
それでも新子は、周作を忘れられなかった。
二人が出逢ってから十年目、四たび周作がやって来たのは、別れを告げるためだった。
松宮の紹介で東京の出版社に勤めることになったのだ。
その夜二人は初めて肉体の関係を持った。
昭和三十七年、周作は四十一歳。
都会生活の悪い面だけを吸収した神経の持主と変ってしまった周作が、松宮の取材旅行の随行員として五たび秋津にやって来た。


寸評
秋津温泉は岡山県の津山から山あいにわけ行った奥津温泉がモデルであろう。
美しい風景と旅館の風情が作品を包んでいる。
僕は奥津温泉とは山を隔てた真賀温泉にクラブの合宿で何度か行ったことがある。
定宿は山間のひなびた旅館で、前に小さな川が流れていて大きな山椒魚がいた。
映画で見られたような渓谷はなくて殺風景であったが、観光客が押し寄せるでもない静かな雰囲気が良かった。
春先と言う時期だったのに雪が降り積もったことも有ったから、かなりの山間部に位置していたのだろう。
バスに揺られてたどり着いていたので地理感覚はまったくなかった。
舞台は真賀温泉よりは風光明媚な所のようだが、山間の温泉は心を癒してくれるような所がある。
物語はそんな地方と温泉宿を舞台にしているから成り立っている。
兎に角、風景がよくて秋津荘という温泉宿がいいのだ。

岡田茉莉子が演じる新子は、だめな男について行って結局だめになる女で成瀬巳喜男の「浮雲」で高峰秀子が演じた女性と同じような人物像である。
長門が演じる周作は登場時は厭世感漂う青年だったのに、欲と金に溺れてどんどん俗物と化していき、最後は詭弁を弄するだけの男となっており、新子がそんな男に翻ろうされる物語である。
時は終戦間際で、二人は運命的な出会いをする。
結核を患っている周作は絶望感から新子を誘って心中をしようとするが、天真爛漫な新子を見て思いとどまった。
周作は新子によって生きる希望を与えられたのだが、新子は周作から絶望感を与えられて死を選ぶことになる。
どこから見ても周作は意志薄弱の情けない男で、新子のようないい女がどうして周作のような男から逃れられなかったのかと思うが、ダメでだらしない男だからこそ離れられなかったのだろう。
周作は都合の良い時にふらりとやって来て、そして去っていく。
新子にべったりではなく何年かぶりで逃げ込んでくる男なのに、やってくれば新子は嬉しそうに迎え入れる。
自分が「うん」と言ってほしい時に相手は「うん」と言ってくれない。
相手が「うん」と行ってほしい時には「うん」と言えない恋愛のもどかしさである。
それでも新子は周作を思い続けていたのだろうし、新子の気持ちを察しているお民の存在がなかなかいい。
周作だって新子が忘れられないでいるのに、自分の意思などなく状況に流されてしまっている。
周作は結婚した春枝に新子という存在を知られていながら、家庭を捨てることも出来ず、新子を忘れることもできない男である。
五たび秋津にやって来た時の周作にとって、新子は単なる慰み者でしかなくなっていたのではないか。
ラストで心中を迫られた時の周作の日和見的な言い訳には、男の僕でさえ石を投げたい気分である。
何年も周作に裏切られ続けて、死んだような顔で日々を過ごす中年女になっている新子が絶望を感じるのも無理からぬことである。
楽しくて幸せを感じた若い頃の出会いだったが、その出会いが二人にとってその後の人生が悪い方向にしか向かわなかったという悲劇だが、僕には新子の気持ちがよくわかる。
心底愛してしまった人はなかなか忘れられないものだと思うのだ。
新子は命を絶つが、「諦めとか後悔を感じるぐらいなら死んだほうがまし」と言っていた新子の強さを感じた。

赤ひげ

2023-07-10 06:44:39 | 映画
「赤ひげ」 1965年 日本


監督 黒澤明
出演 三船敏郎 加山雄三 山崎努 団令子 桑野みゆき 香川京子
        江原達怡 二木てるみ 根岸明美 頭師佳孝 土屋嘉男 東野英治郎  
   志村喬 笠智衆 杉村春子 田中絹代 柳永二郎 三井弘次 西村晃
   千葉信男 藤原釜足 藤山陽子 内藤洋子 菅井きん 荒木道子
   左卜全 渡辺篤 小川安三 佐田豊 中村美代子 風見章子

ストーリー
医員見習として小石川養生所へ住み込んだ保本登(加山雄三)は、出世を夢みて、長崎に遊学したその志が、古びて、貧乏の匂いがたちこめるこの養生所で、ついえていくのを、不満やるかたない思いで、過していた。
赤っぽいひげが荒々しく生えているので赤ひげと呼ばれている所長の新出去定(三船敏郎)が精悍で厳しい面持ちで、「お前は今日からここに詰める」といった一言で、登の運命が決まった。
人の心を見抜くような赤ひげの目に反撥する登はこの養生所の禁をすべて破って、養生所を出されることを頼みとしていた。
薬草園の中にある座敷牢にいる美しい狂女(香川京子)は、赤ひげのみたてで先天性狂的躰質ということであったが、登は赤ひげのみたてが誤診であると指摘したが、禁を侵して足しげく通った結果登は、赤ひげのみたてが正しかったことを知った。
蒔絵師の六助(藤原釜足)が死んで、娘おくに(根岸明美)から六助の不幸な過去を聞いて登は、不幸を黙々と耐え抜いた人間の尊さを知る。
また登は、むじな長屋で死んだ車大工の佐八(山崎努)とおなか(桑野みゆき)の悲しい恋の物語を佐八の死の床で聴いて胸に迫るものを感じていた。
登が赤ひげに共鳴して初めてお仕着せを着た日、赤ひげは登を連れて岡場所に来た。
そして幼い身体で客商売を強いられるおとよ(二木てるみ)を助けた。
人を信じることを知らない薄幸なおとよが登の最初の患者であった・・・。

