賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

喘息の呼吸と瞑想の呼吸は似てる

2019-12-18 22:55:07 | メンタル
喘息の発作の時の呼吸と瞑想の呼吸は似てると思ってます。
 
ただし、それは似て非なるものです。
 
喘息の発作が一番酷かった時に感じたのは、「呼吸」ってこんなに努力しないとできない困難な作業なのだと。
 
その時は「とにかくしっかり吸い込め。そして吸ったらゆっくり吐くのだ」とそれしか脳裏になかったのです。
 
苦しさで頭はクラクラ、酸欠で心臓が何者かに強く握られている感覚でした。
 
「心臓が潰れる」と、そう思いながら、「今できることはなんだ?」「そうだ。酸素を心臓に送ることだ!」「そのためにはしっかりと空気を吸え!」「ゆっくりだ、ゆっくり」「すったら吐け、。ゆっくりだ!」それを頭で意識しながら、「吸えてるか?」「吸えてるな!」「そしたらもう一度吸え!」、、、
 
時間感覚がおぼろなのでどのくらいの時間を費やしたか定かではありませんが、それだけに集中してました。
 
「瞑想」というのもそんな感じで無心で呼吸にだけ意識を集めるのが良いらしいと聞きました。
 
普段、苦しくないから中々できそうにありませんね。
 
でも、きっと座禅を組んだりして足に痛みを感じながらなら少しはできるのかもしれないなって、思います。。。


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言葉ではなくて実行力

2019-12-18 08:12:46 | メンタル
言葉が優先される時代に感じます。
そんな時代だからこそまずは行動を優先すべきではないかと思うのです。
メディアやネットが囃し立てるから芸能界、政界、スポーツ界、巷のニュースなどなどが全て即答で非難するのでしょう。
小さな出来事を取り上げては、一匹の虫を殺しても『ひどい奴がいた!!』って、大騒ぎ。
現場で一体何が起きているんだ?って事です。
地球の裏側で食糧難で子供たちが大勢死んで行ってても、日本では映像で見てかわいそうになぁ、って言う。
そう。言うだけ。
実際に現場の母親は目の前で自分の我が子の命が消えていくのを目の当たりにする。
その本人の痛みは分かろうにも分かり得ない。
自分の
手や足が千切れる痛みを本人以外が感じ取れないのに、その録画映像を見たらお決まりの文句。「かわいそうに」、って言う。
どう。言うだけ。言う事で自分を肯定して安全地帯に身を置くのでしょう。
貴方は感じ取ったのなら、助けにいくのか?
食料を届けにいくのか?
でもって、行けばいいってことでは無いのです。
お金があるから、またはそういう行動が自分の利益(金儲け)に繋がるから、だから行くのであるならばそれは別の意味になるのです。
いい人になりたいから良い事っをする。
多分そう言う事でしょう。
それをダメって言ってるのではなく、結局それは自分のために行動してるんですから。
加害者と被害者はとどのつまりは善悪や上下関係や全ての関係性において変わらない。
あるのは強いものが勝ち、弱いものが死ぬ。
生きとし生けるものの生涯の法則はその辺りにしか存在しない。
勝てば官軍負ければ賊軍でしかない。
過去の歴史はそれを顕著に物語ってて、今もこれからも命あるっもののストーリーはそこから外れることはないでしょう。
人は神ではない。
でも、まさに神様にでもなったかのように世界中の映像を見えるようになって錯覚を起こしてる。
で、更にインターネットという仮想空間に物申して、それで「自分は正しい」って思うようになってるんでしょう。
恐ろしい患者たち。
ネット空間依存症。
そこに未来はありません、きっと。
未来は現実の世界。
痛みを伴いながら行動を起こす。
それしかないと思います。
これも、身勝手な持論です。
 
先日、近所の山登りをしました。
300mm程度の低い山です。
でも、苦しかった。
その日はその後、体の調子が良いように感じました。
足のだるさはありましたが。
私は念じるだけでは体調改善できそうにありません。
ネットやメディアの中には本当の幸せはなさそうです。
まぁ、暇つぶしくらいにはあると思いますが。。。
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