賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

イジメの原点の一考察(癖)

2025-01-05 06:39:20 | メンタル
奥さんに「君は○○なところがあるよねぇ」などと評価することが多いです。

それは私の癖のようです。

他人のことを評価する。

しかしそれは前提としてその人に対して信頼をしてるからなのです。

自分ではその人と親しいと思ってる。

だからそういう言い方を受け入れてもらえると思ってる。

ところが奥さんはとてもいやぁ~な印象を受けるらしいです。

後で激怒されます。

そして「あなたはどうしてそういう嫌味な事を言うの?嫌い!」という言葉が返ってきます。

私は親しみの意味を持って言ってるけれど、そうではない。

そこを私が理解できていないみたいです。

そうですね。

コミュ障の一つなのかもしれないな、と。

確かに、今まで何度もあった。

自分の言葉が人間関係を阻害してる場合があったように思い返されます。

意志の疎通ができない言葉の選択、或いは、他人の評価の認識のズレ。

多くの場合は他人は評価してはいけないのでしょう。

私は他人を評価するのが好きです。

それは、その人の印象を客観的に教えてあげることだ、と思ってるから。

私は色々知りたいと思うから、他人もそうだろうと思うから。

しかし、それは迷惑な場合が多いのでしょう。

言われた側からすると、イジメの言葉に変換されることがほとんど。

そこに齟齬がある。

好意が悪意に変換される。

だいたいにおいて、そういう場合は「他人を評価する言葉」が使われると感じてます。

コミュ障と一言で言ってもわからない。

もっと、具体的な会話の仕方がわかってない。

会話の勉強は幼児から小児のあたりで学ぶのでしょうね。

そういう意味で、私は意識が幼児あたりで止まってるのかもしれません。

また、独り言も非常に多く、わりとテレビと会話してることも多いです。

頭の中で言ってる言葉が口から漏れる。

それがまた奥さんには苦痛のようです。

困ったことに若い頃からの習性なので治るとか、そういう次元ではないようです。

しかし、それではだめだな、と。

だから、最近、思いました。

他人のことは言わない。

そして、独り言を言ってるのを感じたらやめる。

そして、何よりも感覚ですぐに行動しない。

ADHDかもしれない、と感じてるから。

治るとかそういう視点からではなく、新たに癖づけする。

そう思っています。

すぐにはできないかでしょう。

少しづつでも、やっていかないといけない。

66歳からそんなことをするの?

66歳からでもするのです。

「今更しない」という言葉は嫌い。

「今からでもする」を選ぶ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世代で括られてもねぇ

2025-01-05 06:10:53 | エッセイ
氷河期世代、段階の世代、ゆとり世代、など。

世代で一括りにして欲しくないと感じます。

今の世の中、往々にして言葉を纏める考え方が定着してる。

それにより人も個人個人を尊重しない。

そしてある程度の特徴や傾向で人を評価し、括って観察するのです。

例えば氷河期世代と言うのいわゆる団塊世代ジュニアの年齢の人たち。

そういう人たちについてもも子供ができる年齢は人それぞれ。

また、同じ年齢でも高所得者もいればそうでない人もいる。

纏められても様々な所得層や職種や環境だから広義の別物を纏めることになる。

なので、世代という言葉はピンとこないことが多いです。

人それぞれなので、一括りな言い方で纏められると誤解が生まれる気がします。

個人個人がどういう生活の仕方を望み、どういう暮らしになってるか?

そこから何をしたいのか?