寸評
冒頭で着任した保本が先任の津川(江原達怡)から赤ひげ批判を聞かされながら療養所の中を案内してもらうシーンがあるのだが、この小石川養生所のセットはなかなか見事で、美術担当の村木与四郎の仕事は評価に値する。
見事なのは江戸時代の町並みなどもそうで、特に地震で家屋が倒壊する場面などは金が掛かっていることを感じ取れる見事なものだ。
保本と初めて対面するときの赤ひげの三船はさすがの貫禄で、振り返ったその所作と顔だけで画面を威圧し、赤ひげがどのような医者であるのかを無言のうちに語っていた。
「赤ひげ」のタイトルからして主演は三船敏郎なのだが、全体としては登場シーンは少なくセリフも少ない。
むしろ保本の加山雄三が狂言回し的に登場して物語に絡んでいて、不幸を背負った人々を描いたオムニバス映画とも見て取れる。
一つは蒔絵師の六助に関わる物語、一つは車大工の佐八(山崎努)の話、もう一つは身も心も病んでいるおとよに関わる話である。
それに座敷牢に隔離されている美しく若い女の話なども加わってくるし、保本と許嫁であったちぐさ(藤山陽子)との間にある個人的な問題も彩を添える。
盛り沢山なので185分の長尺となっており、途中では5分間の休憩が入る作品だ。

一つ一つの話は泣かせる。
六助の死ぬ様はさすがは藤原釜足と思わせ、危篤状態で一切セリフはないなかで見事な息の引き取り方を演じてみせていた。
娘のおくにが語る話は、彼女の家族間で起こった悲劇的な内容で唖然とさせるが、そんなおくにを赤ひげが救ってやる経緯は少し甘ったるいヒューマニズムと感じるが、それぐらいがないと救われないからなあ・・・。
車大工の佐八の話は妻おなかとの純愛物語なのだが、義理に翻弄されるおなかの行動が切ない。
事前の佐八の告白シーンでその伏線が張られていたが、おなかが行方不明となるきっかけの地震のシーンは前述の通りすごい迫力で、倒壊した街並みのセットも凝ったもので圧倒される。
香川京子、二木てるみの両女優の狂人ぶりも話を盛り上げている。
香川京子は、それまでの役柄のイメージを打ち破る熱演で、メイクで表情を一変させ保本に襲いかかる姿に驚かされた。
暗い小石川療養所が舞台だけにライティングが効果を上げていて、特におとよに当たるスポットライト的な使い方は目だけを光らせる素晴らしいものだ。
おとよの狂人性を表すためのものだが、おとよが飛び起きた時にピタリとそこに決まるのには、撮影時における苦心がうかがえて映画職人たちの技術に感心するシーンだった。
おとよが同情を寄せるコソ泥の長次(頭師佳孝)に関わるエピソードには泣いてしまった。
賄い婦たちにネズミとあだ名されている長次が一家心中に巻き込まれて瀕死の状態でいるときに「ネズミがネズミ取りを飲むなんて」という可笑しくなるセリフを持ち込みながら、最後の最後は大団円を迎える。
申し訳程度の乱闘シーンはあるものの、暴力を排除した黒澤明一世一代の泥臭いヒューマニズム作品とも言えるが、泥臭さもここまで徹底すると重厚な作品に仕上がっているし、黒澤の力量を感じ取れる作品になっている。

赤ちょうちん

2023-07-09 06:59:55 | 映画
「赤ちょうちん」 (1974) 日本


監督 藤田敏八
出演 高岡健二 秋吉久美子 河原崎長一郎 横山リエ 長門裕之
   石橋正次 山科ゆり 中原早苗 悠木千帆 三戸部スエ 陶隆
   南風洋子 山本コウタロー 小松方正

ストーリー
有料駐車場に勤める政行(高岡健二)と修(河原崎長一郎)の二人が、新宿の雑踏の中で幸枝(秋吉久美子)とその友人ミキ子(山科ゆり)の二人の少女と交わした会話から、政行と幸枝の間に愛が芽生えた。
その夜、二人は、政行のアパートで何気ない一夜を過した。
電車の轟音に耐えきれず政行は幡ケ谷へ引っ越した。
そんなある日、政行は幸枝と再会し、彼女は政行のアパートに移って来た。
数日後、二人が外出から帰ってみると、部屋に小太りの中年男(長門裕之)が寝そべっていた。
男は保険屋だといい、腹痛を理由に居候をきめこんだ。
奇妙な三人の同居生活が始まった。
政行は駐車場をやめ、修とコンビでトラックの長距離輸送を始めた。
そんなある日、政行が仕事から戻ってみると、幸枝と中年男は床を並べて眠っていた。
「火葬場が近く一人で寝るのがこわくて……」そんな幸枝をいとおしく思いながらも、二人の間に冷たい風が吹き抜けた。
二人は修の住む、新宿のアパートへ移った。
そして、ここで幸枝が妊娠していることを知った。
「おろせよ」政行は冷たく突き放した。
幸枝にとっては身の切られるほど切ない夫の言葉だった。
家賃の問題、赤ん坊のこと、二人はむしゃくしゃした気持ちを振切るべく調布に引っ越した。
やがて男の子が生まれ、とやかく言った政行も親馬鹿振りを発揮し、二人は幸福だった。
しかし、管理人のクニ子(悠木千帆)は、いつもこの夫婦を好奇な眼で見ていた。
さらに幸枝の最愛の田舎のおばあちゃんが死んだという知らせにより幸枝の心が乱れ、気分転換のために、また引っ越すことにした。
今度は下町の葛飾区で格安の家を見つけた。
隣のおばさん文子(南風洋子)はとても親切にしてくれた。
実は政行たちの家は、昔一家心中があり、長く空き家になっていたのだった。
政行は恐怖に堪えながら、幸枝には知らせなかった。
しかし、数日後、幸枝が分不相応なダブルベットを買ったことから、政行は幸枝も心中の事を知っているのだろうと思った。
かつて血で汚れた畳の上では寝られなかったのだ。
その日、隣の主人敬造(陶隆司)が鳥の羽を剥いでいた。
その羽が幸枝の鳥アレルギーを刺激し、その夜から幸枝の挙動が一変し、突如政行を殴りつけたりした。
翌日、幸枝は米屋の店員をビールビンで殴って大怪我をさせ、彼女は目を異様に光らせて、トリ肉に食いついていた……。
幸枝は精神病院の鉄の扉の中へ保護された。
数日後、政行は引っ越しをした。
今度は赤ん坊と二人きりで……。


