私はその後邪馬台国徳島説をもっと詳しく調べたいとWEB検索しました。そこで私は
「エッ! 邪馬台国は四国にあった?」
というページを見つけ、その方が考えた素晴らしい解釈(越智説)に感動しました。
越智説→中国船が末盧国に着き、そこから歩いて東南に500里先の伊都国。
そこから東南に100里先の奴国。そこから東に100里先の不弥国まで進む。
(このルートは現在の国道201号線)
そこからまた船に乗って南下して四国の投馬国へ。
そこから歩いて(現在の国道439号線を使って)1ヶ月かけて邪馬台国へ。
陸路30日の解説で、四国酷道を使って移動する説明がとても納得がいきました。
今まで陸路1カ月の箇所が九州説の解釈も、近畿説の解釈も納得できるものは、
ありませんでしたが、その方の解説には説得力があり、
私はますます四国説を信じずにはいられませんでした。
間違いない邪馬台国は四国に有ったんだと何度も口走ってました。
でも、どうしても1つだけ納得(理解)できない点がありました。
それは、どうして末盧国まで中国船で来てそこで船を下りて、
歩いて500里先の伊都国へ、
さらに100里先の奴国へ、
さらに100里先の不弥国まで(行程約60km?)行って
そこから日本で用意した船に乗って移動なのか?、
重たい荷物を持ってどうして不弥国まで歩いてのルートなのか?、
中国船で来てるんだからなぜ中国船でそのまま関門海峡を渡ってけばいいのに
(越智説→ なぜこの区間だけが陸路なのか? それは関門海峡があるからです)
海流云々でと説明されていましたが、
どうも私の頭の片隅で、どうしてもこの箇所が素直に納得できなく、、
少し疑問でした。
メールを出してこの点をどう理解すればベストなのか聞こうと思いましたが、
私にはそんな勇気、行動力もありませんので、、自分なりに調べてみようと思いました。、
それで、魏志倭人伝(原文)を中国語学習歴15年の解釈で読んでみようと考えました。
用我的汉语水平能解释吗?
用我的汉语水平能不能解释?
邪馬台国の大研究 其一 前ページ | 次ページ
「エッ! 邪馬台国は四国にあった?」
というページを見つけ、その方が考えた素晴らしい解釈(越智説)に感動しました。
越智説→中国船が末盧国に着き、そこから歩いて東南に500里先の伊都国。
そこから東南に100里先の奴国。そこから東に100里先の不弥国まで進む。
(このルートは現在の国道201号線)
そこからまた船に乗って南下して四国の投馬国へ。
そこから歩いて(現在の国道439号線を使って)1ヶ月かけて邪馬台国へ。
陸路30日の解説で、四国酷道を使って移動する説明がとても納得がいきました。
今まで陸路1カ月の箇所が九州説の解釈も、近畿説の解釈も納得できるものは、
ありませんでしたが、その方の解説には説得力があり、
私はますます四国説を信じずにはいられませんでした。
間違いない邪馬台国は四国に有ったんだと何度も口走ってました。
でも、どうしても1つだけ納得(理解)できない点がありました。
それは、どうして末盧国まで中国船で来てそこで船を下りて、
歩いて500里先の伊都国へ、
さらに100里先の奴国へ、
さらに100里先の不弥国まで(行程約60km?)行って
そこから日本で用意した船に乗って移動なのか?、
重たい荷物を持ってどうして不弥国まで歩いてのルートなのか?、
中国船で来てるんだからなぜ中国船でそのまま関門海峡を渡ってけばいいのに
(越智説→ なぜこの区間だけが陸路なのか? それは関門海峡があるからです)
海流云々でと説明されていましたが、
どうも私の頭の片隅で、どうしてもこの箇所が素直に納得できなく、、
少し疑問でした。
メールを出してこの点をどう理解すればベストなのか聞こうと思いましたが、
私にはそんな勇気、行動力もありませんので、、自分なりに調べてみようと思いました。、
それで、魏志倭人伝(原文)を中国語学習歴15年の解釈で読んでみようと考えました。
用我的汉语水平能解释吗?
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