斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(21) 【「学問の自由」と「学問の独立」】

2020年11月07日 | 言葉
 早稲田大学の校歌『都の西北』は、明治40年に制定された。作詞は相馬御風、作曲は東儀鉄笛。1番の歌詞の中に以下のフレーズがある。
<--われらが日ごろの 抱負を知るや 進取の精神 学の独立 現世を忘れぬ久遠の理想-->
 「進取の精神」や「現世を忘れぬ理想」と並んで「学問の独立」が大学と学生たちの3つの「抱負」の1つに据えられている。国の助成を受けない当時の私学の、独立不羈(ふき)の精神を説いたものだが、明治年間すでにこのような考え方が重んじられていたことは、明治人の教育観・学問観の先進性を知るうえで興味深い。

 「学問の独立」の「独立」とは、さまざまな社会的勢力、とりわけ時の政治権力からの、学問の自由と自主自立を指す。どの時代にあっても為政者は研究者に忖度を、おのれに都合の良い研究を押し付けがちだ。ゆえに「学問の独立」が説かれた。何からの自由か、何からの独立かを考えれば、「学問の自由」は「学問の独立」と同義であることが分かる。

 首相に限らず国政を担う政治家なら、せめて近代政治史の概略本くらいは読んだうえで、「学問の自由」を論じたいものだ。先人たちが何を世の理想として政治に手を染めてきたかを知っておく必要がある。戦後民主主義のもとでは国家こそが「学問の自由」を保護・保証する側にあるべきなのだ。