寸評
幸枝と政行はふとしたきっかけで知り合い、再会したことから同棲を始める。
「漫画アクション」における上村一夫の漫画「同棲時代」の好評を受け、この頃に同棲物の作品として1973年に「同棲時代-今日子と次郎-」と「新・同棲時代-愛のくらし-」が撮られ、大信田礼子の歌う主題歌「同棲時代」もヒットし、同棲が時代を著していたとも言える。
この作品もその流れを汲んでいると思うのだが、主人公たちの純愛は破滅へと向かっていく描き方は藤田敏八らしい。
幸枝と政行は身の回りに変化が起きると転居することを繰り返していく。
その間に保険屋と称する長門裕之が登場して、奇妙な共同生活を始めるのだが、この男の役割は何だったのだろう。
幸枝の優しさを示すための人物だったのだろうか。
それともチャランポランなように見える幸枝と政行たちは案外と真面目に生きていて、いい加減な大人の代表者として彼は存在していたのだろうか。
彼の生死と保険金の受取人が不明のまま画面から消え去っていく。
幸枝と政行の最大の転機は幸枝の妊娠だろう。
若い二人にとって大問題であることは容易に理解できる状況だ。
政行が堕せと言うのに対し、幸枝は産む決心をするのも考えの相違としては普通だろう。
結局子供が無事に出産されることになり、政行はいい父親振りを見せる。
二人の第二の転機とも言えるのが、南風洋子が大家さんという家に引っ越したことだ。
政行は南風洋子の息子である山本コウタローが勤める工場で働くことになるが、ここで政行はミキ子と関係を持ってしまい、そのことを山本コウタローにかばってもらっている。
政行の浮気問題はそれ以上描かれていない。
隣の主人がニワトリを調理しようとしていることで、鳥アレルギーの幸枝が変調をきたし結末を迎えることになるのだが、なんだか軽い展開に感じてしまう。
出産問題はあったけれど、生活費の苦労もなさそうだったし、幸福感から絶望へと向かう悲壮感もなかったのだが、突然の破局のような感じがしてしまう。
僕はこの頃の秋吉久美子を気に入っていて、演技もしっかりしている若手俳優のNo1と思っていたのだが、歳を取っても若い頃のイメージのままで頑張っていることに拍手を送りたい。
秋吉久美子はこの後、同じく1974年の「妹」「バージンブルース」で藤田敏八とコンビを組んでいる。
藤田敏八は随分と秋吉久美子を気に入っていたのだと思う。

赤い殺意

2023-07-08 09:20:26 | 映画
「赤い殺意」 1964年 日本


監督 今村昌平
出演 春川ますみ 西村晃 露口茂 楠侑子 赤木蘭子
   北林谷栄 北村和夫 小沢昭一 宮口精二 加藤嘉
   近藤宏 北原文枝 殿山泰司 加原武門 糸賀靖雄

ストーリー
強盗(露口茂)が押し入った夜、夫の吏一(西村晃)は出張中であった。
恐怖におののく貞子を、殴打しスタンドのコードで縛りあげて、獣のようにせまって来る男に、貞子(春川ますみ)は半ば気を失って呻いた。
明け方強盗は再び貞子を犯して去った。
“死なねばならない”貞子は、土手の上を通る鉄路にふらふらと出てみたが子供勝への愛情はたち難かった。
翌日出張から帰って来た夫に、何度かうちあけようとしたが、何も気づかない風の吏一の態度に、言葉をのんだ。
東北大学の図書館に勤める吏一には、事務員義子(楠侑子)と五年も肉体関係がある反面、家庭ではケチで小心な夫であった。
再び強盗が貞子の前に現れたのは、あれから二日後の夜だった。
乱暴なふるまいのあと、「もうじき死ぬのだ、あんたに優しくしてもらいたいのだ」と哀願した。
その夜吏一に抱かれながら、貞子は、家庭の平和を乱したくないと苦悶した。
だが、デパートの特売場で、強盗に声をかけられた貞子を、義子が見てから、夫は、近所の学生英二(糸賀靖雄)との間を疑うようになった。
二月の初め、妊娠に気づいた貞子に、強盗は“腹の子は俺のだ”と執拗にせまった。
吏一の父清三の葬儀に行った貞子は、自分が妾腹だという理由で入籍されず、子供の勝が清三の子になっているのを知って愕然とした。
数日後、強盗が合図の石を屋根に投げたのを聞いた夫が、英二の仕業と思いこみ嫉妬にかられて隣家に踏みこんだ。
夫に疑われて追いつめられた貞子は、強盗に会いにいった。
強盗は平岡というトランペット吹きで、心臓を病んでいた。
よわよわしい彼の表情に負けて、またも温泉マークに入った貞子は、ついに平岡を殺そうと決意した。
農薬をジュースに混入して殺すのだ。
吏一の東京出張中、貞子と平岡は、汽車に乗ったが、途中不通となったため、吹雪の中を疲労にふらつく平岡を助ける貞子に義子が木影からカメラをむけていた。
疲労の末貞子が手を下すまでもなく悶絶してゆく平岡を前に、貞子は、何か説明しがたい胸の痛みを感じた。
そして義子も、カメラをもったまま車にはねられて死亡した。
何ごともなかったような毎日が始まったが、貞子の上には女としての自覚と責任が新しく芽生えていた。


寸評
舞台が東北で、主人公が不幸な出生で肉感のある女であることが、どういう訳か僕にはリアリティを感じさせた。
内容的には煽情的なサスペンス劇なのだが、リアリティ感が民俗学的なものを感じさせる力作である。
戦災孤児だった貞子は、祖母がその先代の妾だったことから高橋家に身を寄せ、ずっと女中同然にこき使われてきた。
そして吏一に犯されて妊娠し、やむを得ず嫁に迎えられ息子の勝も生まれていたが籍はまだ入っていない。
主婦になった今も姑や夫にバカにされている。
貞子自身もちょっと知恵が足りないのではないのかと思われるような愚鈍なところがある。
しかし、村の男の夜這い相手として標的になっていたほどだから、貞子には女としての性的魅力があり、吏一にも強盗の平岡にも犯される。
貞子は強盗に犯され自殺を考えるが、その前にご飯をモリモリ食べるし、首を吊ろうとしたら自分の重さで紐が切れてしまうなど滑稽な姿が描かれる。
寝床で貞子が「お父ちゃん・・・」と声を漏らすと、夫の吏一も「お母ちゃん・・・」と返すなど笑ってしまうようなシーンが多い。
それがまたリアリティを感じさせてしまうのだから不思議なのだが、多分、作品全体が日常生活的なリアリズムで描かれているせいであろう。

