サブスクリプションってありますな
定額料金を支払うことで一定期間、商品やサービスを利用できる仕組み
ですな
強制的にいらないものを押し付けられる仕組みです
サブスク
そういう言葉の魔法で
不要な物や事を買わされる
まぁ、おそらく寂しいからでしょうな、現代人は
昔なら、田舎なら、毎日が隣近所と顔を合わせないと生活できないし、そもそも兄弟家族が大勢だったから、寂しいことはない
多くの人はそういう環境でしたな
現代人は寂しい環境を好んだのかな
きっと、何かきっかけがあったんでしょう
なんとなく戦後の進駐軍の教育でしょうな
そう感じます
ただ、その後は自ら好んで陥った環境でもありますな
陥ったというか選択したのでしょう
そこまで戻らないと理解できないのでしょう
強制的に押し付けられてるって事が
押し付けられて、それで支払いをする、その矛盾
わざわざ貴重なお金を支払って不幸になってる
私はそういう矛盾を感じますが、いかがかな
テレビでよく聴く
「売上100万枚突破!!」とか
それって
100万人が騙されたということにほかならない
何故ならそういう広告を見なかったとしても
必要なモノであれば必要な時に適時買いますがな
他人が買ったからあなたも買え!
そう言われて「はいわかりました」ってか
そう仕向けられてる
そういう風潮に洗脳されてる
つまりは、騙されてる
そんな印象を持つのはおそらく私だけ(かなぁ)
こういうのを被害妄想というのか?
わからん
身体が痛いのであります
昨日の日曜日、地域の環境整備活動として、近隣のゴミ掃除や草取りをすることになりました
ウチの近所周りでは、ゴミがそんなに落ちてはいませんが、川沿いに住んでいるため、道端に結構な草が生えています
なので、百均で買った釜を持って喜びいさんで草取り、草刈りに出かけました
ところが、昨今は、地域の行政がなかなか手が回らないようで、伸び放題の草は、ずいぶんと頑丈に生えていました
釜ではなかなか切れない
なので、嫁さんが持たしてくれた花を剪定するときの剪定バサミを持ってチョキチョキ切って回っていました
草は地面から生えていますので、ヤンキーズ座りをしながらチョキチョキ切らないと切れません
それが近隣の道路一面にあるために、柔道選手が特訓でやっているようなウサギ跳びの格好です
なのでヤンキーズ座り
ずっとその格好で、少しずつ場所をずらしながら切っていきます
切った後の草は収集用のゴミ袋に入れていきます
ゴミ袋は引きずるわけにいかないので近くの場所に置いてあります
が、そこまでは微妙に歩かないといけない
立ったり、座ったり、ヤンキーズ座りをしたり
大変でした
時間としては30分少々の事でした
若い頃なら、30分ほど運動したからといって疲れる事は無いのですが
66歳
この年になると結構な重労働です
今朝になって足腰が痛い
多分筋肉痛だろうと思います
日ごろからいろんな筋肉を使って運動しているわけではない
むしろ老化に伴い、体の動かし方は決まった単純動作しかしない
そういう生活になっていることを痛感した次第です
今後は、いろんな運動の仕方をしたほうがいいんだろうなぁと
しかしながら、そういう身体の動かし方をする事はあまりない
それをこなすには、スポーツジムかどこかに行かざるを得ないのかもしれませんね
でも、そんなお金はないし
そう考えると、昔の人は歳をとったら、おじいさん、おばあさんは草取りを良くしていた
なるほど
長い間、培ってきた人間の生活の基礎と言うのは、うまく出来上がっていたのだなぁと思います
現代人はそれに比べて作られた生活しかしていない
今の生活は「効率が良い」と錯覚をしているようですが、実際には効率の悪い非現実的な不健康な生活なのではないかと思います
もともと私は田舎に暮らしたい
そのための準備も完璧にやってあった
そこまで長い時間と労力とお金を使って準備をしていながら
結果それをしない
言ってみれば、宇宙飛行のためのロケットを完璧に作り上げていながら、やっぱりや~めた、と言ってるようなものですな
思えば、ばかばかしい人生な気がします
世界一ダメな人生を送ってるような気がします
世界一愚かな人生を送ってるような気がします
まぁ、そうは言っても、それが人生だと言えば、それきりなんでしょうが
私が嫌いな言葉のトップに上がるのが、私の父も大嫌いだった「あ~ぁ」という言葉です
私の人生は「あ~あ」なんだろうな
ジャパネットのテレビ広告で見ました
約九千円で蟹を定期的に食べられるとか
世間様はいくらでも誘導して扇動して 私の様な阿呆を騙そうとするのです
テレビでやってたカニの広告に「なんだかなぁ~」と感じたのですよ
「蟹」
まぁ、いらないと思う
そもそも私には高すぎて買えないし
そこまでして高い食材を買う正体不明
他人はどうあれ
私に関しては身の程わきまえていたほうがいいと思う
しかし、そのテレビを見てて思う
その広告は頻繁にカニを食べられるような金持ちに対して、そういう宣伝をするのだろう
だから私のような貧乏人には関係ない
ところが、多くのマスメディアで、後範囲に贅沢品の宣伝をしているのを見ると、「みんながそうしている」と勘違いしてしまう
日本人は「みんながそうしてること」に弱い
そこに問題がある
自分というものが無いか或いは薄弱なのだろうな、と思う
だから私が奇妙な行動を普通にとってると「オカシイ」と言う
奇妙と言ってる私もどうか、だが
世間様から言わせると奇妙なのだろうな、とも感じるけれど
自分がやりたいからやってて他人様には迷惑でなければイイのではないか
そう思うが、それを見た他人様が「嫌な印象を持つ」らしいからダメだと言う
寛容では無いなぁ
従って、テレビで取り上げられた広告的な内容の番組やネット広告に左右される
そして、貧乏人が高いカニを買う
そして疲弊して、税金が高いとか、賃金が安いとか言う部分もありそうに思う
自分の身の程を知らないからだ、と一刀両断するのが怖いのかもしれない
その点、ミキティさんのようなタレントさんがウケる
それは、人柄からして許された、意見広告発信の受け皿なのかもしれないな
まぁ、言い方が難しい
言いたい事を言える人柄であり、それが世間を知らない人じゃ無いキャラクター
キチンとした考えと立場を持ち合わせた人?
まぁ、ああいうキャラクター、という言い方が適切か
多くの人から好かれてる
そこがポイントかな
なぜ好かれる?
そして好かれてると他の人が言えないことが言える?
まぁ、アメリカではトランプさんが言ってたら「あんなもんだ」が、他の人が言うと「なんて事言うんだ!」的なことがあるしな
だから貧乏人は貧乏人の暮らしをするのがイイと思う
テレビやメディアが言ってるからそうしないといけないと言う「騙し」には乗りたくない
私の貧乏生活としてはそうなる