斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

55 【『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』上】

2019年01月03日 | 言葉
 久しぶりに見た名作
 10年以上も前にDVDへ録画しておいたアメリカ映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)。マカロニ・ウエスタンで知られるセルジオ・レオーネ監督が10年余の歳月をかけた、渾身の遺作映画だ。ふと見たくなりDVDを家中探し回ったが、見つからない。レンタル屋さんで借りるテもあったが、まあ、そのうちに見つかるサと放っておいたところ、某テレビ局が再(再々?それとも再々々?)放映すると知り、さっそく再録画した。次に見れば10回近く見たことになる。何度見ても見るたびに発見があり、飽きることがない。というか、1度や2度見ただけでは、さっぱり理解出来ない部類の映画なのである。

 映画でも小説でも、見る人読む人それぞれに好みがある。同じギャング映画として『ゴッドファーザー』(1972年)と比較されることが多いが、筆者の好みで言えば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の方が格段に上だ。ミステリー小説のような謎と伏線とが各所に散りばめられ、主人公「ヌードルス」(ばか、あほう、うどんを意味するアダナ)や準主役「マックス」「デボラ」の性格付けも丁寧。この性格の違いがストーリーの面白さや悲劇的結末への伏線になり(詳しくは後述)、こうした構成の精緻(せいち)さも数あるギャング映画の中で異彩を放つ理由になっている。
 特に前半では、ニューヨーク貧民街に暮らすユダヤ系移民の子らの日常が、エンニオ・モリコーネのノスタルヂックな音楽をバックに描かれ、見る人を魅了する。題名「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が意味する「昔むかし、アメリカで」の通り、去った時代への追憶も重要なポイントで、最後の最後でセルジオ・レオーネ監督がなぜこの題名にしたかが分かるという、凝った骨組みだ。

 正しく解釈するカギ
 「過去への追憶」が主題の要素だから、シーンは過去と現在を頻繁に行き来する。ヌードルスが宿敵バグジーを刺殺して刑務所へ送られるまでの少年時代。刑期を終えたヌードルスがマックスたちと合流してから、マックス、パッツィ、コックアイら3人による連邦準備銀行襲撃を警察へタレ込み、行方をくらますまでの青・壮年時代。さらに「35年」が過ぎ、マックスもヌードルスも初老になった”今”の時代。マックスは所在不明のヌードルスに成りすまして米政府の「長官」に出世し、パーティー招待状をヌードルスへ送る。目的は何か。ヌードルスは「謎」を解くべく”マックス長官”に会おうと乗り込み、マックスの告白によりすべての「謎」は氷解する。直後、マックスは清掃車の巻き込みローダーに飛び込んで自殺した--。

 少年時代はともかくとして、青・壮年のギャング時代と初老時代とは、しっかり見分けておかないと、ストーリー理解に混乱をきたす。両時代の混同こそが、この映画の解釈を難しくしたり、ストーリーに「整合性を欠く」と印象付ける原因になっているからだ。例えば冒頭近くに、こんなシーンがある。タレコミ後に訪れた殺し屋をヌードルスが返り討ちにした後、駅でバッファロー行きのバス切符を買う。そしてドラエモン漫画の「どこでもドアー」にも似た扉の向こう側へと消える。時代は青・壮年時代。ところが直後に場面は急転換し、初老のヌードルスが「どこでもドアー」から出て来ると、今度はレンタカーを借りてファット・モーの店へと向かう。「どこでもドアー」はセルジオ・レオーネ監督お得意の”お遊び”のようだが、この映画を1度見ただけでは、時代転換への監督の意図が見抜けないかもしれない。

 時代転換の分かりにくさこそ、この映画の面白さ
 同じように”お遊び”の小道具を使った時代転換場面は他にもある。初老になって再び足を運んだ貸しロッカーで、ヌードルスは鞄に詰められた札束と「次の仕事の前金だ」のメッセージを見つける。青・壮年時代の密告後、姿を消す直前に貸しロッカーを覗いた時は、カバンの中の札束は新聞紙に変わっていた。なぜ35年も経ってから札束が再び詰められたのか。「謎」は、作品の最後でマックスから明かされるが、これも後で詳述。ともかくもヌードルスは大金を詰めた重い鞄を下げて帰る。すると突然フリスビーのディスクが飛んで来て、ヌードルスの頭上を過ぎた。どこへ飛んだのかと追う視線の先で、青年マックスが笑いながら立っている。刑期を終え出獄した青年ヌードルスを、青年マックスが迎える時代転換のシーン。ここではフライング・ディスクが「どこでもドアー」よろしく転換の小道具に使われている。これも監督ならではの”お遊び”なのだ。

 髪黒く、細おもてで精悍なヌードルスの青・壮年時代。薄毛で白髪混じりのオールバック、丸顔で老成した口調の初老時代。主役ヌードルスを演じたロバート・デ・ニーロが2つの時代のヌードルスを見事に演じ分けているので、集中力を切らすことなく見ている限り、時代を混同してしまうことはない。とりわけ初老期のヌードルスは名演技なので、デ・ニーロのファンであれば見間違えることはあるまい。

 この映画はアメリカでの公開当初、映画配給会社の意向により、原型と異なって時系列的に、つまり時間の推移に従ったストーリーに再構成されたようだ。分かりやすさが優先されるアメリカ映画界らしい。しかし評判は散々だった。そこで元の、つまり現在の非時系列的構成に戻すと、一転、好評を得た。作品の奥行きや奥深さに魅かれるクロウトっぽいファンも健在だ、ということだろうか。
 (続く「下」では、ヌードルスやマック、デボラの性格付けの意味や、結末の謎解きについて詳述します)