今までも何度も頻繁に唱えてきたことなのだけれども 感情及び意識優位の現在の人間の生活よりも、感覚優位の人間の生活に切り替えた方が良いと言うてる。
結論はそういうことだ。
以前どこでに言ったことがあるかもしれないけれども、感覚優位と言うのは、そもそもが最近流行っているマインドフルネスとか禅と同じだろう。
感覚優位の意味がわかりにくいかもしれないが。
言うなれば、「そこにあるものはただそこにある」と、単純に受け止めると言うことに他ならない。
自分の場合は、特に車の運転の時にそれを感じることが多い。
車を運転していて、前の車が信号を突っ切った直後に信号が黄色から赤に変わる。
その時に思う事は、ただ単に「あぁ黄色になったんだな。もうすぐ赤だから泊まろう」
そういう感覚のみで良いのである。
大抵において、そういうときに感情的になり、「なんで前の車だけ行けず、自分は行けないのだ!」と以前は思っていた。
感情が先走る。
あるいは「スピードを少しあげれば通過できるじゃないか」と意識してしまう。
つまり、意識や感情が優先すると、そういう「脳の働き方」を言っているのである。
「信号が黄色になったからもうすぐ赤になるから止まろう」
以上、終わり。
本来はそれで良いのであろう。
それを、「こうしたら、ああしたら、どうしたらこうなる」と考えるのが、都市化された現在の人の脳の働きになっていると思うのだ。
あるいは他人と比較して、
「なんで他の人が先に行けて、自分は行けないんだ!」
「なんで自分だけが損をするんだ!」
そういう感情的に脳を使ってしまうのが現代人的ではないか?
それも他人を意識した行為である。
そもそも他人は自分とは独立した存在なのだから、放っておけば良いのである。
それが人ではなくて、自然現象であるならば、比較対象と言う感情を持つであろうか?
他人と言うものを「自然現象である」と認識するのが気が楽だ。
あるいは他の動物だと言う認識でもいいか。
猪や猿やカラスとかと同じようにあまりこちらから近寄らないで良い動物たちと同じ位に思ってても構わないんじゃあ無いかな。
あるいは、猫とか犬。
そう考えた方が、自分にとって都合が良いはずだ。
無礼者!動物と一緒にするな!と言ってはみても頭の中だけのことだ。
そういう考え方、あるいは認識の仕方を感覚優位という言葉で言っているのである。
鬱病は全て人間関係が原因らしい。
アドラー心理学ではそういうことになっている。
人間関係の場合はその関係の場所から逃げて移動したらイイと思う。
そしてもうそこには行かない。
引越ししたらいい。
例えば、ライオンが居たら逃げるでしょ。
ライオンにはそもそも近寄らない。
逃げ出せたらもう隣には行かない。
それと同じ。
「でも逃げる訳にはいかない」って言う。
けれど、「ライオンに食べられたい」、という『洗脳』にはそこの場所から移動するのが対策の全て。
移動してしまえば洗脳に気づくのが結果だ。
そうすると解る感覚がある。
感覚優先になるから。
気づいてしまえば大丈夫。
もう理解できてるから、そこに戻ってもどうしたら良いか解る。
『禅』
それは感覚のみであればそれで良い。
そういうことだな。
もっと言えば『バカになる』ことにも通じるかもしれない。
『バカにするな!』は感情。
感情優位だからもう既にその時点で洗脳されてる。