自分はそうしたくないのだが仕方なくそうしているのだと、貞子は自分に言い聞かせるように、あるいは開き直りで平岡との関係を続けてしまう。
人が良い貞子は平岡を殺そうとしても殺し切れない。
家を守るために夫には本当のことが言えない。
一方では家の思想が残る高橋家からの冷たい仕打ちにも耐えている。
それらを通じて描かれているのは、庶民の女の図太い生命力である。
貞子の鈍重な動きに付き合っていくうちに、男たちはいつの間にか彼女のペースに巻き込まれてしまうのである。
平岡に支配されていた彼女は、徐々に心臓の持病を持つ彼を支配しだす。
姑にも夫にも文句を言われ、指示されるばかりだった女がだんだん目覚めていって強靭な存在になっていく。
そして証拠の写真を見せられても、それは私ではないとシラを切りとおし、逆に開き直って夫の吏一を慌てさせ、立場を逆転させてしまう。
平凡な主婦に戻った彼女は、いまや姑も頼りにする存在になっている。
男は身勝手な存在として強さを誇示するが、心底強いのは女の方なのだと思う。
家庭においては妻に従っていた方が平和なのだと再確認。

青い珊瑚礁

2023-07-07 08:01:50 | 映画
「青い珊瑚礁」 1980年 アメリカ


監督 ランダル・クレイザー
出演 ブルック・シールズ クリストファー・アトキンズ
   ウィリアム・ダニエルズ レオ・マッカーン
   エルヴァ・ジョゼフソン グレン・コーハン アラン・ホップグッド

ストーリー
南太平洋の広大な海上を一隻の帆船がゆったり進行していたが、その船内にはアーサー(ウィリアム・ダニエルス)と8歳になる息子のリチャード(グレン・コーハン)、従妹で7歳のエミリーン(エルバ・ジョゼフスン)がいた。
ある日、その船内が火事で突然燃え出し、リチャードとエミリーンは、アーサーとはぐれ、料理番のパディ(レオ・マッカーン)と3人だけがボートに乗った。
恐ろしい一夜が明けて、目覚めてみると、エミリーンの目に別天地のような美しい島影がうつった。
しかし、その島は無人島で、過去に漂流してきたらしい人々のガイコツと酒樽がころがっていた。
2人はパディから毒のある木の実の見分け方、縄の結び方など生きるために必要なことを教わるが、ある朝、そのパディが事故で死に、リチャードたちは途方にくれた。
それから数年後。女らしく成長したエミリーン(ブルック・シールズ)と逞しい青年になったリチャード(クリストファー・アトキンズ)は、エデンの園のアダムとイブのような毎日を送っていたが最近では思春期の徴候がそれぞれを悩まし始め、いっしょの部屋では生活できなくなっていた。
ある夜、リチャードは島の反対側からきこえる不気味な音を耳にした。
チャードは、恐ろしい何人かの裸の男たちの生にえの儀式を目にした。
逃げるようにして戻る除中、彼は高熱に苦しんでいるエミリーンを見つけた。
リチャードは彼女を必死で看病し、彼女が全快した時、初めて愛を意識し結ばれた。
そしてエミリーンは妊娠し、苦しい出産を終え、子どもとの新しい生活がはじまった。
それから間もなくして、息子たちを探しつづけていたアーサーの捜索船が島にやって来た。
しかし2人はその船に背を向けた。
食糧も水もなく死をまつばかりという不幸な状況に見まわれ、食べ物を欲しがった坊やは食べてはいけない赤い木の実を食べぐったりし、それを見て、リチャードが残りの実を2分した。


寸評
僕がブルック・シールズの名前をなぜ覚えているのかは定かでない。
男子プロテニス選手のアンドレ・アガシと4年間の交際を経て結婚していたことがあるということによるものか、あるいは美人女優として日本で多数のテレビCMに出演していたことによるものなのかもしれない。
もしかすると、皇太子徳仁親王(現今上天皇)とも交流があり、皇太子殿下が彼女のファンだと公言されていたことによってなのかもしれない。
しかし、なぜかブルック・シールズの名前を忘れたことはない。
彼女は女優として何本かの映画に出演しているが、僕が記憶に残るのは、と言うより唯一観た映画がこの「青い珊瑚礁」である。
僕にとっては、この映画の存在がブルック・シールズを女優ならしめている。

映画は単純、単調だ。
少年少女が孤島に漂着して成人していく過程での出来事は描かれるが、その内容に目新しいものはなく冒険活劇物と呼ぶような作品には仕上がっていない。
ただブルック・シールズが眩しいばかりの肢体を見せ、南の島の美しい自然の中で躍動するのが見せ場だ。
その分、内容は官能的でもある。
海中を三人で泳ぐシーンなんて感動的な程美しく、水中撮影でのカメラ班の苦労が感じ取れる。

彼らはいとこ同士で一身共同体として生活しているが、やがて思春期を迎える。
そのことでの変化は人間の男女が持つ本能的な感情で微笑ましいし、自然な肉体的(性的)変化に対しての二人の不器用だが一生懸命な対応の妙が面白い。
なんてことのない映画なので、この一生懸命な対応こそがこの映画の全てと言っても過言でない。
この2人は『恋』というものを知らない。
それなのに、なんだか分からないが相手を目で追ってしまう、なんだか分からないが相手に触れたくなる。
何の知識もなくとも、恋愛映画など見ずとも、普通に恋を覚えるという感動がある。
昨今は結婚願望が男女ともに減少してきているらしいが、この映画を見ると男女が結ばれることは人間の本能ではないかと改めて知らされる。
成長するにつれて、女性であるエミリーンの方がしっかりしていくのは実社会と同じだとくすぐったくなる。

彼らに子供が生まれ、孤島での生活が彼らにとっての天国となる。
ここには彼ら以外の社会はないし文明もない。
彼らは意識的に救出の船を見送る。
それは、彼らが得た幸福を失いたくない、ここでの生活にこそ幸せがあるという意思表示でもあった。
ラストシーンは、続編を見ると悲劇であり、この作品だけで判断するならハッピーエンドだ。
どちらの方がより映画的なのかは見る人次第ということかな?

