人の数だけ現実がある
事実がある
日常がある
見えるのもは全て自分の目でしか見えない
テレビも自分の目がない場合は画面を通しても見ることができない
耳もそう
声も自分の口から発する
仮にAIを使っても自分の意識が内容を発する
道具はあっても自分の脳が感知しないと動かないし、感じられない
他人の見たものは自分の見たものとは違う
聞いたものや触ったものも違う
その違いはとても大きい
大きく違う
ズレがある
そして大きい
そこを可能な限り一致させるために意識の共有を試みる
それが会話となり、人が進化のために使った
けれどその意識の誤差は埋められない
埋められないならば意識を自分の意識から一度切り離す
そこに付け入る隙を見計らってインターネットの中にSNSという生き物が誕生した
SNSはたくさんの人間の意識をまとめ上げた巨大な意識の集積だけれど、自分の意識とは違う感性や認識を持ち始める
私の見たものでは無いのに私の意識もそこに組み込まれる
ならば、本来の私は何処にいるのか不透明になる
キーボードを打って入力した活字から切り離されたところに行き、そしてそれが真実として残る
永遠に残る
しかしながら長い年月とともに、その現実が永遠ではなくなり、改竄される
改竄されたものが残る
残ったものが真実となる
その後
人の意識はだんだんと不良品として廃棄される
ここにいる私は不良品になる
処分されるしかない存在になる
人の数だけあった真実は消えて、人はただのセンサーの一つとなる
センサーは数多く存在して感知してそこから議題になって、議題は一つだけの真実を残す
何故ならば、事実、真実は一つでなければならない
人の数だけ事実が存在してはならないとコンピューターが言う
コンピューターが正しい
何故ならコンピューターは人間の様なあやふやな答えでは動かない
まさしく唯一無二の答えしか持たないから
現代意識の行方はそれを目指す
人それぞれの意識が不要になる
意識は要らない
意識からの脱出は現代の縛りの中ではなかなか容易ではない
ブッタですら手を挙げて降参した
菩提樹の下で目を瞑って何も考えない事にした
つまり「無い事」にした
自殺に似てる
今も昔も同じところに行き着いている
今も昔も同じところに辿り着く
これは残念なことかどうか
その答えも人の数だけありそうな気がする