生きていてても価値がない
さりとて死んでも価値はない
どうせ大した価値はない
価値などもともと持ってない
生きても死んでも同じなら
笑って過ごす それだけで
いずれは迎える終わりの日
「不正」って、薄給から出る可能性が高いけれど、それはすべてのものやことにいえる。
だから、避けられないように思える。
昔の日本社会の経済もかつての中国経済も、成長しきっていないときはまがい物が氾濫してて安かろう悪かろうでないと成長にこぎつけなかった。
でもって、成長後に没らくし始めたから、昔の安かろう悪かろうの、改ざんデータや不正品がで始めた。
それは、どこの国や社会でも起こりうること。
んあので、いまの日本の国も戦後の日本社会にやや逆戻りしただけのこと。
それを、悪というなら、その上に出来上がった高度経済社会の時代の日本を否定しなければならない。
いい時代は、貧困の犠牲の上に成り立った。
いいことばかり言う人の理論は、そういった欺瞞を隠している。
従って、「不正」をただ、「不正」で終わらせるなら、越えられない未来を黙認して過ごすしかない。
「不正」が生まれたワケをもっと示すべきであり、真実を避けてはいけない。
つまり「不正」は避けて取れない事なのだから。
今はそこを、「不正」を「不正」と知りつつも、やるしかない、と、残念なことだけれど。
通過しないと前に進めないなら、それをやらざるを得ない。
泣きながらでも。
例えるなら、武器を持たない戦争とも言える。。。
赤子の頃が一番大変。