愛の予感

2023-07-06 07:10:17 | 映画
「愛の予感」 2007年 日本


監督 小林政広
出演 小林政広 渡辺真起子

ストーリー
新聞社に勤める順一(小林政広)は、数年前に妻をがんで亡くし、中流所得層にとって憧れである東京湾岸の高層マンションで娘と二人暮らしの生活を送っていた。
そんなある日、事件が起こった。
娘が学校の教室で、同級生の女の子に刺し殺されたのだ。
妻も娘も失い、生きる希望を失った順一は、仕事を辞め、鉄工所での職を得て、北海道にある民宿でひっそりと暮らし始める。
そして彼は、その民宿で賄いの仕事をするひとりの女、典子(渡辺真起子)と出会う。
この女性こそが、順一の娘を殺した子の母親だった。
典子もまた身を隠すように東京を離れ、北海道の僻地でひっそりと暮らしていたのだ。
互いに名乗ることもせず、言葉を交わすこともない2人だったが、やがて順一にとって、原罪を背負ったかのように生きる典子が、次第にかけがえのない存在になっていく。
ある日、順一は買い求めた携帯電話を愛情表現として典子に渡すが、典子は順一を徹底的に拒絶する。
しかし、典子の心に変化が起こり潤いが漂い始める。
今度は典子が順一に携帯電話を渡すが、順一はその携帯電話を屑篭に捨ててしまう。
はたして二人は心を通わすことが出来るのだろうか・・・?
二人の間に愛は芽生えるのだろうか・・・?


寸評
主人公の男は元新聞記者ということもあって、佐世保で起きた小6女生徒の殺害事件を連想させる。
男は当時毎日新聞の記者だった御手洗氏がモデルなのかもしれないが、そのことは全く関係なくて題材をそこから得ただけの作品だと思われる。
事件の背景とか、当事者である小学六年生であった女生徒の心象に迫っているわけではなくて、加害者の女生徒をかかえた母親と、同級生だった娘を殺害された被害者である父親のいたたまれぬその後の人生を描きながら、やがて不条理の愛情を芽生えさせる恋愛映画だったと思う。
ただしこの作品はただの恋愛映画ではなくて、構成は実験映画めいていて劇中のセリフは全くない。
冒頭に加害者の母親と、被害者の父親へのインタビューがあり、そこで二人の肉声を聞かされる。
ふてくされたように見える母親、すべて親の責任なのかと開き直る母親、子供のことがよくわからないと戸惑いを見せる母親。
冒頭のインタビューに答える渡辺真紀子さんは存在感があって、その後のセリフのない映画を際立たせる役目をしっかりとこなしていた。
ただ謝りたいという加害者の母親と、その伝言を聞いても会いたくありませんと拒絶する被害者の父親。
そこで終わったインタビューのあとはラストの父親の独白まで台詞が入ることはない。
ただただ同じようなシーンが何回も何回も繰り返されるだけである。
男は製鋼所で同じような作業を繰り返し、宿舎に帰っては晩御飯を食べ風呂に入るだけの生活。
女は宿舎の賄い婦としてジャガイモの皮むきなど、これまた毎日同じような作業を繰り返し、一人壁に向かってサンドイッチの昼食をとる毎日。
それが何回も何回もあきるほど繰り返される。
ところがセリフのない同じような画面を見ているうちに観客である僕はふと気付くのだ。
女は卵焼きを作っているのに男のメニューにはなくて、彼はいつも卵かけご飯を食べているのはなぜ?
どうやらおかずには箸をつけていないようなのだが、いったいそれはなぜ?
そこで僕は推測する。
いつかの時点で生卵でよいことを伝えたはずだから男と女に会話がなかったわけではないのだと。
そう思うと男はわざとおかずに箸をつけていないのだと思えてきた。
おそらく男は女が加害者の母親であることを気づいていて、彼女の作ったものなど口にいれたくないという意思表示ではないのかと。
そう想像すると、とたんにこの映画は自分の中で急展開を見せる。
女はなぜおかずを食べないのか問いただした筈だとか、もしかするとそのことを通じて男は自分の正体を女に告げたのかもしれないとか、勝手な想像が駆け巡りだす。
そうしているうちに最後に男の独白を聞く。
「僕は貴女なしでは生きられない。貴女と一緒では生きていく資格がない。だからあなたをただただ・・・。」と。
そのあとの続く言葉はきっと「愛し続けることだけ」だったと思う。
親として子供の責任を背負う必要に迫られ、それでもその親にも人としての一生が残っており、そこには苦行とも思える人生が生み出され・・・。
切ないなあ~。

愛の亡霊

2023-07-05 07:21:57 | 映画
「愛の亡霊」 1978年 日本
監督 大島渚
出演 田村高廣 吉行和子 藤竜也 杉浦孝昭 小山明子
   河原崎建三 川谷拓三 長谷川真砂美 伊佐山ひろ子
   佐藤慶 殿山泰司 佐々木すみ江 小林加奈枝
   北村英三 山本麟一 三星東美 伊波一夫

