昨日、階段から転倒したことを全記述に記載しました。
その後考えたことがあります。
歳をとると盆栽を始める人がいます。
昔は自分には縁のないことだと思っていました。
最近さまざまな出来事や感じることを整理して日記帳に書き出していたら、なんだかだんだんと解る気がしてきたのです。
最近 自分の周りの時間の流れと自分の認知が齟齬を生んでいる、と。
身体で言えば分かりますが、年齢とともに老化は避けられない。
当然行動におけるスピードは遅くなってます。
なのに自分の頭は同じスピードで動こうとしてる。
そういう齟齬、食い違いです。
認識がズレてる。
受け入れていない自分の認識と現実の差がある。
受け入れるのはその生活の組み立てを変化させていくのがよろしいでしょうね。
だから盆栽を良さを感じ始めるのです。
盆栽の時間は現代人の時間の流れと「おそらく違う」と感じます。
盆栽に限らず、書道や花道、茶道なども時間の流れを整理するにはとても良い様に感じ始めました。
それはインターネットやパソコンをはじめとするゲームなどとは全く別物です。
今の時代の中では「失われた何か」がそのあたりにあるんじゃあないかな、と。
「風流、古風、侘び寂び、などに繋がるモノ」と言えば、今風、現代風なのでしょう。
けれど、気を衒って言うことではなく、実感として、自分にな「今必要な何か」だと言うことです。
現代日本人はそれを疎かにしてる。
それって、今の人、全員が見直すべきことの大きな課題ではないのかなぁ。