フォークソングで、神田川というのがありますな。
その歌の世界観を感じてて、その中の女性は狭い部屋の中で男を待ってるだけの人的に感じます。
昭和という時代に出来上がった世界観のようにおむのでもありますが、大奥の時代も似た様な気もします。
女性は部屋の中で待ってるだけ?
昔からそうなのかな?
現代の女性観は、男女の区別なく労働者の一人。
男も女も同じ、と。
それが希望ならどうぞ、ですが。
私は小さくても一国の王さま的な生活は楽な気がしてて、良いなぁ、と感じたりしますけれど。
家庭の中ではお父さんよりもお母さんの方が立場が強い場合が多い、或いはほとんどがそうではないかしら?
まぁ、それは良いとして、
神田川の歌の中の女性を感じてて、あの女性は一日何をしてるんだろう、と思うのです。
本当に部屋の中だけで生きられるのか?
う~~ん。
むしろ、現代の女性のなかの主婦という立場の人は、子育てという大きな仕事を持ってはおりますが、それ以外では、家事、とか?
それが、たとえば楽にできるようになったら、家の外で謳歌して家の中で威張って、とか、工夫すれば自由に色々とできそうな気もします。
労働の現場には、ある程度、戦いが存在します。
そういう場面を好むのであればどうぞ、ですが、そうでない人はむしろ主婦という役職はとても魅力に感じますけれど。
今後、主婦という役職が無くなるかも、という事を聞きました。
みんな労働者になる、と。
過去の暮らし、その大奥の居た時代から続いてきた女性と家庭との関係性が変化して、どうなるのでしょうね。
そういう関係性がおかしいと考えることって、もしかしたらそっちの方が何かの作為的な誘導、洗脳が潜んでる様にも思うんであります。
生き物は長い年月をかけて、生活様式を形作ってきたと思うんで。
それをいっときの気の迷いで壊してていいのかなぁ、と。
まぁ、今更、私の知ったこっちゃぁないですが。
そもそも、うちの奥様の生活を見てて、家の中で紫陽花をせっせせっせと世話してるのが、とても不思議で、よく狭いアパートの家の中で生きてて、息苦しくないあなぁ、と。
私は、休みの日は、すぐに歩き回りに飛び出します。
狭いのが苦手なので。
そこが違いなのかな?