斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

番外編Ⅱ 【ん? このカタカナ語の表記!】

2017年06月07日 | 言葉
 島中誠・元ニューヨーク特派員発の第2弾です。ハッと驚き、クスッと笑ってしまう内容です。
 
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 外国語、とりわけ英語を日本語に取り込む際に、もとの発音を忠実に守らず、勝手な表記にしているケースが実に多い。嘆かわしいが、いったん定着した誤表記は直りそうにない。僕1人が何を言っても、衆寡敵せずである。

 英語には日本語にない発音が多い。そのうえ、英単語にはサイレントといって、特定のアルファベットが「無音」になるものが無数にある。これを「黙字」というが、ごく簡単な例で言えば「light」「night」の「gh」で、これを読まないことは常識である。「know」や「knife」の「k」、「hour」や「honest」の「h」も、「sign」「campaign」の「g」も「write」「wrong」の「w」もそうである。
 「b」が最後についた場合も、無音となり、発音されない。「bomb」や「climb」などである。「bomb」(爆弾)はボム。爆弾を投下する爆撃機、落とす兵士は「bomber」で、当然ボマーとなるが、わが国ではボンバーという。「ボンバーなんとか」という芸人がいるが、恥ずかしいことだ。ある英和辞書が「bomb」の発音記号を書き、すぐ下に「発音に注意」と付記しているのは親切だが、「bomber jacket」の訳に「ボンバージャケット」と書いたのは信じられない所業である。
 「w」「y」「v」「f」「r」なども日本語とは違う。「yell」(泣きわめく)は「エール」ではない。口に力をこめて「イエ」と言わなくてはいけない。「fair way」のことを、ゴルフの青木プロは「ヘア・ウエー」という。ことほど左様に、日本人は「フェ」が苦手である。

 「award」(賞)を「アワード」と言ったり書いたりする。これにはホトホトいやになる。今や修正できないほど広まってしまった。「war」は誰が読んでもウォーであり、ワーではない。どうして「アウォード」にしないのだろうか。
 銀行筋では詐欺のことを「フラウド」と言うのが通例になっている。「fraud」はあくまでもフロードである。今のうちに直してもらいたいが、もう遅いかもしれない。もう1つ許せないのが「リラクゼーション」。カタカナ語辞典の見出し語に「リラクゼーション」があり、その説明に「英語ではリラクセーションである」と書いている。これは本末転倒で、最初から「リラクセーション」を見出し語に出し、「『リラクゼーション』は誤り」と書けばいいではないか。「relaxation」の「~xation」と「civilization」「globalization」の「~zation」をごっちゃにしては困るのである。

 英語の「th」の発音ほど厄介なものはない。その表記に日本人はさんざん苦しめられできた。「the」は「ザ」と書くのが通例だが、「this」は「ディス」と書く。「think tank」はシンクタンクとなる。一体、どう書きゃいいんだ、と関係者はみな頭を抱えてきた。「Mathis」という歌手名はずっと「マティス」だった。すると「Spieth」というゴルファーは「スピート」かというと、「スピース」にしてしまった。仕方がないことかもしれない。
 読売新聞社が発行していた「THIS IS」という雑誌、これを編集者や販売担当が発音するのにひと苦労していた。「ジス・イズ」です、「ディス・イズ」という月刊誌です、と電話で大声を出しても、相手にわかってもらえず、何度も「ハァ?」と聞き返されていた。こんな愚かな誌名を考えた人の気が知れない。

 「VIP」(very important person=要人)を「ビップ」という人が圧倒的に多い。これは「ヴィーアイピー」とアルファベットそのままに発音しなければいけない。「USA」を「ユーサ」とは言わない。「CIA」や「FBI」も、そのまま読む。ルールがあればいいのだが、そうはいかない。逆に、ペットボトルのPETやAIDSやレーザー光線のlaser、radarは、専門語で「acronym」(頭字語)と言い、頭の部分だけをつなぎ合わせたら、まるで1つの言葉のようになった略語で、VIPはこれと違う。ややこしいが、ビップと言わないと覚えるしかないのである。「entertainment」が「エンターテイメント」になり、「alignment」が「アライメント」になるように、日本人は「n」を無視する。「n」と日本語の「ん」はまるで違うのに、である。

 オックスフォード辞典が選んだ2016年の流行語は「post truth」だった。これを「ポスト・トゥルース」と我が国の新聞雑誌は書いている。「truth」も日本語で書きにくい。
 作家のMark Twainをわが国では「トウェイン」と書く。どう発音するのか。僕にはできない。
 Truman大統領は「トルーマン」だった。「トウルーマン」なんて書く人はいない。twoはツーであり、誰もトゥーなんて言わない、ワンツースリーと言うではないか。どうせ、元の発音を日本語で表記なんかできないのだから、ツウェインでいいし、ツルーマンでもよかったんじゃないか、と思う。
 最後に一言。我が国の製靴業界では、靴の幅(width)のことを「ワイズ」と書く。たしかに「ウィドゥス」とは書きにくい。だからと言って「ワイズ」はないだろう。日本語の「幅」を使えばいいのであって、何も、カタカナで書く必要がないのである。
   < 島中 誠 (Makoto Shimanaka)>

1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-06-15 00:01:37
トゥの方が、原音に近い感じですかね。この場合、日本語の「つ」ではなくtという無声音のという標示なので。逆に、ツやトゥの区別を「どちらにしろ、完全に再現不可能だからどうでもよい」とするなら、ヴとブの区別やローマ字的転写も日本語訛りで別によいのでは?インドやフィリピンの方もかなり英語発音が訛っていますが特に支障はないですし。

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