斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

40 【服育】

2018年02月15日 | 言葉

 「服育は造語」
 ここ数日来メディアを賑わせている語に「服育」がある。たぶん100人が100人、初めて聞く言葉だろう。「知育」や「徳育」といったコトバを念頭に置きつつ農林水産省などが力を入れている「食育」ならイメージもわくが、「服育」となると分かったようで分からない。それもそのはずで、教育評論家の尾木ママこと尾木直樹氏は「造語ですね」と断じている。少なくとも教育用語として通じる言葉ではないようだ。

 コトの発端は、東京・銀座にある中央区立泰明小学校が、今年4月入学の新1年生分から、イタリアの高級ブランド「アルマーニ」デザインの標準服(事実上は制服)導入を決めたことにある。当然ながら価格は高く、たとえば身長130センチの男児なら上着が2万5920円で半ズボンが冬用9180円、夏用8964円。シャツは長袖5616円、半袖5400円。ほかに夏冬が別の帽子、セーターやベストなども加えると8万円に、スカート姿の女児では8万5000円になるという。現行の標準服は男児一式が1万7750円、女児一式で1万9277円というから、4倍以上のアップ。保護者から苦情が多いため、さる2月9日に区教委と校長氏が記者会見し、校長はアルマーニ導入の理由として「服育」なるコトバを披露した。銀座の小学校らしく「ビジュアルアイデンティティーの育成が、人材を育てるうえで不可欠だ」とも。

 「服育」もコトバのトリック
 泰明小学校と言えば、公立ながら銀座の伝統校として知られる存在だ。他学区からの児童を広く受け容れる「特認校」にも指定されている。校長氏が昨年11月に保護者あてに送ったという文書には「泰明小学校が醸(かも)し出す『美しさ』」や「泰明小学校は特別な存在」「気品ある空間と集団」といった表現が目をひき、私学の「校風」を凌駕するばかりのプライドと力こぶが感じ取れる。記者会見の場で「服育」なるコトバを初めて聞いた記者たちは「さすがは銀座の小学校だ」と、校長氏に先見の明を見て取ったのだろうか。

 尾木氏が指摘するように、しかし「服育」は造語である。あるいは服飾業界の一部で語られていたコトバかもしれない。どちらにせよ教育関係者にさえ認知されていないなら、会見の席へ持ち出すのにふさわしいコトバではあるまい。耳慣れないコトバで「ケムに巻く」行為とも受け取れる。難しい会見を乗り切るには、耳慣れない新語や外国語を持ち出すことが、一つの方法でもあるからだ。記者の何人かに「オレだけ知らない言葉か?」と腰を半分引かせる効果があるのかもしれない。トリックと言えば、これもコトバのトリックである。

 誰もが呆(あき)れる
 ちなみに「標準服」は強制的なものでなく、嫌なら着なくても構わないらしい。しかし実際には、ほぼ全員が標準服を着用しているという。それは、そうだろう。1人だけ着なければ目立ってしまい、それだけでイジメの対象になりかねない。小学生はそうしたことに敏感だ。一方、保護者の側も、公立校らしからぬ一方的な経済的負担には不満である。育ち盛りの6年間で、一体何着の上着や半ズボンが必要になるのか。サイズの合う服を着ることはイタリアでも日本でも服飾術の基本だろうから、「服育」や「ビジュアルアイデンティティー」という看板を掲げるならダブダブやキツキツの服で済ますことは出来まい。それを考えれば最低3着ぐらいは買うことになるのではないか。シャツにしても同じものを1週間着っぱなしというわけには行かず、何枚かは必要なはず。とても最初の8万円だけで6年間が済むはずもない。

 記者会見での区教委や校長氏の自信たっぷりな表情をテレビで見ながら「この人たちは、どれほどの高給取りなのか?」と思った人も多かったようだ。彼らは子や孫にアルマーニの標準服を着せてあげることを苦にしないだけの給料を貰っているのだろうか。区教委へ寄せられたメールには「私だってアルマーニなんて着たことがないのに」という50代男性からの苦情があったらしい。筆者も現役時代、1度もこのようなブランド服に袖を通したことがない。視聴者の多くは「地方公務員は高給取りというのは、やはり本当のようだナ」と痛感したかもしれない。

 もちろん私立の小学校であれば、ここまで問題は広がらない。「服育」の教育方針も高価な標準服も、私学なら「校風」というコトバで許容される。しかし泰明小学校は税金で運営されている公立小学校であり、ここを学区とする経済困窮世帯もある。そうした世帯ではアルマーニの標準服導入により、他学区校への入学を余儀なくされ兼ねない。こんな逆転した事態が許されるのだろうか。

 問題の所在はどこに?
 一連の経緯を追えば、真に問題にすべきは「服育」や「ビジュアルアイデンティティー」といったコトバでも、教育理念が希薄で配慮の足りない校長氏の資質でもないことは明らかである。なぜ校長氏の独走を許し、関係機関がアルマーニ標準服にストップがかけられないでいるか――にこそ問題があるように思える。
 区教委の会見資料が伝えるところによれば、昨年9月の新入学予定者向け説明会で初めて標準服の見本が示されたが、価格は未定とされた。10月2日に区教委担当課長が「保護者が誤解しているので、正しい情報を伝えるべき」と申し入れる。以後区長あてに「標準服の変更を校長の権限で、関係者の了解も無しに進めて良いのか」や「親の経済的負担が大きい」といった苦情メールが寄せられるようになった。在校生保護者や同窓生への説明を欠いたまま計画ばかりが進行するので、区教委の教育長が校長氏を呼び出し、新標準服中止の可能性を検討するように提案すると、2日後の12月1に校長氏から「すでにアルマーニ標準服が本生産に入っている。あと戻り出来ない」という回答があったという。
 
 なんと呆れた話なのだろう。1校長の独走を保護者も区教委も止められない。当初はカマビスシかったメディアもここ最近は沈黙している。菅官房長官が13日の会見で「保護者の理解が必要」と苦言を呈しても数行のベタ記事で済ます、問題意識の希薄な大手紙もあった。「無理が通れば道理が引っ込む」の好例だろうか。