でも、今は空き家です。近くに兄が住んでいますが、別に家を買って住んでいます。近くと言っても30キロほど離れてます。先日まで実家に一人だけで住んでいた母は今は施設に入っています。介護施設です。91歳の母はすでに歩くのも困難なので一人だけでは住まわせられませんから。兄の家の近所です。母は心臓の弁を手術してますので医療の充実した施設がいいと言う事でそうなっています。
私が調子悪かった時に田舎へ帰りたいと思いました。
じゃあ田舎へ帰ったらイイじゃないかと言う事ですよね。
そうなのですよね。
私がアドバイザーならそう言います。
今は定年退職してるし、田舎で税金と生活費くらいならアルバイトで暮らせるのでは?あるいは失業保険とか他にも手立てはあるのではないのかと言う事。
街の雑踏よりかは田舎の自然に触れ合って生きるのがイイのは分かり切った事です。
体の調子がとくないのであれば尚のこと。
なのに何故?
おそらく都会病に洗脳されているのでしょう。
メディアもこぞって画一化された生活パターンでの暮らしを正しいとしています。
作り置きされた箱のような部屋に住むこと。
メディアによって決められたものを食べ、着る。
決まった乗り物で似通った同じような仕事の中の一つで毎日同じ動作を繰り返す。
それでも、人は様々。
なのでその人の数の多さと企画化された作業の中で人の煩悩と葛藤する。
当たり前と言う存在は人によって違う。
だから、多様性がある。
決められた空間や物の中にはなかなか見出せない。
だから決まったものの中で近いものを選択して行く。
機械化・画一化・統一化、同じ顔になって行く。
どこに「私」はいますか?
体調が崩れても、おそらくレールを外れるわけにはいかない。
本当のことが見えない。
目の前の「決まった枠の中」だけで進む。
その時に、マスコミや都市空間やチェーンストアだらけの空間から外れて見ることがかなり近道だと、わかってるのか、気づかないふりをしてるのか。
決めるのは自分。
進むのは自分。
目の前に見えてる空間を選択できるのは自分一人。
しかない。
養老孟司さんが言ってました。
「日本人の選択肢は(◯◯しかない)で物事を決める。西洋人は「◯◯をしよう」と決める。日本人は環境主義、依存主義である。自分の道は「これしかなかった」と言い訳を持って結論を出す。だから責任を持てないし、持たない。西洋人は覚悟を決めて自分に意志で複数の選択肢の中から自分の道を選ぶ」と。
すごく納得してます。
私も依存してます。
ここの住むしかない、って。
今の仕事をするしかない、って。
今のままでしか生きられない、って。
本当のこと。
真実は見たくないのでしょうね。。。