斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

94 【まっくろくろすけ、&「バナナ320本」】

2023年06月19日 | 言葉
 

 まっくろくろすけ
 小3になる孫娘の、ちーちゃん。まだ保育園に通っていた頃、実家へ来るたび物置へ入りたがった。六畳間ほどの薄暗い「イナバの物置」。ちーちゃんがすることは一つ、地団駄を踏むこと。小さな足で床を踏み鳴らした後で、ぐるりと天井を見上げる。何事も起こらない。ホッとするが、何だか残念そうな様子でもある。まっくろくろすけが、その日も出て来なかったからだ。今でもくろすけに会いたいのか、時々ジイジを薄暗い物置へ誘う。独りで行くのは不安なのかもしれない。
 
 まっくろくろすけ。本名(?)ススワタリ。映画『となりのトトロ』や『千と千尋の神隠し』に登場する。チョー有名人、いや有名な妖精だから、説明は不要だろう。『となりのトトロ』には他にも猫バス、トトロなどの妖精が登場する。いかにも子供に好かれそうなキャラクターばかり。くろすけやトトロの、人間たちへの視線の優しいことが、人気の理由のようだ。これらの妖精たちに顔をしかめる大人はいない。

 「バナナ320本で死ぬ」
 子供が信じやすい点では、迷信も同じかもしれない。5月29日付け読売新聞朝刊の連載「情報偏食 ゆがむ認知」で、インターネットに流れる偽情報と教育現場の困惑を特集していた。「バナナを320本食べると死ぬ」。千葉県内のある小学校で、こんな偽情報が流れたことがあったという。バナナに含有されるカリウム分が根拠の情報のようだが、人体に害があるほどの過剰摂取は普通ありえない。記事の主旨は、インターネット上の偽情報の弊害が小学生たちの世界にも広がり、不安をあおっている、というものだった。

 影踏み
 筆者などの高齢世代にも、子供時代の迷信は数々あった。例えば「影踏み」。自分の影を他人に踏まれると数日以内に死ぬ、といったもの。さすがに信じる子供たちは居なかったが、それにはこんな理由もあった。鬼ごっこの一種に「影踏み」という遊びがあって、踏まれた子供が次に鬼になるルール。踏まれるたびに死んでいたら、1度の遊びで10回以上死ななければならない。遊びを通して子供たちは「影を踏まれると死ぬ」が偽情報、つまり迷信であると知っていた。

 変わったところでは他に、ミミズに小便をかけるとオチンチンが腫(は)れる、というのがあった。昔の男の子にとって立ちションは日常だから、これもウソであると知っていた。ただし筆者などは、なぜか今もって止むを得ず立ちションをする際は、下にミミズが這っていないかに注意してしまう。
 <一粒の米粒には神様が三人(体)入っている>というのもあった。要は「だから大切に食べなさい」「食べ物は大事に扱いなさい」と続くのだから、発信元は大人だったかもしれない。食べ物の不足がちだった終戦直後の世相が思い出されて興味深い。

 AI時代と子供の迷信
 迷信も含め子供たちが信じている世界は、時代の反映でもあるのだろう。「バナナ320本」にしても、大人たちの間の健康志向の高まりと知識の広がりとが、背後にあってのことと思える。カリウムが重要な栄養素だとしても、過剰に摂取すれば体に良いはずはない。バナナ以上にカリウムを多く含むとされる柿やぶどうは季節の限られる果物だが、バナナは年間を通して出回る。過剰接種で内臓を痛める可能性も、なくはあるまい。

 子供の頭脳は柔軟で、物事を信じやすい反面、考えを修正するのも早い。幼児のうちは「なぜ、どうして?」が多く、どんなことにも興味を持ち、新しい知識に対する吸収力も大人以上だ。強い関心を持つ事項ほど、もっと深く知りたいと考える。
 であれば「バナナ800本」への不安は、科学的興味を伸ばす入口になるかもしれない。食べ物とは何か、栄養とは何か、カリウムとは何か。過剰摂取とはどういうことか? 教育の現場で「困惑」が生じるほどなら、むしろチャンスだと言える。子供たちの知識欲を上手に引き出し、伸ばしてあげるのが先生たちの、そもそもの仕事なのだから。

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