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気ままに生活してるシニアの残日録

終戦の日に

2023年08月15日 | 日常生活の出来事

今日は終戦記念日。夏休みをとっている人も多いだろう。

終戦の詔書は1945年8月14日に発布されたが、国民に知らされたのは15日、正午からの玉音放送であるのは誰もが知っているだろう。終戦記念日とは、ネットで調べると、1982年4月、有識者懇談会の意見を受けて、戦争を知らない世代に戦争の経験と平和の意義を伝えるため、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された、とある。

政府主催の全国戦没者追悼式には一般の人が参加できなのだろうから、私は九段下の靖国神社に参拝に行ってみた。過去、この日に何回か来たことがあるが、あまりに混んでいるので、境内に入って、参拝のために参列している皆さんの状況を見て、帰っていたが、今はすでに定年退職して時間の余裕もあり、かつ、境内に入ってみると参列者の列もそれほど長くなく、カンカン照りでもなかったので、参拝することにした。

いろいろ議論のある靖国神社であるが、今日初めて参拝してみて驚いたのは、参列している人に若い人たちが多いことである。私はてっきり年配の人たちが多いと思っていたが、意外であり、また、うれしくなった。有識者会議の結論などをみれば、参拝してみようかと思うのも自然なことであろう。年配の方々は猛暑で参拝したくても見送っているのであろう。

以前の記憶だと、参列者の列はもっと長かった印象がある。これも年配の方々が参列を取りやめた影響か。参列者に対して警備の方々が、具合が悪くなった人は直ぐに申し出てください、と盛んにアナウンスしていた。現に具合が悪くなって倒れる若い女性もいたが手厚く看護されていた。また、参拝後は無料の麦茶のサービスがあった。日本は本当に良い国だ。

参列の最後尾についてから30分くらい経過し、本殿の先頭に立ち、お賽銭を入れ、二拝二拍手一拝の作法で拝礼し、会釈をしてから退出した。英霊に対しては「皆様のおかげで日本の平和が保たれ、有り難うございます、安らかにお眠りください」とお祈りした。参拝して厳かな気持ちになり、参拝して本当に良かったと感じた。

さて、今日、ある新聞は、「日中戦争以来の戦没者が310万人を数え、各都市が焦土と化した日本の敗戦時の情景はウクライナに通じる。だが、侵略者としての日本の姿は、むしろ今のロシアに重なる」と社説に書いた。今、ウクライナを侵略しているロシアと戦時中の日本が同じだという例えに呆れるし、なぜ「戦没者を追悼し平和を祈念する日」にこんな例えを持ち出して社説を書かなければ気が済まないのか。「過去の過ちから学ぶ真摯な姿勢も欠かせまい」とも書いているが、これはこの新聞社にも言える教訓であろう。

 


演劇「ティーファクトリー『4』」を観る

2023年08月15日 | 演劇
テレビで放送されていた演劇、ティーファクトリー『4』(2021年8月あうるすぽっと)を録画して観た。少し前に行われた公演の再放送だ。
 
■作・演出:川村毅 
■音楽:杉浦英治
■出演:今井朋彦 加藤虎ノ介 川口覚 池岡亮介 小林隆
 
ティーファクトリーは劇作家、演出家、俳優の川村毅(64)が2002年に作った自作戯曲上演プロデュースカンパニー。川村毅はその世界では有名な存在で、26才の時、彼が手がけた演劇で岸田國士戯曲賞を受賞するなど数々の実績があるが演劇初心者の私は知らなかった。

今回の演目の『4』は、2010年度世田谷パブリックシアター学芸企画<劇作家の作業場>「モノローグの可能性を探る」というワークショップからスタートし、改稿とリーディングを重ね、2012年白井晃氏演出により初演された。その演出は舞台と観客の垣根を取り除き、観客を当事者として巻き込んだ斬新な演出で話題となった。その後、ニューヨークでの英訳版、コペンハーゲンでのデンマーク語訳リーディング上演、韓国では現地カンパニーによる韓国語版上演がソウル演劇祭他にて上演された。

今回放映された作品「4」は、上記の白井演出版ではなく、川村毅劇作40周年記念事業として劇作家川村自らが初めて演出した新演出だ。だが、2020年5月、上演直前にコロナの緊急事態宣言に伴う劇場休館により上演が延期となり、2021年8月にようやく、あうるすぽっと(劇場の名前)で上演になったものを録画したものだ。

この「4」と言う題名は、登場人物の4名(FOUR)に引っかけてある、実際は4+1だが。

F:裁判員
O:法務大臣
U:刑務官
R:確定死刑囚

劇では、4人の俳優が舞台に出てきてくじ引きをする。そして自分の役割が決まる。そして順番に独白(モノローグ)をする。内容は1人の確定死刑囚Rの死刑執行のことについてだ。裁判員はどうして死刑判決にしたのか、法務大臣は死刑執行認可の書面にハンコを押すのか押さないのか、刑務官はこの死刑囚の執行の前に行った別の死刑囚の死刑執行の失敗のことや、自分の役割について、そして死刑囚は自分に死刑執行をしてほしいのかどうかなど。面白いのは一通り独白が終わると、今度はまたくじ引きをしてFOURの役割の変更をして続きをやると言うもの。

扱っているテーマが重いので、観ていて結局何を言いたいのか、どういう問題提起なのかわかりにくかった。1回観たくらいではわからないのは当然かもしれないが。そして、死刑執行後、最後に+1の男が出てくる。これが死刑囚の父親なのだ。そして父親が独白する。自分も息子を死刑で殺された犠牲者である、と言うようなことを言い、死刑制度のむなしさ、やるせなさ、というようなことを言っているのか。それだけ難しいテーマと言うことだろう。

出演の俳優陣はそれぞれ熱演していた、そして、こんなに長い独白のセリフを暗記するのも大変だろうな、と思った。また、舞台演出であるが、椅子とテーブル、机、死刑囚の座る畳、絞首刑のセットなど非常にシンプルであった。舞台設定より「語り」を重視した演出などであろう。その分、変化に乏しく退屈な印象もした。難しいところだ。

しかし、演劇公演を観ていつも感じるのだが、演劇終了後、カーテンコールで出演者がそろってステージに出てきて「お礼」の挨拶をする時に、なぜ、そろいもそろってしかめっ面をするのだろうか。ほとんどの演劇公演がそうだ。笑顔で手でも振ってもらいたいのだが。