斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

56 【『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』下】

2019年01月11日 | 言葉
 丁寧な性格描写の意味
 迫害と差別が日常だった、貧しいユダヤ系移民の子供たち。貧困から抜け出そうとすれば、ギャングとして成り上がるしか方法(テ)のない時代だった。その意志が最も強固だったのが、頭脳明晰な準主役のマックス。少年たちのリーダー格だった当時、浮力と塩の溶解速度を応用した、水中からの麻薬回収方法を皆で考え出し、ギャングに売り込んで大金をせしめた。反面、性格は神経質で、幼いペギーとの”初体験”では外で待つヌードルスらの話し声が気になって「おっ勃(た)た」ない。何気ない青春のヒトコマは、マックスの明晰さと神経質さゆえに結末への伏線にもなっていて、計算された構成だ。

 青・壮年時代のマックスは葬儀社を隠れ蓑とし、大物ギャングと組んで禁酒法の網をかいくぐり、コックアイらかつての少年ギャング団の面々とともに、いっぱしのギャングにのし上がっていた。ヌードルスも加わって宝石商から大量の宝石を強奪した後、ギャングの大物フランキーの差し金で、強奪に一役買った小物ギャングのジョー派を皆殺しにした。帰りの車中でヌードルスがマックスを問い詰める。
「なぜ黙っていた?」
「最初からジョーを殺(や)ることはフランキーとの約束だった。フランキーとの約束は絶対なんだ。フランキーは裏世界を牛耳る大ボスだ」
「俺なら断る‥‥ボスは嫌いだったろ。いつから考えを変えた? 今日はジョー、明日はお前だぞ。そうなってもいいと? 俺はご免だぞ」
 単に路線対立や考え方の違いというだけでなく、全編のキーとなる個所。物語の最後でマックスが自殺に到る、重要な伏線になっている。ギャングと組めば大金を掴むのも「出世」するのも早いが、利用されるだけ利用され、邪魔な存在になれば殺される。ロッカーの札束と「前金に」のメッセージは「明日はお前だぞ」の身に嫌気が差したマックスからヌードルスへの「(ギャングに殺される前に)自分を殺してくれ」という依頼だったと、最後の最後でマックスにより明かされる。

 マイペースなヌードルスと恋の結末
 刑務所にいたためギャングとしては出遅れたヌードルス。組織内では参謀兼殺し屋的な、一匹狼に近い存在にとどまる。「ボスは嫌い」で、アヘン窟(くつ)に入り浸るマイペース人間。マイペースなタイプは、だが往々にして他者への配慮、思いやりが苦手だ。羽振りのよかった青年ギャング時代、幼い頃から恋心を抱いてきたデボラを、貸し切り・生演奏付きの超高級レストランへ招いて豪勢な宵を過ごす。自ら「刑務所の中ではデボラが心の支えだった」と話し、デボラも「幼い頃から本当に好きだったのは、あなただけ」と告白する。女優として売り出し中のデボラは「明日はハリウッドへ帰る。頂点を目指している」とも。マックス同様、上昇志向の強いデボラの夢は、2人の性格の不一致とこの夜のデートの結末とを暗示する。
 案の定、ヌードルスは運転手付きの車中で無理やりコトに及ぼうとして、デボラの激しい抵抗に遭ってしまう。いくら何でも運転手の目がある車内で、というのはヒドい。高級レストランを借り切る金があるなら、スウィートの一部屋でも予約しておけば良いものを、その辺の配慮がヌードルスには出来ない。
 かくてヌードルスは最愛のデボラをマックスに奪われることになる。「長官」にまで出世したマックスと、35年間の放浪のすえに舞い戻ったヌードルス。しかし結局のところ勝者はどっちだったのか。セルジオ・レオーネ監督が最後に用意していた答えは、見事にして悲しき逆転劇だった。ここに至って観客は初めて、ヌードルスとマックスの性格が対照的に描かれてきた意味を知ることになる。

 謎解きの最終シーン
 映画にしろ小説にしろ、作品最大の謎やテーマの伏線は冒頭に配されることが多い。この映画も然り。いきなりギャング映画らしい残虐シーンから入るが、作品全編を貫く謎に対する伏線が、この冒頭にある。銀行強盗襲撃を警察へタレ込んだヌードルスを追って差し向けられた3人の殺し屋が、ヌードルスの情婦を殺し、ファット・モーを拷問してヌードルスの行方を聞き出そうとするシーンだ。
 もう1つの重要な伏線も。マキシムの無茶な言動に対してヌードルスが「イカレてる!(You are crazy!)」と言うと、マックスがブチ切れてヌードルスに殴り掛かるシーン。たびたび出て来るが、ギャングなら「イカレてる!」程度の口汚さには慣れっこになっていそうなもので、マックスのブチ切れぶりは違和感を抱かせる。ところが最終場面の直前で、ヌードルスはマックスの情婦だったキャロルから「マックスは心の病で父親を失い、同じ運命を恐れていた」と、このコトバへの過剰反応の理由を知らされる。実は連邦準備銀行襲撃の警察へのタレコミには、キャロルから「襲撃すればマックスは必ず殺される。マックスの命を助けるため、警察へタレ込んで事前に逮捕させて」と依頼され、ヌードルスが応じた経緯があった。

 すべてはマックスが仕組んだ
 そしてヌードルスとマックスが1対1で対峙した最終場面。マックスは「あの時はイカレていなかった。完全に正気だった」と告白する。「あの時」とは、フロリダの海を見ながらマックスがヌードルスに銀行襲撃計画を持ち掛けた場面。マックスによれば、一切は警察もギャングもグルで、マックス自身がヌードルスになり替わる--という計算され尽くした、つまり「完全に正気な」計画だった。キャロルの密告依頼も、キャロルを使ってヌードルスが密告するように仕向けたのだ、と。

 「完全に正気」の意味は重大だ。冷静冷酷な計画の全貌。目的の1つには、少年ギャング団が貸しロッカーに蓄えていた大金の、マックスによる独り占めもあった。ここで初めて、銀行襲撃直後にヌードルスの元へ殺し屋が差し向けられた冒頭シーンの意味が明らかになる。フロリダの海でマックスが「完全に正気」だったとすれば、描いていた青写真は、パッツィとコックアイを犯行に名を借りて殺し、犯行に加わらなかったヌードルスは、初めから殺し屋の手を借りて殺すつもりだった--ということになる。この部分の謎解きこそが、セルジオ・レオーネ監督が用意した、作品最大の大どんでん返しだったのである。
 (諸説ある「ヌートルスの笑み」ほかは、次回「追記」にて詳述します)