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気ままに生活してるシニアの残日録

関ヶ原(映画):追記あり

2023年01月08日 | 映画

TVで放映していた映画「関ヶ原」を見た。私はTVで放映される映画も興味が有るものは録画して見るようにしている。2017年制作の映画で、原作は司馬遼太郎とあり149分の大作である。

司馬遼太郎の歴史小説は一時期興味があって多く読んだ。特に、「関ヶ原」、「城塞」、「龍馬がゆく」が好きだ。関ヶ原から大阪の陣終結までの歴史は一大ドラマで中国の三国志にも匹敵すると言っても良いだろう。司馬作品のこの戦国時代を書いたものを全部合わせれば三国志以上のボリュームになるだろう。それだけあまりにもいろんなことが起き、多くのドラマがあった時代であった。作家としても挑戦しがいのある時代なのだろう。

私が司馬作品に惹かれるのは人物描写の素晴らしいことである。相当な文献を調べて対象となる人物がどういう人だったのか手に取るようにわかりやすく書いてくれるので読んでいて大変面白い。

ところで、原作を読んで私が特に面白いと感じたところの一つが、家康が秀吉亡き後、東北の上杉家に謀反の証拠ありとして征伐に動き出した時だ。北上中に三成挙兵の報が入り奥州街道小山で軍議を開きどう対応するか協議することになった。上杉征伐群に参加していた遠州浜松の若い堀尾信濃守(忠氏)と父親ほどの年齢の遠州掛川城主山内一豊が道々一緒に四方山話などをして馬を並べて進んで行く。話は段々明日の軍議のことになった。忠氏は若い鋭い頭で考えた秘中の策を持っていた。それは軍議で参加諸侯が徳川につくか三成につくか迷っているだろうから自分はいの一番に「家康殿に味方する」と発言して家康支持の流れを作り家康に恩を売りたい、更に、そこを他の諸侯に先に言われてしまった時は「自分は城も領地も家康殿に差し上げる」という驚天動地の提案をして家康を驚かし、恩を売る、というものだ。山内一豊が老獪さを発揮して若い忠氏をおだて、気持ちよくさせたところ、忠氏はは自分の知恵を明かしてこの老人を驚かせてやろうと言う心持ちになり、ついに「一番の御味方名乗り」という腹案を明かしてしまった。老人がこれを褒めると忠氏は更に気が大きくなり、秘中の秘とも言う策を明かしてしまう。

翌日の軍議では予想通り諸侯がどっちにつこうか迷っている顔をしているのを見て忠氏は発言しようとすると福島正則に先を越された。そこで秘中の策を発言しようとした瞬間、「あいや」と言って進み出た者がある。山内一豊である。しゃべり出した内容は忠氏の策ではないか。山内氏は関ヶ原ではなんの武功もなかったがこの時の一言で掛川六万石からから土佐一国二十四万石の殿様になった。忠氏はその後、27才で病死し、跡継ぎがなかったのでお家取りつぶしになった。これが本当の話か司馬のフィクションかは知らない。ただ、残念ながらこのことはこの映画では取り上げられていない。

さて、司馬の本を読んでもこの映画をみても、家康の戦略家ぶりの一方で三成の人望のなさなどが主張されているように思えるが、実際のところはこの通りであっにのだろうか。勝負は時の運だ。一つ違えば結果は異なる。歴史は勝者によって書かれると言う。敗者がことさら貶められる例は枚挙に暇がない。明智光秀しかり、幕末の徳川慶喜しかり、戦前の日本もしかりではないだろうか。この点で、一般に流布されている歴史というものは割り引いて見る必要があるのではないだろうか。

2023/1/29 追記

家康について戦略家、と書いたが、1月28日の産経新聞の記事(The Interview)によれば、従来の家康像は「狡猾な狸オヤジ」だそうだ。これに対して作家の安部龍太朗氏は「こうしたネガティブイメージも江戸幕府を否定したい明治政府による恣意的な部分が大きい、今こそ家康を再評価すべきだ」と述べている。