まぁ、漠然とした意識の仕方で会話する、そういう場合の言葉の位置付けなのでしょうけれどね。

日本人は大人しいと言われます。

しかし大人しいで括ってしまうとそうでない人を見かけるとその後の日本人の印象が非常に悪化する。

逆もある。

結果として印象論では正しい判断はできない。

世代で括る考え方以外にも国で括る人種の評価とか、他にも色々もある。

ものの評価は難しい。

一纏めに括った認識はやめるべき。

誤った認識が修正されて、そのほうが良いと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実を受け入れる事は諦めでは無い

2025-01-04 06:38:59 | メンタル
「諦めること」とほぼ同じような行動なんだけれども、「現実を受け入れる」と言う事は「過去の出来事を認める」と言うそれだけの行為なのだ。

したがって、未来に対してはきちんと現実を把握しておかなければ未来は見えてこないだろう。

過去を否定していては将来に踏み出すことができないだろうから。

過ぎ去った過去を後悔する人は多い。

「あの時にこうだったら」「別の道を歩んでいたなら」

しかし、それは既に不可能な空想でしかない。

空想から未来は作れない。

空想なら大谷選手にだってなれる。

しかし、不可能な未来は決してやってこない。

やってくるのは今目の前にある現実からできる事だけだ。

つまり現実を受け入れ、そこから積み上げることだけが未来を作る。

未来につながるのは「現実を受け入れる」、それこそ未来になる。

なのに、「あの時にこうだったら」「別の道を歩んでいたなら」を繰り返す。

諦められない人。

「諦めが悪い人」と言う言葉を聞くが、それはおそらくふた通り有り、「過去をうだうだいうタイプ」、「現実からの未来を考えないのを止めないタイプ」だと思う。

つまり、「現実を受け入れない」のと「現実を受け入れる」のが理解できていない。

「現実を受け入れる」と、未来につながる。

「現実を受け入れない」と後悔だけが続き、時間がストップする。

従って、同じ様に見えてても、違う点を改めて意識するとイイ。

「現実を受け入れる」

もっとわかりやすく言うと「負けを認める」ことが分かり易いか。

これが「悟る」ことに繋がると思う。

ある意味、諦めること。

しかし、諦めないこと。

言葉の上だけでは矛盾を感じるだろうな。

「現実を受け入れる事は諦めでは無い」

ちょっとした意識の問題なのだけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大差ない

2025-01-04 06:22:02 | 暴言
新しいマンションに住みたがる奥様はどんどん歳をとる。

若い娘を好む旦那とそうたいした差はない気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者がいたずらにお金を貯める

2025-01-04 06:12:04 | エッセイ
おおかたの評論家の意見では、市場にお金が回らないから景気の底上げできないと言うのです。
みんながお金を溜め込むのは良くないと言うのです。

では、自分自身をチェックしてみると、私には貯金はほぼない。
で、私には持ち家もない。
66歳ですが賃貸に住んで貯金もなくて一応半端な年金だけで生活していて、それでも生活費が足らずアルバイトで何とかやりくりをしています。

考えてみれば、私は「内部留保する企業」や「資産をため込む高齢者」の仲間ではないな、と。
そうなると、現在の批判の対象には入らないと感じます。
とは言ってもやはりお金は欲しい。
まぁ「残念ながら資産を持ってる類に入らない」と言ったほうがいいかもしれない。
そういう意味で考えたら、自分は今の世の中に対しては社会貢献をしているのかもしれないな、と。

高齢者になりながら、世の中にお金を回さない資産家たちとはまるで正反対だから。

自分自身で「若者にどんどん投資をして、高齢者はさっさと死ね」と言っている意見の側です。
「若者にどんどん投資をして、高齢者はさっさと死ね」と言うのだったら、「自分はどうなんだ?」と問われても、「若者に回すだけの貯蓄はありません」
そう答えるしかない。

「貧乏な老人は社会貢献してる」と言うのもまぁ、ある意味穿った考え方ですな。
しかし、お金をやたら溜め込む高齢者ではない。
貧乏が良いと言ってるわけではありません。
ただ、無意味な内部留保はしてないよ、と言ってる。
以上終わり。

そんな気持ちで日々を暮らしてます。
奥様に横目で睨まれ、或いは文句を言われながら。
それはそれで息苦しいんですがね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする