66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

発達障害

2022-04-06 22:15:38 | 暴言

一つは細かく意識しすぎな面もあろうか。
昔からおかしな連中は大勢いた。
ただそれを正式な病気と言ってなかった。
おかしなやつ、あいつは狂ってる、などとは言ってても、だから実際に病院に行くには明らかば犯罪行為をしたような人だけ。
今は、少しおかしいなと思ったら病院に行って病気です、と言ってもらう。
そこでの判断の一つが発達障害な気もする。
今までも同じ経路を辿ったらもっと多くの発達障害者がわんさかいそうな気もする。
ただ、今更ながらに調べはつかない。
会社の社長や政治家や有名人はほぼ発達障害ではないか?
つまり普通の一般大衆とは違うから。
あまり細かく区分けしなくても良いような気がする部分もある。
ただし、明らかに早期に判断してやることは必要な奴もいる。

発達障害

一つはコミュニケーション能力開発ができていない。
人は成長の過程で様々な意識を得ていく。
そこで核となるのが自分以外の人との関わり方。
それを正常な手続き、方法を会得しないで成長したら結局は発達障害となるのではなかろうか?
現在の教育はコミュニケーション能力よりは雑学の記憶が中心になってはいませんか?
自分以外の人との関わる方は年齢や交わる世代間などによっても違う。
幼児、小児、青年児、成年、老年など様々な人との関わりを学校で教育しない。
いや、できない。
昔の大家族ならば放っておいても会得できた。
人は一人では生きられない。
必ず誰かと関わる。
ならばその核と言える対人方法の教育が最重要な教育ではないか?
おそらく、高度成長期の日本の社会からそういう間違った教育が発展したように感じる。
自分自身もその中の一人。
それは動物との触れ合いも影響がありそうにも思う。
ペットというものはそもそも何を目的としてできた文化なのか?
飼い犬のは飼い犬の生き方があり自分の存在意味が自己に持たされる。
ペットはだたのおもちゃに近い気がするから。
あなたのためのペットであるならば、自己の自由も生きる権利もそのペット本人(?)には無い。
当然、生き残り合戦の世の中であるから、ペットという文化を作ったからにはそういう世界が存在意義を持つのだろうけれど、それがなければどうなんんだ?という軽い命に導かれても止むを得ない気がするからである。
軽い命。
人もそうなってませんか?

だから発達障害の前に、あなたの命すら軽いものの一つに成り下がる。
コンピュータ、アプリ同然に決まりきった行動を取れない人間は人の世のプログラムから外さなければならない。
私は私では生きていけない。
人の世のアプリに沿った機能を持った一つの命にならなければならない。

結局は自己の意識を強く持ったら生きにくい。
当然そうなる。

何だか、仏門にでも入らなければ生きられない気がしてきた。
ヤバいよヤバいよ、は世の中の時代を反映した言葉なのかな。

既に、人間社会そのものが生物というものの一つであることを放棄したのかもしれないな。
機械の身体と意識を持つべく邁進してるよなぁ。
既に私もサイボーグ(細胞具)の一つか。

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