ストーリー
儀三郎(田村高廣)は車引きで妻のせき(吉行和子)と幼い息子と暮らし、娘(長谷川真砂美)は奉公に出していたが、この家に若い豊次(藤竜也)が出入りするようになった。
義三郎はせきに対し、豊次はお前に気があるんじゃないかと話したが、せきは26歳も若い男となんてとまともに聞いていなかった。
豊次がせきの家を訪れると、せきは胸をはだけて息子と昼寝をしていた。
これを見た豊次はせきに関係を迫り豊次とせきは結ばれた。
義三郎が仕事をしている間に二人は関係を持つが、お互い本気になり、豊次が義三郎を殺そうと言い始めた。
豊次に惚れきったせきも同調し、焼酎を大量に飲ませ眠らせて首を絞めることにした。
義三郎の死体は二人で森の中にある古井戸に落とした。
それ以来豊次は山の落ち葉を拾っては古井戸に投げ込んだ。
この光景を西の若旦那(河原崎建三)に見られてしまった。
世間を気にした二人は今までと同じように別々に暮らし、せきは義三郎が東京へ出稼ぎに行ったと近所には言っていた。
やがて3年がたち、周囲では義三郎が帰って来ないのはおかしいと言い始めまた。
娘が帰省していて、父の義三郎が井戸の中で寒いと言っているという夢を見たと言った。
また近所の噂も激しくなり、警官の堀田(川谷拓三)も事情聴取を始めた。
そしてせきの前に義三郎の幽霊が現れるようになった。
車を引いたり、家で座っていたりと頻繁に現れ始めた。
怖くなったせきは豊次に話したが豊次には見えないと言われる。
そして古井戸の中に義三郎がいるという噂が広まりだした頃、豊次は唯一見られた西の若旦那を殺した。
警察のマークも厳しくなり、近所の疑いも強くなったことで、せきは自殺を図り、家の中に火を付けた。


寸評
当時40過ぎだった吉行和子が体当たり演技を披露している。
豊次とは26歳の年齢差となっているから、せきの年齢はもう少し上だろう。
夫の儀三郎は晩酌を済ますと車引きの仕事の疲れからか眠り込んでしまう。
せきはそんな夫に肉体を持て余し、不満を持っていたのだろう。
せきに若い豊次が近づいてくるが、26歳も若い男から言い寄られてせきもまんざらでもなかったと思う。
それは男でも女でも同じ感情だと思うが、せきはもう少し軽薄でも良かったように思う。
吉行和子は印象からして理知的に見えてしまう。
出来てしまった二人は儀三郎を殺害するが、せきが殺害を承諾する気になる描写がユニークだ。
せきは豊次によって抵抗することもなく陰毛を剃られてしまう。
豊次は陰毛がないことを儀三郎に問い詰められては二人のことがバレてしまうことになるから殺すしかないのだと説得するのである。

儀三郎の姿が見えないことが噂となり、豊次とせきは会うことを控えるが、色欲に狂った二人が人目を偲んでむつみ合った方が僕としては内容的にしっくり来たような気がする。
性に溺れていく姿がないのでサスペンス的要素が入り過ぎているように思えてしまった。
娘は巫女的な能力が備わっているのか、父親の死を予見し、ついには殺害も見抜いている。
神を思わせる娘と呼応するように儀三郎の幽霊が登場する。
儀三郎の幽霊は恨みごとを言うでもなく、呪うでもなく、ただ生前と同じような仕草を見せる。
酒を飲み、車を引くのだが、幽霊なので顔だけは雪のように冷たい白色をしている。
亡霊なので、儀三郎の幽霊はせきだけに見えても良さそうなものだが西の家のお内儀(小山明子)も見ているのが不思議に思えた。

物語の進行を告げるナレーションが入り、僕はそのことで盛り上がった気分を削がれてしまったのだが、ナレーションの内容を映像で描くことは出来なかったのだろうか。
二人は儀三郎の死体を古井戸から取り出して別の場所に埋めようとする。
その時に落葉がせきの目に刺さって失明してしまう。
ドラマチックなシーンだが、片目だけ刺さったと思うので盲目になってしまったことを不思議に思う。
生きることに絶望した二人は、自分一人が罪をかぶると言い合うようになるが、二人とも罪をかぶれば共犯と言うことになってしまい二人は死刑になる。
僕は未見なのだが、ハードコア作品としてセンセーションを巻き起こした「愛のコリーダ」の続編と思える作品で、前宣伝もそんなイメージでなされていたと思うのだが、内容はいたって平凡なものである。
儀三郎が引く車の車輪がクルクルと回るシーンから始まり、途中でもそのようなシーンが挿入されている。
僕は稲垣浩の「無法松の一生」を思わず思い浮かべたのだが、大島には「無法松の一生」へのオマージュもあったのだろうか。
大島はこの後、「戦場のメリークリスマス」、「マックス、モン・アムール」、「御法度」を撮るが、やはり性を巡るいびつな関係を描き込んでいるから、この頃からそちらへの興味が湧いていたのだろう。

愛の渦

2023-07-04 06:54:28 | 映画
「愛の渦」 2014年 日本


監督 三浦大輔
出演 池松壮亮 門脇麦 新井浩文 滝藤賢一 三津谷葉子
   中村映里子 駒木根隆介 赤澤セリ 柄本時生 信江勇
   窪塚洋介 田中哲司

ストーリー
秘密クラブ「ガンダーラ」
時間:0時~5時まで
料金:単独男性2万円、単独女性1千円、カップル5千円
ルール:コンドームを必ずつけること。
    行為の前には必ずシャワーを浴びること。
    女性の意思を尊重してHすること。
閑静な住宅街にあるマンションの一室。
バスタオル1枚で気まずそうに思い思いの場所に座っている男女8人。
暗い顔の親から仕送りをもらっている引きこもりニート(池松壮亮)、茶髪のフリーター(新井浩文)、真面目そうなサラリーマン(滝藤賢一)、工場勤務の太った男(駒木根隆介)、地味なメガネの女子大生(門脇麦)、気の弱そうな保育士(中村映里子)、かわいらしい今どきのOL(三津谷葉子)、大量のピアスをつけ痩せぎすの女(赤澤セリ)などで、社会では友達関係になりえない、バラバラな風貌だ。
ここは「セックスがしたくてたまらない人たちが集まる」店。
行為に及ぶまで、ぎこちないやり取りがあるが、一度してしまえば欲望は気持ちいいほどむき出しになっていく。
しかし同時に、「やりたい相手」と「やりたくない相手」、それにともなう駆け引きや嫉妬など、それぞれの本音も露になっていく。
そんな中、ニートは女子大生に特別な感情を持ち始める。
ぶつかり合う心と体、真夜中に途中参加してくるおかしなカップル、欲望渦巻く一晩は一体どこへ向かうのか…


