確かに考えが止まっている。
ネットに記載されていた書物にあった言葉。
定年後の思考は「諦め、思い込み、暗示」である。
諦めて思考を停め、もうそれ以上には進めない。
役職定年を迎え、「もうあと僅かだ」と暗示にかかる。
定年を迎え「これで後は残された助走期間だけだ」と決めつける。
いやいや、それは日本の社会が勝手に言ってるだけのことだろう。
今や平均寿命が20年以上伸びたのだから。
年金制度ができた頃の平均寿命は60歳~65歳くらいが終盤だった。
今の時代は85歳くらいまで計画しないと生きていけなくなっている。
そう考えると、さて定年後のこれからもう一踏ん張りしないといけない、というのが今の時代なのだろう。
しかし体力が。
それは確かにある。
ならば、それなりに仕事の仕方を変えたらいいじゃないか。
若い頃と同じことをしないといけない事はない。
それこそ「思考停止」なのだ。
仕事を創造したらいいじゃないか。
そのくらいの気持ちの若さをもってていいんじゃないか。
むしろ精神年齢は昔の年寄りより若くていい。
若くていいのに、還暦前から既に老人の心。
確かにむかしのほうが自由があったように感じる。
好き勝手できたように感じる。
じゃあ、今はできないのか?
まぁ、できないこともあろう。
だが、できることもあるは筈だ。
お金がない。
元手がない。
案ずるな。
昔の人はもっと無かった。
ちょっと難しいのは、時代とともに面倒臭い世の中である事は恐らく間違いない。
だからこそ、勉強、学習時間がかかる。
まだ20年あるから、その時間を全てかけたらいいじゃないか。
飽きたらやめてもいいし。
だから、これから一旗あげよう、と「面白そうな事をする」のがいい。
自論だが、何でも「自分で行動する」のが気持ちいい。
子供の頃から運動も、見るよりするほうが好きだった。
プロ野球なんかは嫌いだった。
何故ならプロの選手でなければ、普通の人はやってる人を見るだけである。
ほぼ自分でやる事はない。
体を動かす事は好きだった。
これから色んな職場体験をしてみてもいいかもしれないな。
中学生が職場体験をしてるじゃないか。
あんなレベルでいい。
そういう仕事環境が必要に思うのである。
まぁ、時代が時代だけに、簡単ではないだろう。
今の職場も前の職場もたくさんの人が入ったり辞めたりした。大勢の人が通り過ぎた。
自分はいつも生え抜き状態。
ズゥ~~っと同じところに停まってる。
定年まで勤め上げたのだからいいじゃないか。
と、むしろそうではない。
前に進めなかったから同じだっただけ。
思考が停止してただけ。
出入り自由、それでいいじゃないか。
アルバイトである。
正社員という立場の人の方が簡単に辞めてる気もする。
従来までたぶん正社員人口密度がまだ高かったからのようにも思う。
これからは逆転。
アメリカのような正社員でもなかなか定着しない社会になるんだろうな。
出入り自由。
それが思考停止から前進への転換なのかもしれないな。
失敗したらどうする。
エジソンくん。
失敗は成功への投資である。
かな?