ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

喫茶「サロンド冨山房Folio」にて

2023年01月29日 | カフェ・喫茶店

神保町から淡路町にかけての街はは好きである。古本屋、大型書店、美味しい店、しゃれた喫茶店などが一杯ある。この日は時間が取れたので神保町でコーヒーでも飲もうと思いネットで調べてサロンド冨山房Folioと言う店を探し行ってみた。この界隈では淡路町の高山珈琲、神保町の古瀬戸珈琲店などに何回か入ったことがあるが、少し新しいところも探してみようと思った。

Folioは三省堂の裏の神田すずらん通り沿いにある冨山房ビルの地下1階にある喫茶店である。入ってみると中は広いゆったりとした空間にテーブル席がゆったりと配置されていて、あちこちに多分冨山房出版であろう本が並べられている落ち着いた雰囲気の店である。先客は4名いたが全然混んでいるという感じではない。みんな一人客で、静かにコーヒーなど飲みながら本を読んだりタブレット端末を見て何か書き物をしたりしている。営業時間が12時から18時だったかずいぶん短い。これは多分冨山房が経営しているからそんなにあくせくしないのではと推測した。会社の人が喫茶室として商談で使ったり社員が寛ぐために使っているのかもしれない。

コーヒー600円を注文し、ゆっくり寛いでいると、カウンターで店主が豆を挽き、ペーバードリップしてコーヒーを抽出している姿が見える。注文の都度手間をかけてコーヒーを淹れているいるんだな。そんなところを見ているとなんだか落ち着いた気分になる。運ばれてきたコーヒーを見ると私の好きな少し大きめのしゃれたカップに入っている。おいしかった。

帰りに店主にちょっと聞いて見ると、30年前にこのビルができたときから営業しているという。あまり目立たないので知られていないのかもしれない。冨山房も出版不況で大変だと思うが、この店もいつまでも営業してもらいたいものだ。


「音と言葉」(フルトヴェングラー著)を読む

2023年01月29日 | 読書

フルトヴェングラー著「音と言葉」を読んだ。これはフルトヴェングラー自身の書いたエッセーや公演録である。作曲家や指揮者自身による手紙や論文は歴史の第1次資料として大変貴重である。クラシック音楽の分野ではモーツアルトの手紙やベートーベンの手紙が出版されているので読んでみたが大変良かった。本書も読んでみてフルトヴェングラーの考えが熱く語られていることがわかる。私はご多分に漏れずフルトヴェングラーファンであるが彼の指揮した曲のCDを全部聴いているわけではない。私が聴いた範囲では、彼の指揮に向いている曲とそうでない曲があるように思える。ベートーベンの交響曲でいえば、3番・5番・9番は彼の指揮が大変向いているように思う。

さて、本書だが、次のような構成になっている。

  1. すべの偉大なものは単純である
  2. バッハ
  3. ベートーベンの音楽
  4. ベートーベンと私たち(「運命」の第1楽章のための注意)
  5. 「フィデリオ」の序曲
  6. ロマン派について
  7. ブラームスと今日の危機
  8. ワグナーの場合
  9. アントン・ブルックナーについて
  10. ヒンデミットの場合
  11. 作品解釈の問題
  12. ウィーンフィルについて
  13. 音と言葉

ここで上記の概要を紹介することは私の能力ではできないが読んでみて特に彼が強調しているのではないかと感じた点を羅列してみると次のようになる。

彼の目から見ると今日の演奏は凡庸である、「楽譜に忠実な」というのは間違った考えである、今日「精神」と「官能」が分離されている、非官能化の最も致命的な一例は十二音階的作曲だ、支配せんとする理論家と生きようと欲する芸術家の闘いが今日音楽において激突している。ストラビンスキーもその一人だがおよそ感情を表現する能力というものを音楽から追放してしまおうとする一派がある、ストラビンスキーが頭からベートーベンの出発点は非現実的で実存的でないと宣言する言葉に賛同するわけにはいかない・・・・いや、とてもこんな簡単なフレーズで偉大な指揮者の考えを要約することはできない。

この本は、私のような音楽の素人には、何度も何度も読み返してみないと言わんとしていることは正しく理解できないであろう。