寸評
乱交パーティに集った男女8人の物語というだけでかなりセンセーショナルだ。
客である8人の出演者は、ほとんどの時間をバスタオルを巻いた姿で過ごし、時たまセックスにふける。
最初はぎこちない会話で始まりなかなか打ち解けられない。
やがてそれぞれが行為を終えると、少し和やかな雰囲気が出てくる。
再度、行為に及んだあとはそれぞれのエゴが出てきて、他人を誹謗中傷するようになってくる。
こんなクラブがあれば、そのような進展を見せるのかもしれないなと納得させられる。
いわゆる会話劇の範疇に入る作品で、2時間をしっかりと見せてくれる。
力作と言っていい作品なのだが、しかし中身は何もなくて、したがって後に何も残らない作品でもある。

8人の男女に店長と従業員、途中で加わった1組のカップル。
合計12名の心の概念のようなものはどこにもない。
わずかに、多少恋しかけた青年の湧き上がる心の動きはあるけれど、それもあっけなくしぼんでしまう。
途中で加わった男の勝手な言い分も出てくるが、そのカップルもあっけなく消え去ってしまう。
なんだかイラつく展開なのである。
僕には三浦のこの映画への意図がはっきりしてないのが今苛つく原因だったと思う。
映画では何を撮りたいのかが作品から自然と湧き出てくるはずなのだが、この作品にはそれがない。

際立った場面設定なのだがリアリティのないのも乗り切れない一因だ。
わざとらしい女子大生・門脇麦の喘ぎ声だけではない。
あんな場所で本当の職業なんていう奴がいるわけがないし、出身地だって明かすはずはないと思うのだ。
嘘ついたり、見え張ったりすると思うのだが、そんな心理を表現していたわけではない。
そもそもこの8人がここに来た背景も不明で、単なる助べえの集まりでは映画としてどうなのかなあ…。

アクセントはあることはあるのだ。
一番は池松壮亮のニートと、門脇麦の女子大生の関係で、心を通わせた感がありながらも、偽りの自分と本当の自分の出会いで結びつくことはない。
そのはかなさは余りのあっけなさのために消化不良である。
サラリーマンの滝藤賢一に奥さんから電話がかかってきたり、コンドームを片付ける従業員の窪塚洋介に子供が生まれたメールが入ったりする家族を意識させるシーンもあるのだが、それが彼等にどう影響したのかを描くことも拒否している。
僕が印象に残ったシーンは結局、窪塚洋介がメールを見るシーンと、女子大に戻った門脇麦が普通の女子大生の笑顔を見せるシーンだけだった。
不思議なことに、出演者が男女ともに裸を見せて頑張っていたのに、そのシーンが何も残っていない。
映像ではあらゆる行為は見せてはいても風景的だったことに起因しているのだろう。
だからこれはポルノ映画ではない。
その点においては作者の意図は伝わってきた。

愛なのに

2023-07-03 06:54:39 | 映画
「愛なのに」 2021年 日本


監督 城定秀夫
出演 瀬戸康史 さとうほなみ 河合優実 中島歩
   向里祐香 丈太郎 毎熊克哉

ストーリー
とある古本屋の店主、多田浩司(瀬戸康史)はまもなく31歳になる男。
ある日、1冊の本を万引きして逃走した女子高生の矢野岬(河合優実)を追いかけ、捕まえて店に連れ帰った。
多田から万引きについて問われた岬は自分の名前を覚えてほしかったと理由を語り、唐突に「前から多田さんが好きでした。私と結婚してください」と求婚してきた。
多田は苦笑いしながら、大人が高校生に手を出すのは道理に反することだと岬をなだめた。
そして多田は岬に自分が読んでいた本を与えて帰ってもらった。
多田の店にまた岬が現れ、ラブレターを多田に渡してきた。
多田は自分には好きな人がいることを明かして岬を振り払おうとしたが、岬はお構いなく自分は高校卒業まで待つからと言い放ち、何度でも告白し続けると宣言した。
岬のラブレターは以前からかなり何通も溜まっていた。
多田が長年想いを寄せている女性は、バイトをしていた頃の同僚だった佐伯一花(さとうほなみ)だった。
多田には一花にフラれたというほろ苦い思い出があった。
ある日、多田のもとに親友の広重(毎熊克哉)から電話がかかってきて、一花が結婚することを知らされた。
一花は婚約者の亮介(中島歩)との結婚式の準備を進めていたが、実は一花の知らないところで亮介はウェディングプランナーの隈本美樹(向里祐香)と浮気をしていた。
美樹は亮介が結婚したらきっぱりと別れて二度と会わないと決めていた。
一花は亮介のスーツの中からラブホテルのライターを見つけ、亮介が浮気をしていたことに気付いた。


寸評
重なり合うところはあるが、基本的には二組の恋愛模様を描いていて、その二組の関係は両極端である。
人にある精神と肉体の関係を具現化していたと思う。
未成年との関係は出来ないと言う多田に対して、岬は「そういうことはしなくていいんです。ただ結婚して一緒にご飯食べたり映画を見たり悩みを相談したり、そういうことがしたいだけです」と答えて、精神的な結びつきを望んでいることを訴える。
一方の亮介と一花の関係は正に肉体関係を描いていたと思う。
言い方を変えると、片やメルヘン、片や現実とも言える。
多田に寄せる岬の思いは微笑ましいし、演じる河合優実は愛くるしく好感が持てる。
拒否しているようで完全に拒絶していない多田を見透かして、岬は「フラれても気まずくはない。拒絶されているとは思わないから」と平然としたものである。
狂おしいまでの片思いって存在していると思うので、岬の一途な思いは分かるのだ。

一花が婚約者の亮介の浮気を知ってからが俄然映画は面白くなる。
一花は予想を覆す行動と言動を繰り返すのだが、それが笑ってしまう内容でコメディの要素が出てくるのだ。
彼女は亮介が浮気をしたのだから自分も同じことをしていいかと言い出す。
もちろん選ぶ相手は物語を考えると多田しかいないのだが、多田の戸惑いは想像できる。
自分が多田の立場だったらやはり欲望と理性の間で悩んでしまうだろうなと思った。
思い続けていた一花から多田が要求されたことは、多田にとっては残酷なものだったと僕には思える。
死ぬほど一方的に愛した女性は、一花のような悪魔のようなことをするものだとも思う。
でも結局、多田と同じような行為をしてしまうだろうなとは思う。
そして一花はその罪を神父に打ち明ける。
一花が罪を感じているのは多田と関係を持ったことではなく、そのことを告げる場面は包括絶倒である。
困った神父は「御心のままに行動しなさい」としか言いようがない。
それを一花は「己心のままに」と解釈し事に及ぶ。
一方、亮介は浮気相手と最後の密会をし、行為が終わった後で決定的なことを言われてしまう。
この場面も又包括絶倒もので、浮気相手の隈本美樹を演じる向里祐香の演技が何とも言えず可笑しい。
完全に喜劇映画に変化しているのだが、それへの切り替えが絶妙だったように思う。

