奥さんに「君は○○なところがあるよねぇ」などと評価することが多いです。
それは私の癖のようです。
他人のことを評価する。
しかしそれは前提としてその人に対して信頼をしてるからなのです。
自分ではその人と親しいと思ってる。
だからそういう言い方を受け入れてもらえると思ってる。
ところが奥さんはとてもいやぁ~な印象を受けるらしいです。
後で激怒されます。
そして「あなたはどうしてそういう嫌味な事を言うの?嫌い!」という言葉が返ってきます。
私は親しみの意味を持って言ってるけれど、そうではない。
そこを私が理解できていないみたいです。
そうですね。
コミュ障の一つなのかもしれないな、と。
確かに、今まで何度もあった。
自分の言葉が人間関係を阻害してる場合があったように思い返されます。
意志の疎通ができない言葉の選択、或いは、他人の評価の認識のズレ。
多くの場合は他人は評価してはいけないのでしょう。
私は他人を評価するのが好きです。
それは、その人の印象を客観的に教えてあげることだ、と思ってるから。
私は色々知りたいと思うから、他人もそうだろうと思うから。
しかし、それは迷惑な場合が多いのでしょう。
言われた側からすると、イジメの言葉に変換されることがほとんど。
そこに齟齬がある。
好意が悪意に変換される。
だいたいにおいて、そういう場合は「他人を評価する言葉」が使われると感じてます。
コミュ障と一言で言ってもわからない。
もっと、具体的な会話の仕方がわかってない。
会話の勉強は幼児から小児のあたりで学ぶのでしょうね。
そういう意味で、私は意識が幼児あたりで止まってるのかもしれません。
また、独り言も非常に多く、わりとテレビと会話してることも多いです。
頭の中で言ってる言葉が口から漏れる。
それがまた奥さんには苦痛のようです。
困ったことに若い頃からの習性なので治るとか、そういう次元ではないようです。
しかし、それではだめだな、と。
だから、最近、思いました。
他人のことは言わない。
そして、独り言を言ってるのを感じたらやめる。
そして、何よりも感覚ですぐに行動しない。
ADHDかもしれない、と感じてるから。
治るとかそういう視点からではなく、新たに癖づけする。
そう思っています。
すぐにはできないかでしょう。
少しづつでも、やっていかないといけない。
66歳からそんなことをするの?
66歳からでもするのです。
「今更しない」という言葉は嫌い。
「今からでもする」を選ぶ。