斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

50 【「田毎(たごと)の月」考】

2018年09月25日 | 言葉
 「広辞苑」の説明
 月の美しい季節になった。観月の名所は多いが、古来、歌枕(うたまくら)の地に数えられてきた信州・姥捨(うばすて)もその一つ。そして、姥捨といえば「田毎の月」である。広辞苑(第七版)は「田毎の月」の語について次のように説明している。
<たごと・の・つき。長野県千曲市、冠着山(かむりきやま)(伝説では姥捨山)の山腹の、段々に小さく区切った水田に映る月。蕪村句集「帰る雁(かり)田毎の月のくもる夜に」>
 「田毎の月」の名所なのに、月の出ていない、あるいは見えにくい春の夜空を、雁が北の地へと帰って行くことよ--と。段々畑にも似た棚田は全国各所にあるが、とりわけ姥捨の棚田は名高い。平安時代の『大和物語』で信濃国更科の「姥捨て伝説」が広まり、また名歌<わが心なぐさめかねつ更科や姥捨て山に照る月をみて>(『古今和歌集』、詠み人知らず)の影響もあって、この地が月の名所になった。ただし能員法師や西行、小野小町、紀貫之ら平安歌人らが姥捨の月を詠んだ歌に「田毎の月」の言葉は見当たらず、蕪村の句のように江戸時代になってから「田毎の月」が登場する。『更科紀行』を残した芭蕉にも<元日は田毎の日こそ恋しけれ>の句があり、もちろん「田毎の月」を意識すればこその「田毎の日」だ。意味は、秋に田毎の月を見たように、元日を迎えた今は「田毎の日」にカシワ手をポンと打ちたいものだ--である。

 「田毎の月」への誤解
 歌枕の地でも信州・更科は京や江戸から遠い。交通事情の悪かった時代なら、なおさらだろう。実際に足を運ぶ人が少なければ、逆に想像ばかりがふくらむ。そこに「田毎の月」への誤解の余地が生じたのかもしれない。棚田の水面ごと(一枚ごと)に、同時に、水面の数だけ月が映る--という誤解である。冒頭で紹介したのは『広辞苑』の最新版・第七版の記述だが、筆者の手元にある初版本(第一版第二十九刷、昭和43年刊)のそれは以下の通り。内容は微妙に異なる。
<長野県更級郡冠着山(かむりきやま)(伝説では姥捨山)の山腹の小さく区切った、水田の一つ一つにうつる仲秋の月>
 お分かりだろうか。最新版では「山腹の、段々に小さく区切った水田に映る月」だが、初版本では「山腹の小さく区切った、水田の一つ一つにうつる仲秋の月」だった。「水田の一つ一つにうつる」と「仲秋の」が消えたのである。岩波書店の辞書編集担当者や『広辞苑』の編著者サイドに誤解があったとは思えないが、初版本のような「水田の一つ一つにうつる」では誤解を招きやすい、と考えた結果であることは確かなようだ。

 別の解釈
 歌川広重の『六十余州名所図会 信濃更科田毎月鐘台山』や『本朝名所 信州更科田毎之月』と題した浮世絵は、どちらも棚田の一枚ごとに月が映っている絵柄だ。時代が下って明治に入っても<名月や田毎に月の五六十>(正岡子規)という句が詠まれている。「田毎の月」という語が長く誤解されてきたことは間違いない。
 言うまでもなく、棚田一枚につき一面ずつの水面(みなも)がどれほど多くても、一定の時間に映る月は一つ。月と人とを結ぶ月光線は最短距離の一本だけであり、水面で反射する入射角と反射角とは必ず同じ度数になるので、月は一枚の田にしか映らない。どれほど広大な池や湖でも水面に映る月は一つ、という理屈に同じである。
 
 では「田毎の月」を詠んだ先人たちは皆が皆、この点を誤解してきたのか。そうとも思えない。発想を少し変えたら、別の景色が見えて来ないだろうか。たとえば「田毎」という言葉に時間的要素を加味してみる。月見の句(短歌)なら、じっくりと時間をかけて月を観賞したい場面だ。<名月や池を巡りて夜もすがら>(芭蕉)とあるように詠み手が移動しつつ月を見れば、棚田の水面に映る月も詠み手の後から従(つ)いて行く。であれば田毎に月を映したことだろう。『広辞苑』の蕪村の句にしても、夜空を渡る雁の目には、棚田の一枚ずつを月の移動して行く様子が見えるはずであった(実際は曇り夜空なので見えていない)。蕪村自身でなく雁の目線で考えれば興趣は増す。
 さらに詠み手は動かず、一か所にとどまっていたら、どうだろう。時間の経過により月が東の空から西の空へ移動すれば、棚田に映る月も幾枚かの田を通過する。この情景を「田毎の月」と表現しても不自然ではない。花鳥風月の中でも西行などは、ことのほか月を愛した。「嘆けとてものを思わする」月を夜通し見続けていたなら、月は田毎に光を落としつつ西の空へと消えたに違いない。

 棚田の水面(みなも)の数だけの月が、同時に映る--という、一瞬を切り取る静止画的な理解。時間の要素を加えると、画に動きが出て、詠み手の心の動きまでが伝わる。こちらは動的な理解。句や歌に深みを与えるのは、どちらだろうか。

 「田毎の月」の季節は?
 残る問題は、どの季節に「田毎の月」が見られるか、である。「月」の季語は秋だが、「田毎の月」という季語はない。しかしながら蕪村の句のように「帰る雁」の語があれば、春の句であることが分かる。田に水が張られるのは田植え前後の時期だから、この季節の情景と見るのが自然だ。しかし蕪村の句にも「月のくもる夜に」とあるように、この季節は曇りがちで、せいぜい「おぼろ月」が望める程度の夜が多い。つまり観月の季節としてはふさわしくない。
 すると「月」の季語の通り秋だろうか。『広辞苑』の初版本にも「水田の一つ一つにうつる仲秋の月」と説明されていた。しかし、しかし、である。平場の田でさえ稲刈り前から水が抜かれるというのに、水捌(は)けの良い棚田にこの時期まで水面が残っているものだろうか。それとも雨台風一過の寸時のみに見られる、珍しい光景なのか。どうにも悩ましい。「田毎の月」は、やっかいなコトバである。