多田の手紙を見た岬の両親が押しかけてきて警察沙汰となるが、それでも岬は多田の元を訪ねてくる。
「両親は?」と聞く多田に岬は「それって、私たちに関係あります?」と逆に問い返す。
岬も「己心のままに」なのだ。
披露宴に出席した広重が多田に引き出物を届けに来て、そこに居た岬との関係を聞く。
多田は「ただの常連」と応えるが、もしかすると「多田の常連」だったのかも知れない。
その為に男の名前を多田にしていたのかもしれないなと思った。
引き出物は夫婦茶碗で、多田は女性用を岬にあげると、岬は「うれしい」と応える。
最後に再び青春映画となるエンディングには納得である。

あいつと私

2023-07-02 08:53:28 | 映画
「あいつと私」 1961年 日本


監督 中平康
出演 石原裕次郎 宮口精二 轟夕起子 芦川いづみ 清水将夫
   高野由美 吉永小百合 酒井和歌子 尾崎るみ子
   細川ちか子 中原早苗 高田敏江 吉行和子 笹森礼子
   小沢昭一 伊藤孝雄 滝沢修 渡辺美佐子 浜村純

ストーリー
都心から離れた専明大学には若さと明るさと太陽だけがあった。
黒川三郎はそういう学生の中にあって特に野放図でくったくのない男だった。
だから、授業中にうっかり「夜の女を買った」と喋ったため、女生徒の吊し上げにあい、プールに投げこまれてしまった。
びしょ濡れの三郎に、家が近くだという女生徒浅田けい子が父の服をかしてくれることになった。
けい子の家は、父親の他は女ばかり七人で、三郎を大いに歓迎してくれた。
三郎の家は反対に父母と三人暮し、母親のモト子は有名な美容師で、することなすことが並はずれてスケールの大きなスーパーレディで園城寺という恋人もいる。
父親の甲吉はその偉大な夫人のヒップの後にかくれているような気の弱い男だった。
だが、みんな型にはまらず個性的でカラッとしていてけい子は感激した。
夏休みが来て三郎やけい子たち五人のクラスメートは軽井沢にある三郎の別荘までドライブを決行した。
軽井沢についた晩、突然、モト子が円城寺と弟子の松本みち子を連れてやって来た。
けい子は、みち子の三郎に対する態度にふと不審の念を抱いた。
女の愛する者への直感で、問いつめられた三郎は、みち子と以前に関係のあったことを告白した。
けい子は泣きながら外へとびだし、後を追った三郎は、泣きじゃくるけい子に強引なキスをした。
二人の仲はこれがもとで、もっと強力な関係になった。
二学期が始まり、モト子の誕生日がやって来て、けい子、円城寺、そして、モト子の昔の友達というアメリカでホテルを経営する阿川が久し振りに日本に帰って来て出席していた。
楽しかったパーティも、阿川が三郎に“アメリカでホテルの後を継いでくれ”といったことからパーティはメチャメチャとなった。


寸評
1961年は日活にとって最悪の年だった。
スターローテーションを組んでいたがその内、赤木圭一郎がゴーカート事故で死亡し、石原裕次郎がスキー事故で入院となり、大スター二人を欠くことになった。
急遽、脇役だった宍戸錠や二谷英明などを主人公にプログラムを穴埋めしたが、二人の人気の穴埋めにはならず衰退の原因の一つとなった。
そんな裕次郎の怪我が癒えて再び映画出演するようになって主演したのが本作である。
「狂った果実」で見事な演出を見せた中平康であったが、本作は原作、脚本の影響なのか、内容はたわいのない青春物である。
60年安保闘争なども描かれているが、内容的には添え物でしかない。
むしろ闘争を行っている男たちに女学生が暴行を受けてしまい、活動家たちの欺瞞性を告発さえしている。
デモ隊が警官隊と衝突している現場に車で乗り付けるのは現実離れしているが、 小沢昭一の金沢が雰囲気にあおられてデモに参加していくシーンは70年安保を経験した身としては分かるような気がする。
僕たちの学生時代も何とか世の中を良くしたいと言う熱気と情熱はあって、権力に対して向かっていく雰囲気が渦巻いていたのだ。

映画はそんな思想性はどこへやらで、ブルジョア的な黒川を中心とした性と恋愛が描かれている。
モトコ・桜井の豪快な男性関係とおおらかな生き方。
松本みち子という黒川のセックス指導者の登場。
男に犯される女学生の顛末。
自分が望む血統の子供が欲しいだけで関係を持った母親など、話題は豊富だが中身は薄い。
そんな入り乱れた環境下で 芦川いづみの浅田けい子は純真でけがれていない。
月の小遣い(1000円と言うのが時代を感じさせる)もほとんど使わず、母親の庇護下にあるが、その母親の呪縛から逃れたいとは思っている。
やがて黒川もけい子もお互いに好意を持ち始め距離を縮めていくという何ともアッケラカンとした作品だ。
描かれている内容に反して、文部省推薦とでも言いたくなるような明るい作品となっている。
この様な作品を見せられ続けると、なんと大学とは楽しいところなのかと思ってしまい、大学へ行かないと損だという気になった。
東宝の若大将シリーズなどもそうだし、随分と罪深いものがある。

浅田けい子の妹役で、後の大スター吉永小百合が出ている。
脇役なのでセリフはあまりない。
そのまた妹が酒井和歌子で、両者のその後の活躍を知っている者には懐かしい姿である。
でも酒井和歌子って東宝じゃなかったのかなあ?
いつ移籍したのだろう?
女学生仲間には吉行和子もいるし、中原早苗、笹森礼子などの顔も見えて僕にとっては懐かしい。
今見るとバカバカしく思える作品だが、当時のプログラムピクチャを知る上ではちょうどよい作品ではないか。